古事記成立の顛末についてはその序に記されている。 是ここに、[天武]天皇すめらみこと詔みことのりしたまはく、「朕われ聞きく、諸もろもろの家の賷もたる帝紀すめらみことのふみと本辞さきつよのことば、既に正実まことに違たが…More
Category Archives: 古事記
古事記序文の研究─無文字文化と文字文明のはざまにおいて─
古事記は、稗田阿礼が口述したものを太安万侶の書いたものと言われながらも、この言い方にはかなり誤謬があるとされている。なかなか微妙なところであるが、その時、すでに書かれてあるものエクリチユールを稗田阿礼が読み上げるのを太…More
万葉集の一番歌、雄略天皇の求婚歌
万葉集の一番歌 万葉集巻一の巻頭に置かれた歌は、雄略天皇の求婚の歌といわれている。原文と訓読、訳文を示す。訓読は便宜的に四行に分けて記した。 泊瀬朝倉宮御宇天皇代〈太泊瀬稚武天皇〉 天皇御製歌 籠毛與美籠母乳布久思…More
安康記、目弱王物語における都夫良意美の発言「然恃己入坐于随家之王子者死而不棄」について
はじめに 安康記において、七歳の目弱王まよはのおほきみは義父に当たる安康天皇を暗殺したのち、都夫良意美つぶらおみを頼ってその家に逃げ込んでいる。都夫良意美は大長谷王おほはつせのみこの軍勢に取り囲まれながら堂々と振る舞い…More
古事記の諺「堅石(かたしは)も酔人(ゑひびと)を避(さ)く」について
はじめに 上代の「諺」に「堅石かたしはも酔人ゑひびとを避さく」という言い回しがある。 又、秦造はだのみやつこが祖おや・漢直あやのあたひが祖と、酒を醸かむことを知れる人、名は仁番にほ、亦の名は須須許理等すすこりらと、参…More
記紀説話に見られる殯(もがり)の際のキサリ(岐佐理・傾頭)について
殯とキサリモチ 記紀説話に見られる殯もがりの際のキサリ(岐佐理・傾頭)について検討する。キサリという語は、天若あめわか日子ひこ(天稚彦)の殯の記事に登場する。 故かれ、天若あめわか日子ひこが妻め、下照したでる比売ひめ…More
垂仁紀の綺戸辺記事の、亀が石になったことについて
垂仁紀三十四年に、天皇が山背に行幸して、その地で評判の綺かむはた戸辺とべという美人を召し入れたという記事がある。 三十四年の春三月の乙丑の朔丙寅に、天皇すめらみこと、山背やましろに幸いでます。時に左右もとこひと奏まを…More
上代における死のケガレについて
一 本邦におけるケガレについての研究にはいくつか方法がある。民俗学、歴史学、宗教学、神話学、上代文学などである。そのうち、民俗学の一派が議論として主だっている。ケガレとは、ハレ(晴)─ケ(褻)─ケガレ(穢)の構造の中に…More
神武紀の「韴霊(ふつのみたま)」について
記紀には命名された刀剣類が見られる。「天沼矛あめのぬほこ」(記上)、「天あま之瓊のぬ矛ほこ」(神代紀第四段本文)、「草くさ那芸之大刀なぎのたち」(記上)、「藂雲むらくも」(景行紀四十年是歳)、「十掬とつかの剣つるぎ」(…More
古事記の「天津日高日子」・「虚空津日高」の「日高」はヒコと訓むべき論
天孫ホノニニギの名は、古事記では「天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇々芸命」、略して「天津日高日子番能邇々芸命」と言った。その「天津日高日子」部分を何と訓むかについては議論がある。日本書紀の「天津彦々」にあわせてアマツ…More
天孫降臨について
一 いわゆる天孫降臨神話(注1)は、(1)天神の命令で平定された葦原中国あしはらのなかつくににホノニニギ(天あま津日子番能邇つひこほのに々芸命にぎのみこと、天あま津つ彦彦火ひこひこほの瓊に瓊杵尊にぎのみこと)がお伴の諸…More
女鳥王物語─「機」の誕生をめぐって─
女鳥王説話 仁徳天皇時代の話として、女鳥王(雌鳥皇女)と速総別王(隼別皇子)が天皇との確執の末に敗れる話が記紀に残されている。両者で少し言い回しが異なるが大筋に変わりはない(注1)。 亦、天皇すめらみこと、其の弟おと…More
ヤマトタケルの野火の難─「焼遺」をめぐって─
野火の難 ヤマトタケルの火難の話は、古事記では「相武国さがむのくに」の「焼やき遺づ」での出来事として記されており、同様の話が景行紀四十年是歳条に載る。 故かれ、爾しかくして、相武国さがむのくにに到りし時に、其の国造く…More
山部赤人の「紀伊国行幸歌」
山部赤人の紀伊国行幸歌として知られる歌である。 神亀元年甲子冬十月五日、紀伊きの国くにに幸いでます時、山部宿やまべのすく禰ね赤人あかひとの作る歌一首〈并せて短歌〉〔神龜元年甲子冬十月五日幸于紀伊國時山部宿祢赤人作謌…More
神功皇后のアユ釣りといわゆる鎮懐石について
記紀の神功皇后の征韓譚にアユ釣りの話が載っている。記では征韓からの帰途に筑紫国で御子を生んでからのこと、紀では征韓の途上でいまだ対馬海峡を渡る前に肥前国でウケヒとして行っている。記に前段としてあるいわゆる鎮懐石の件は、…More
記紀の治水事業について―仁徳朝と推古朝の「堀江」記述をめぐって―
一 記紀の説話、逸話には、唐突で前後のつながりを認めにくいものがあり、特に紀には、断片のまま放置されているように思われる記述がある。それに対する研究態度としては、今日、大きく分けて二つの捉え方がある。第一は、歴史の些末…More
黄泉国と禊祓について─アハキハラ、天狗、タチバナ、カマド─
はじめに 黄泉国(よみのくに・よもつくに)の話は、イザナミ(伊耶那美命、伊弉冉尊)の死、イザナキ(伊耶那岐命、伊弉諾尊)の黄泉国訪問、黄泉国からの脱出と訣別、禊ぎの話から成る。本稿では、黄泉国という舞台設定は何を表すも…More
古事記、黄泉国の桃三箇の話─カマドの内部構造─
古事記の黄泉国の話は、イザナミ(伊耶那美命、伊弉冉尊)の死、イザナキ(伊耶那岐命、伊弉諾尊)の黄泉国訪問、黄泉国からの脱出と訣別、禊祓の話から成る。このうち、イザナキの黄泉国からの帰還の部分で、迫ってくるイザナミ方の追…More
十握剣(とつかのつるぎ)を逆(さかしま)に立てる事─その上下の向きについて─
記紀のなかで十握剣とつかのつるぎ(十掬剣)が「逆さかしま」に立つ例は次の三例である。はじめに、今日ほぼ定訓とされている形で示す。 二ふたはしらの神、是ここに、出雲国いづものくにの五十い田狭たさの小を汀はまに降到あまく…More
神武天皇東征伝の槁根津日子(記)・椎根津彦(紀)について
サヲネツヒコ(シヒネツヒコ)の話の魅力 古事記に、神武天皇の東征伝中、速吸門はやすひのとで国つ神に出会い、水先案内をさせたという話が載る。 故かれ、其[吉備]の国より上り幸いでます時に、亀の甲せに乗りて釣りを為しつつ…More
事代主神の応諾について
記紀の物語に、天あまつ神かみ側がタケミカヅチ(建御雷神たけみかづちのかみ、武甕槌神)等を送ってオホクニヌシ(大国主神おほくにぬしのかみ)に国譲りを迫ったとき、オホクニヌシは自分の子であるコトシロヌシ(事代主神ことしろぬ…More
三輪山伝説について
はじめに 本稿では、よく知られている古事記の三輪山伝説について論ずる。記に語られる内容は、半月はにわりとの交わりから祟り神として祓の対象とされていたというものである。すべてはテキストのなかにヤマトコトバで記されている。…More
記紀万葉における「出雲」とは何か
今日までの研究で、いわゆる出雲神話は存在しないことが明らかになっている(注1)。古事記に載るスサノヲによるヤマタノオロチ退治の話は出雲風土記に載っていない。イナバのシロウサギの話は日本書紀にさえ載っていない。なぜそのよ…More
神代紀第七段一書第二の白和幣(しろにきて)・青和幣(あをにきて)について
和幣にきてという語は、古事記上巻や神代紀上巻に見られる。榊の枝に麻や楮こうぞ(榖)の布帛を取りかけたもののことで、神に祈るときに用いられる。後には絹や紙が用いられ現在に至っている。 上代の文献例は次のとおりである。 …More
蘇我入鹿は「咲(わら)ひて」剣を解いたか、「咲(ゑら)きて」剣を解いたか
皇極紀によると、乙巳の変の三韓の調の儀式に参内する際、蘇我入鹿は腰に佩いた剣をはずしている。 中臣鎌子連なかとみのかまこのむらじ、蘇そ我入鹿臣がのいるかのおみの、為人ひととなり疑うたがひ多くして、昼夜ひるよる剣たち持…More
「日下」=「くさか」論
クサカさんという方がおられる。「日下」と漢字表記されることが多い。その歴史は古い。 然、上古之時、言意並朴、敷文構句、於字即難。已因訓述者、詞不逮心、全以音連者、事趣更長。是以今、或一句之中、交用音訓、或一事之内、全…More
ヒルコ論
国生み説話(注1)において、いわゆる生みそこないが起こっている。その生みそこなった子は、ヒルコ(水蛭子、蛭児)である。 然れども、くみどに興おこして生みし子は、水蛭子ひるこ。此の子は葦船あしふねに入れて流し去すつ。次…More
「稲羽の素菟」論
古事記にのみ所載の稲羽(因幡)の素菟(白菟)の説話は、子ども向けの童話のように考えられている。 故かれ、此の大国主神おほくにぬしのかみの兄弟あにおと、八十やそ神かみ坐いましき。然れども皆国をば大国主神に避さりき。避り…More
枕詞「あまだむ」と「軽(かる)」の関係と、槻の木のこと
允恭記に、木き梨なし之軽太子のかるのおほみこと軽大郎女かるのおおいらつめの話が載る。異母兄弟の関係は許されるが、二人は同母兄妹の間柄のためインセストタブーを冒したとされて流罪にあっており、悲恋の物語として受け止められて…More
履中記、墨江中王の反乱譚における記75・76歌謡について
履中記に墨江中王すみのえのなかつみこの反乱譚が載る。紀の話より充実している。大嘗祭後の豊明節会において天皇が寝てしまったところを、弟の墨江中王が天皇位を簒奪しようと放火するに及び、側用人的な存在であったと思われる阿知…More
崇神記のパンデミック記事について
一 我が国における爆発的感染パンデミックの最初の記録は崇神天皇の時代に遡る。卑弥呼の頃、3世紀初めと推測される。当時のヤマトの国はおおむね奈良盆地を版図としていたと考えられる。 此天皇之御世伇病多起人民為盡(真福寺本…More
ヤマトタケルの伊吹山の難
古事記におけるヤマトタケルの伊吹山の難については、これまでの議論では要領を得ない。 故かれ、爾しかくして御み合あひして、其の御刀みはかしの草那芸剣くさなぎのつるぎ以て、其の美夜受比売みやずひめの許もとに置きて、伊服岐…More
舎人(とねり)とは何か─和訓としての成り立ちをめぐって─
舎人とは 舎人とねり(トは乙類)は、天皇や皇族に近侍する従者で、護衛、身辺の雑事に奉仕する。令制によって整備されたが、令外の舎人も置かれている。日本書紀では、トネリは「舎人」(雄略紀十六年七月ほか多数)のほか、「帳内」…More
ヤマトタケル譚の尾津前の一つ松をめぐって
尾津の崎の一つ松 ヤマトタケルは東征からの帰途の終盤、尾を津前つのさきの一つ松のところへ来たところ、以前置き忘れていたで刀がまだ残されていたので感興を覚えて歌を歌っている。記紀で話の展開に相違があって順路が異なるほか、…More
仁徳記、枯野説話の伝承地「免寸河」について
仁徳記に「枯野」の船の逸話が載る。応神紀にも「枯野」という名の船の説話がある。ただし、場所の設定が違っている。記では巨木伝承から説き起こされる。免寸河の西に大木があり、その影は朝は淡道島、夕方は高安山を越えるものであっ…More
枯野伝説について
本稿では、応神紀、仁徳記に載る「枯から野の」という船にまつわる説話について検討する。カラノと特別に命名されていることはそれなりの古代的観念によるものであり、それを解き明かすことが最重要課題である。上代の人たちはものごと…More
景行記の「恒令経長服、亦勿婚而惚也。」について
景行記のはじめのほうに、天皇が息子の大碓命を使者として地方の美麗な姉妹を献上に与らせる記事がある。しかし、大碓命おほうすのみことは自分のものとしてしまい、代わりの姉妹を選んできて名を詐称させ、天皇のもとへと送り届けた。…More
雄略記「上つ枝は天を覆へり 中つ枝は東を覆へり 下枝は鄙を覆へり」歌は、「負へり」の誤りである
雄略記に三重の采女うねめの逸話が載る。天皇が長谷はつせの百もも枝え槻つきの下で豊楽とよのあかりをしたとき、伊勢国の三重の采女がお酌をしていた。葉っぱが杯に浮かんでいたので粗相をしたと咎め立て手打ちにしようとした。采女は…More
「事の 語り言も 此をば」考
記の歌謡に、コトノカタゴトモコヲバ(事の 語り言も 此をば)という慣用表現がある。記2~4歌謡は「神語歌」、記100~102歌謡は「天語歌」と命名されており、それらの名称と関連させてこの言辞が何を表すかについて解説され…More
ミヲシ(進食・御食)のこと─ミヲ(水脈、澪)との関連をめぐって─
記紀のなかに、ミヲシ(進食・御食)と呼ばれる食事光景が記述されている。現在、そう通訓されている箇所は次のとおりである。 壬申に、海路うみつちより葦北あしきたの小こ嶋しまに泊りて進食みをしす〔自海路泊於葦北小嶋而進食〕…More
ヤマトタケルの「あづまはや」について
古事記の中巻、景行天皇条にヤマトタケルの東征説話がある。東征を終えて帰る途次、足柄山で「あづまはや」と歎き叫んだからその国を「あづま」と言うという地名譚が載る。 [倭建命やまとたけるのみこと]其そこより入いり幸いでま…More
ヤマトタケル論―ヤマトタケルは木霊してヤマトタケ…と聞こえる件―
ヤマトタケルの命名譚 記紀の説話に、ヤマトタケルという有名人が登場する。 是ここに天皇すめらみこと、其の御子の建たけく荒き情こころを惶おそりて詔のりたまはく、「西方にしのかたに熊曽建くまそたける二人有り。是これ、伏まつ…More
上代語の「ねぐ(労)(ねぎ(泥疑))」と「をぐな(童男)」について
一 上代に見られるヲグナ(童男)という語については、オミナ(嫗)─ヲミナ(少女)と対照させ、オキナ(翁)─ヲグナ(少年)の関係にあると考えられている(注1)。年長(オ)に対する年少(ヲ)という論理を映す語であるという。…More
壬生部について
壬生部みぶべ(ミは甲類)とは有力な皇子の養育のために置かれた部民で、厩戸皇子のために設定されたものと考えられている。「乳みぶ部べ」とも書き、上宮王家にのみ所有され、その軍事的・経済的基盤になっていたとされる。また、皇子…More
「八雲立つ 出雲八重垣」について
「八雲立つ 出雲八重垣」歌をめぐって スサノヲ(須佐之男命・素戔嗚尊)は、宮をつくる場所を出雲国に求めた。スガ(須賀・清地)というところにたどり着き、宮を造って住もうとする。初め宮をつくっていた時に、そこから雲が立ち上…More
仁徳天皇は「聖帝」か?
仁徳天皇には、「高き屋に のぼりて見れば 煙けぶり立つ 民の竃は 賑ひにけり」(新古今707)なる伝承歌があり、あたかも本当に「聖帝」であったかのように語られることがある。 是に天皇すめらみこと、高き山に登りて四方よ…More
稗田阿礼の人物評「度目誦口拂耳勒心」の訓みについて─「諳誦説」の立場から─
記序の稗田阿礼の人物評に及ぶ箇所は次のようにある。 是ここに、[天武]天皇すめらみことの詔のりたまひしく、「朕あれ聞く、諸もろもろの家の賷もてる帝紀すめろきのふみと本辞さきつよのことばと、既すでに正実まことに違たが…More
古事記の名易え記事について
題材 応神天皇に名易えの話が載る。 故かれ、建内宿禰命たけうちのすくねのみこと、其の太子おほみこを率ゐて、禊みそぎせむと為て、淡海あふみと若わか狭さとの国を経歴ふる時に、高志こしの前みちのくちの角つぬ鹿がに仮宮を造り…More
「かがなべて」考
ヤマトタケル(倭健命、日本武尊)は東国征伐からの帰還の途において、筑波問答として名高い歌のやりとりをしている。 其そこ[走水海]より入り幸いでまし、悉ことごとく荒ぶる蝦夷えみし等どもを言こと向むけ、亦、山河の荒ぶる神…More
聖徳太子の髪型と疫病(えやみ)の関係について
我が国における爆発的感染パンデミックの最初の記録は、崇神天皇の時代に遡る。卑弥呼の頃、三世紀初めと推測される。 此天皇之御世伇病多起人民為盡(真福寺本古事記、国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl…More
記紀説話の、天の石屋(いはや)に尻くめ縄をひき渡す件について
上代の伝承では、アマテラスの天あめの石いは屋や立て籠もり事件の解決に、シリクメナハが必須アイテムとして登場している。 天の石屋に閉じ籠ったアマテラスは、外の不思議な気配に身を乗り出したところ、タチカラヲに引きずり出され…More
天の石屋(石窟)の戸について─聖徳太子の創作譚─
記紀にアマテラスがイハヤ(石屋・石窟)に籠る話がある。本稿では、そのイハヤのあり方とその話にまつわるヤマトコトバについて検討する。 スサノヲの心が「善」いものか「邪あし」きものか判断するのに、天の安の河をはさんでウケヒ…More
古事記の天之日矛の説話について─牛耕を中心に─
一 応神記に天之日矛の説話が載る。前半は新羅での奇譚話、後半はヤマトに至ってからの系譜となっている。ここではその前半部を考察対象とする。 又、昔、新羅しらきの国主こにきしの子有りけり。名は天あめ之日のひ矛ほこと謂ふ。…More
タヂマモリの「非時香菓(ときじくのかくのこのみ)」説話について
垂仁天皇の晩年に、多遅摩毛理たぢまもり(田道間守)の登岐士玖能迦玖能ときじくのかくの木この実み(非時香菓)探索の話が載っている。話の次第は次のようなものである。長寿を願う垂仁天皇は、時じくのかくの木の実を手に入れようと…More
蜻蛉・秋津島・ヤマトの説話について─国生み説話の多重比喩表現を中心に─
記紀の国生み説話 ヤマトの名は、記紀の初めにある国生みの説話にすでに見られる。まず、天あめの浮橋うきはし(天上あまの浮橋うきはし)から天沼矛あめのぬほこ(天あま之瓊のぬ矛ほこ)を下して掻き混ぜ、潮が凝りて淤能碁呂おのご…More
鵜葺草葺不合命(鸕鷀草葺不合尊)の名義について
いわゆる記紀神話の最後に登場するウカヤフキアハセズノミコトは、記に、「天津あまつ日高日子ひこひこ波限なぎさ建たけ鵜う葺草かや葺不合命ふきあはせずのみこと」、紀に、「彦ひこ波瀲なぎさ武たけ鸕鷀う草葺かや不合尊ふきあへずの…More
二人の彦火火出見について
日本書紀において、別人物(あるいは別神格)に、彦ひこ火火出見ほほでみという名がつけられている。山幸こと彦ひこ火火出ほほで見みの尊みことと神武天皇の諱ただのみな、彦ひこ火火出見ほほでみである(注1)。紀の本文に、皇孫の天…More
隼人(はやひと)について
隼人は、古代の九州南部の人をいい、朝廷で隼人舞や警護の任についた。隼人(はや(ひ)と)の名義については、これまでに多くの説が唱えられてきた。中村1993.の研究史整理をもとにした原口2018.の分類をあげる。 (1)性…More
枕詞「はしたての」について
枕詞「はしたての」は「倉椅山くらはしやま」のクラ、また、「嶮さがし」、地名「熊くま来き」にもかかるとされている。高倉式倉庫には梯子を立て掛けて登るからかかるのであると考えられつつ、クマキにかかる意味は不明ながら同じく枕…More
枕詞「たたなづく」、「たたなはる」について
枕詞に「たたなづく」、また、「たたなはる」という語がある。上代の用例は次のとおりである(注1)。 倭やまとは 国の真秀まほろば たたなづく 青垣あをかき 山籠ごもれる 倭しうるはし(記歌謡30) 倭は 国の真秀らま …More
万1895の「幸命在」の訓―垂仁記の沙本毘売命と天皇との問答における「命」字を参照しながら―
一 万1895番歌は、次のように訓まれて解されている。 春去れば まづ三枝さきくさの 幸さきくあらば 後のちにも逢はむ な恋ひそ吾わぎ妹も〔春去先三枝幸命在後相莫戀吾妹〕(万1895) 春になればまず咲く、サキクサ…More