古事記における稗田阿礼の役割について

 古事記成立の顛末についてはその序に記されている。  是ここに、[天武]天皇すめらみこと詔みことのりしたまはく、「朕われ聞きく、諸もろもろの家の賷もたる帝紀すめらみことのふみと本辞さきつよのことば、既に正実まことに違たが…More

万葉集の一番歌、雄略天皇の求婚歌

万葉集の一番歌  万葉集巻一の巻頭に置かれた歌は、雄略天皇の求婚の歌といわれている。原文と訓読、訳文を示す。訓読は便宜的に四行に分けて記した。  泊瀬朝倉宮御宇天皇代〈太泊瀬稚武天皇〉  天皇御製歌 籠毛與美籠母乳布久思…More

垂仁紀の綺戸辺記事の、亀が石になったことについて

 垂仁紀三十四年に、天皇が山背に行幸して、その地で評判の綺かむはた戸辺とべという美人を召し入れたという記事がある。  三十四年の春三月の乙丑の朔丙寅に、天皇すめらみこと、山背やましろに幸いでます。時に左右もとこひと奏まを…More

上代における死のケガレについて

一  本邦におけるケガレについての研究にはいくつか方法がある。民俗学、歴史学、宗教学、神話学、上代文学などである。そのうち、民俗学の一派が議論として主だっている。ケガレとは、ハレ(晴)─ケ(褻)─ケガレ(穢)の構造の中に…More

神武紀の「韴霊(ふつのみたま)」について

 記紀には命名された刀剣類が見られる。「天沼矛あめのぬほこ」(記上)、「天あま之瓊のぬ矛ほこ」(神代紀第四段本文)、「草くさ那芸之大刀なぎのたち」(記上)、「藂雲むらくも」(景行紀四十年是歳)、「十掬とつかの剣つるぎ」(…More

天孫降臨について

一  いわゆる天孫降臨神話(注1)は、(1)天神の命令で平定された葦原中国あしはらのなかつくににホノニニギ(天あま津日子番能邇つひこほのに々芸命にぎのみこと、天あま津つ彦彦火ひこひこほの瓊に瓊杵尊にぎのみこと)がお伴の諸…More

女鳥王物語─「機」の誕生をめぐって─

女鳥王説話  仁徳天皇時代の話として、女鳥王(雌鳥皇女)と速総別王(隼別皇子)が天皇との確執の末に敗れる話が記紀に残されている。両者で少し言い回しが異なるが大筋に変わりはない(注1)。  亦、天皇すめらみこと、其の弟おと…More

ヤマトタケルの野火の難─「焼遺」をめぐって─

野火の難  ヤマトタケルの火難の話は、古事記では「相武国さがむのくに」の「焼やき遺づ」での出来事として記されており、同様の話が景行紀四十年是歳条に載る。  故かれ、爾しかくして、相武国さがむのくにに到りし時に、其の国造く…More

山部赤人の「紀伊国行幸歌」

 山部赤人の紀伊国行幸歌として知られる歌である。   神亀元年甲子冬十月五日、紀伊きの国くにに幸いでます時、山部宿やまべのすく禰ね赤人あかひとの作る歌一首〈并せて短歌〉〔神龜元年甲子冬十月五日幸于紀伊國時山部宿祢赤人作謌…More

神功皇后のアユ釣りといわゆる鎮懐石について

 記紀の神功皇后の征韓譚にアユ釣りの話が載っている。記では征韓からの帰途に筑紫国で御子を生んでからのこと、紀では征韓の途上でいまだ対馬海峡を渡る前に肥前国でウケヒとして行っている。記に前段としてあるいわゆる鎮懐石の件は、…More

古事記、黄泉国の桃三箇の話─カマドの内部構造─

 古事記の黄泉国の話は、イザナミ(伊耶那美命、伊弉冉尊)の死、イザナキ(伊耶那岐命、伊弉諾尊)の黄泉国訪問、黄泉国からの脱出と訣別、禊祓の話から成る。このうち、イザナキの黄泉国からの帰還の部分で、迫ってくるイザナミ方の追…More

事代主神の応諾について

 記紀の物語に、天あまつ神かみ側がタケミカヅチ(建御雷神たけみかづちのかみ、武甕槌神)等を送ってオホクニヌシ(大国主神おほくにぬしのかみ)に国譲りを迫ったとき、オホクニヌシは自分の子であるコトシロヌシ(事代主神ことしろぬ…More

三輪山伝説について

はじめに  本稿では、よく知られている古事記の三輪山伝説について論ずる。記に語られる内容は、半月はにわりとの交わりから祟り神として祓の対象とされていたというものである。すべてはテキストのなかにヤマトコトバで記されている。…More

記紀万葉における「出雲」とは何か

 今日までの研究で、いわゆる出雲神話は存在しないことが明らかになっている(注1)。古事記に載るスサノヲによるヤマタノオロチ退治の話は出雲風土記に載っていない。イナバのシロウサギの話は日本書紀にさえ載っていない。なぜそのよ…More

「日下」=「くさか」論

 クサカさんという方がおられる。「日下」と漢字表記されることが多い。その歴史は古い。  然、上古之時、言意並朴、敷文構句、於字即難。已因訓述者、詞不逮心、全以音連者、事趣更長。是以今、或一句之中、交用音訓、或一事之内、全…More

ヒルコ論

 国生み説話(注1)において、いわゆる生みそこないが起こっている。その生みそこなった子は、ヒルコ(水蛭子、蛭児)である。  然れども、くみどに興おこして生みし子は、水蛭子ひるこ。此の子は葦船あしふねに入れて流し去すつ。次…More

「稲羽の素菟」論

 古事記にのみ所載の稲羽(因幡)の素菟(白菟)の説話は、子ども向けの童話のように考えられている。  故かれ、此の大国主神おほくにぬしのかみの兄弟あにおと、八十やそ神かみ坐いましき。然れども皆国をば大国主神に避さりき。避り…More

履中記、墨江中王の反乱譚における記75・76歌謡について

  履中記に墨江中王すみのえのなかつみこの反乱譚が載る。紀の話より充実している。大嘗祭後の豊明節会において天皇が寝てしまったところを、弟の墨江中王が天皇位を簒奪しようと放火するに及び、側用人的な存在であったと思われる阿知…More

崇神記のパンデミック記事について

一  我が国における爆発的感染パンデミックの最初の記録は崇神天皇の時代に遡る。卑弥呼の頃、3世紀初めと推測される。当時のヤマトの国はおおむね奈良盆地を版図としていたと考えられる。  此天皇之御世伇病多起人民為盡(真福寺本…More

ヤマトタケルの伊吹山の難

 古事記におけるヤマトタケルの伊吹山の難については、これまでの議論では要領を得ない。  故かれ、爾しかくして御み合あひして、其の御刀みはかしの草那芸剣くさなぎのつるぎ以て、其の美夜受比売みやずひめの許もとに置きて、伊服岐…More

ヤマトタケル譚の尾津前の一つ松をめぐって

尾津の崎の一つ松  ヤマトタケルは東征からの帰途の終盤、尾を津前つのさきの一つ松のところへ来たところ、以前置き忘れていたで刀がまだ残されていたので感興を覚えて歌を歌っている。記紀で話の展開に相違があって順路が異なるほか、…More

仁徳記、枯野説話の伝承地「免寸河」について

 仁徳記に「枯野」の船の逸話が載る。応神紀にも「枯野」という名の船の説話がある。ただし、場所の設定が違っている。記では巨木伝承から説き起こされる。免寸河の西に大木があり、その影は朝は淡道島、夕方は高安山を越えるものであっ…More

枯野伝説について

 本稿では、応神紀、仁徳記に載る「枯から野の」という船にまつわる説話について検討する。カラノと特別に命名されていることはそれなりの古代的観念によるものであり、それを解き明かすことが最重要課題である。上代の人たちはものごと…More

景行記の「恒令経長服、亦勿婚而惚也。」について

 景行記のはじめのほうに、天皇が息子の大碓命を使者として地方の美麗な姉妹を献上に与らせる記事がある。しかし、大碓命おほうすのみことは自分のものとしてしまい、代わりの姉妹を選んできて名を詐称させ、天皇のもとへと送り届けた。…More

「事の 語り言も 此をば」考

 記の歌謡に、コトノカタゴトモコヲバ(事の 語り言も 此をば)という慣用表現がある。記2~4歌謡は「神語歌」、記100~102歌謡は「天語歌」と命名されており、それらの名称と関連させてこの言辞が何を表すかについて解説され…More

ヤマトタケルの「あづまはや」について

 古事記の中巻、景行天皇条にヤマトタケルの東征説話がある。東征を終えて帰る途次、足柄山で「あづまはや」と歎き叫んだからその国を「あづま」と言うという地名譚が載る。  [倭建命やまとたけるのみこと]其そこより入いり幸いでま…More

壬生部について

 壬生部みぶべ(ミは甲類)とは有力な皇子の養育のために置かれた部民で、厩戸皇子のために設定されたものと考えられている。「乳みぶ部べ」とも書き、上宮王家にのみ所有され、その軍事的・経済的基盤になっていたとされる。また、皇子…More

「八雲立つ 出雲八重垣」について

「八雲立つ 出雲八重垣」歌をめぐって  スサノヲ(須佐之男命・素戔嗚尊)は、宮をつくる場所を出雲国に求めた。スガ(須賀・清地)というところにたどり着き、宮を造って住もうとする。初め宮をつくっていた時に、そこから雲が立ち上…More

仁徳天皇は「聖帝」か?

 仁徳天皇には、「高き屋に のぼりて見れば 煙けぶり立つ 民の竃は 賑ひにけり」(新古今707)なる伝承歌があり、あたかも本当に「聖帝」であったかのように語られることがある。  是に天皇すめらみこと、高き山に登りて四方よ…More

古事記の名易え記事について

題材  応神天皇に名易えの話が載る。  故かれ、建内宿禰命たけうちのすくねのみこと、其の太子おほみこを率ゐて、禊みそぎせむと為て、淡海あふみと若わか狭さとの国を経歴ふる時に、高志こしの前みちのくちの角つぬ鹿がに仮宮を造り…More

「かがなべて」考

 ヤマトタケル(倭健命、日本武尊)は東国征伐からの帰還の途において、筑波問答として名高い歌のやりとりをしている。  其そこ[走水海]より入り幸いでまし、悉ことごとく荒ぶる蝦夷えみし等どもを言こと向むけ、亦、山河の荒ぶる神…More

聖徳太子の髪型と疫病(えやみ)の関係について

 我が国における爆発的感染パンデミックの最初の記録は、崇神天皇の時代に遡る。卑弥呼の頃、三世紀初めと推測される。  此天皇之御世伇病多起人民為盡(真福寺本古事記、国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl…More

天の石屋(石窟)の戸について─聖徳太子の創作譚─

 記紀にアマテラスがイハヤ(石屋・石窟)に籠る話がある。本稿では、そのイハヤのあり方とその話にまつわるヤマトコトバについて検討する。 スサノヲの心が「善」いものか「邪あし」きものか判断するのに、天の安の河をはさんでウケヒ…More

古事記の天之日矛の説話について─牛耕を中心に─

一  応神記に天之日矛の説話が載る。前半は新羅での奇譚話、後半はヤマトに至ってからの系譜となっている。ここではその前半部を考察対象とする。  又、昔、新羅しらきの国主こにきしの子有りけり。名は天あめ之日のひ矛ほこと謂ふ。…More

鵜葺草葺不合命(鸕鷀草葺不合尊)の名義について

 いわゆる記紀神話の最後に登場するウカヤフキアハセズノミコトは、記に、「天津あまつ日高日子ひこひこ波限なぎさ建たけ鵜う葺草かや葺不合命ふきあはせずのみこと」、紀に、「彦ひこ波瀲なぎさ武たけ鸕鷀う草葺かや不合尊ふきあへずの…More

二人の彦火火出見について

 日本書紀において、別人物(あるいは別神格)に、彦ひこ火火出見ほほでみという名がつけられている。山幸こと彦ひこ火火出ほほで見みの尊みことと神武天皇の諱ただのみな、彦ひこ火火出見ほほでみである(注1)。紀の本文に、皇孫の天…More

隼人(はやひと)について

 隼人は、古代の九州南部の人をいい、朝廷で隼人舞や警護の任についた。隼人(はや(ひ)と)の名義については、これまでに多くの説が唱えられてきた。中村1993.の研究史整理をもとにした原口2018.の分類をあげる。 (1)性…More

枕詞「はしたての」について

 枕詞「はしたての」は「倉椅山くらはしやま」のクラ、また、「嶮さがし」、地名「熊くま来き」にもかかるとされている。高倉式倉庫には梯子を立て掛けて登るからかかるのであると考えられつつ、クマキにかかる意味は不明ながら同じく枕…More

枕詞「たたなづく」、「たたなはる」について

 枕詞に「たたなづく」、また、「たたなはる」という語がある。上代の用例は次のとおりである(注1)。  倭やまとは 国の真秀まほろば たたなづく 青垣あをかき 山籠ごもれる 倭しうるはし(記歌謡30) 倭は 国の真秀らま …More