大伴坂上郎女の献天皇歌(万925・926)について

 ここにあげる歌は、大伴坂上郎女おほとものさかのうへのいらつめが聖武天皇に献上した二首である。   天皇すめらみことに献たてまつる歌二首〈大伴坂上郎女の春日の里にして作るぞ〉〔獻天皇歌二首〈大伴坂上郎女在春日里作也〉〕 …More

万葉集のホホガシハの歌

 万葉集には朴の木を詠んだ歌が二首ある。葉が大きくて柏と同様に飲食の器(注1)に用いられ、ホホガシハと呼ばれていた。講かう師じの僧ほふし恵行ゑぎやうと大伴家持が歌のやりとりをしている。   攀よぢ折れる保宝葉ほほがしはを…More

長田王の水島の歌

  長田をさだの王おほきみ(注1)の筑つく紫しに遣つかはさえて水島みづしまに渡りし時の歌二首〔長田王被遣筑紫渡水嶋之時歌二首〕 聞くが如ごと まこと貴たふとく 奇くすしくも 神かむさび居をるか これの水島〔如聞真貴久奇母…More

天の石屋(石窟)の戸について─聖徳太子の創作譚─

 記紀にアマテラスがイハヤ(石屋・石窟)に籠る話がある。本稿では、そのイハヤのあり方とその話にまつわるヤマトコトバについて検討する。 スサノヲの心が「善」いものか「邪あし」きものか判断するのに、天の安の河をはさんでウケヒ…More

隼人(はやひと)について

 隼人は、古代の九州南部の人をいい、朝廷で隼人舞や警護の任についた。隼人(はや(ひ)と)の名義については、これまでに多くの説が唱えられてきた。中村1993.の研究史整理をもとにした原口2018.の分類をあげる。 (1)性…More

龍(たつ)という語について

 中国から伝わった龍(竜)は、なぜかタツと訓まれることがある。地名「龍たつ田た」に当てられることも多い。空想上の生き物としてのタツは万葉集の例(注1)が名高く、日本書紀にも「龍」は見える。   伏ふして来書らいしよを辱か…More

世の常に 聞くは苦しき 呼子鳥(万1447)

  大伴坂上郎女おほとものさかのうへのいらつめの歌一首〔大伴坂上郎女謌一首〕 世の常つねに 聞くは苦しき 呼よぶ子こ鳥どり 声なつかしき 時にはなりぬ〔尋常聞者苦寸喚子鳥音奈都炊時庭成奴〕(万1447)  右の一首は、天…More

大伴家持の布勢水海遊覧賦

 越中国にあった大伴家持は、その地の地名を詠み込んだ「賦」を作って楽しんでいる。「遊二-覧布勢水海一賦一首〈并短歌〉」は、大伴池主の賛同を得て、「敬下-和遊二-覧布勢水海一賦上賦一首并一絶」を追和されている。   布勢ふ…More

タカヒカル・タカテラスについて

 万葉集に「高光」と「高照」という語があり、ともに「日」にかかる枕詞とされている。 両者の違いについて議論されている。検討するにあたっては、これらは言葉であることが基本である。タカヒカルでもタカテラスでも「日」にかかるこ…More

万葉集の「そがひ」について

 万葉集に十二例見える「そがひ」という語は難解とされている。「うしろの方」の意であると単純に思われていたが、用例に適さないものがあり、「斜めうしろの方」という意などいろいろ使い分けられていると解されていた。しかし、万葉集…More

万3・4番歌、狩りの歌と舒明天皇即位について

万葉集3・4番歌  中皇命なかつすめらみことの狩りの歌は、長歌と反歌の二首によって構成される。ここに見える「天皇」とは舒明天皇のことである。「宇智の野」は現在の奈良県五條市付近の野という。以下、原文、読み下し文に加え、現…More

万葉集巻十六「半甘」の歌

 万葉集巻十六「有由縁并雑歌」には諧謔の歌が多く、そのほとんどは明解を得ていない。次の「戯嗤僧歌」、「法師報歌」の問答も誤解されたままである。   戯たはむれに僧ほふしを嗤わらふ歌一首〔戯嗤僧歌一首〕 法ほふ師しらが ひ…More

枕詞「おしてる」「おしてるや」について

 枕詞「おしてる」「おしてるや」は「難なに波は」に掛かるが、掛かり方は未詳とされている。説としては、難波に宮があり、朝日・夕日のただ射す宮だからと褒めたたえる意であるとする説、おしなべて光る浪の華の意であるとする説、岬が…More

万葉集巻十七冒頭「傔従等」の歌について

 万葉集巻十七の冒頭に、「悲傷羇旅」の歌が載る。「羇旅」は旅の道行きのことであるが、畿外へ出ることを指すとする考えもある。だが、後代のようにこの語が部立として用いられているわけではなく、キリョという漢語が意識されていたと…More

八代女王の献歌(万626)について

 万葉集巻四の相聞の部立に八代女王やしろのおほきみの献歌がある。 八代女王については情報が限られている。万葉集にこの一首、続日本紀に位階についての記述が二か所あるだけである(注1)。   八代女王やしろのおほきみの、天皇…More

佐伯宿禰東人と妻の相聞歌

 万葉集巻四の「相聞」の歌である。   西海道さいかいだうの節せつ度使どしの判官じょう佐伯さへきの宿すく禰ね東人あづまひとが妻つま、夫せの君に贈る歌一首〔西海道節度使判官佐伯宿祢東人妻贈夫君歌一首〕 間あひだなく 恋こふ…More

留京歌(万40~44)について

 持統六年三月、天皇は伊勢へ行幸した。中納言三輪朝臣高市麻呂は時期が悪いから延期するように諫言したが天皇は強行した。その時に歌われた歌が万葉集巻一の万40〜44番歌である。最初の三首は柿本人麻呂の歌で、当麻たぎまの真ま人…More

山部赤人の印南野行幸歌

 万葉集巻六の前半に、笠かさの金村かなむら、車持千年くるまもちのちとせ、山部赤人やまべのあかひとによる長反歌からなる行幸従駕歌がある。ここでは山部赤人の印南野行幸従駕歌について検討する。   山部宿やまべのすく禰ね赤人あ…More

万葉集の「辛(から)き恋」

 万葉集に「辛からき恋」という言い方が三首に見られる。「辛からし」という言葉は、舌を刺すような鋭い感覚、塩辛いばかりでなく酸っぱい場合にも用いられる味覚の意味と、そこから派生して骨身にしみるようなつらい気持ちに陥る状態の…More

駿河采女の歌の解釈

 万葉集中には、駿河するがの采女うねめの歌が二首ある。天皇の宮に仕える駿河出身の下女のことであり、同一人物の作かどうかはわからない。   駿河するがの采女うねめの歌一首〔駿河婇女謌一首〕 敷栲しきたへの 枕ゆくくる 涙な…More

大伴家持の二上山の賦

 大伴家持は越中国司として赴任中、賦と称する長歌を三首作っている。それに大伴池主が「敬和」したものを含めて「越中五賦」と呼ばれている。「賦」は漢文学からとられた用語である。   二上山ふたかみやまの賦ふ一首 此…More

「有間皇子の、自ら傷みて松が枝を結ぶ歌二首」について

 有間ありま皇子みこの自傷歌として知られる挽歌は、万葉集の巻二に見られる。   有間皇子の、自ら傷みて松が枝を結ぶ歌二首〔有間皇子自傷結松枝歌二首〕 磐代いはしろの 浜松が枝えを 引き結ぶ ま幸さきくあらば また還り見む…More

安積山の歌(万3807)

 次の歌は古今集の序(注1)にも引用されてとみに有名であり、また出土木簡にも見出されている(注2)。けれども、歌の解釈には諸説あっていまだ定説を得ていない。歌の主旨について左注を絡めて全体として理解されるに至っていない。…More

万葉集巻一・大宝元年紀伊行幸時の歌について

 大宝元年の紀伊行幸の際に歌われた歌は、万葉集中に少なくとも二十一首を数えるという。巻一・54~56番歌、巻二・143・144・146番歌、巻九・1667~1679番歌、同・1796~1799番歌が確かなものとされている…More

「一重山(ひとへやま) 隔(へな)れる」歌

 万葉集巻四に、大伴家持が坂上大嬢さかのうへのおほをとめを思って歌った歌を横にいて聞いていた藤原郎女ふぢはらのいらつめが引き取って一首歌い、そこでさらに家持は二首歌を作り坂上大嬢に贈っている。   久邇京くにのみやこに在…More

玉藻の歌

 万葉集巻一の万23~24番歌は、罪科に問われた「麻続王をみのおほきみ」という人にまつわる歌である。原文と伊藤1995.の訓読、訳をあげる。   麻續王流於伊勢國伊良虞嶋之時人哀傷作歌 打麻乎麻續王白水郎有哉射等籠荷四間…More

枕詞「あぢさはふ」について

 枕詞「あぢさはふ」は「目」や「夜(昼)」にかかる枕詞である。万葉集では五首に見られる。原文の用字はすべて「味澤相」である。諸例をあげる。  …… 敷栲しきたへの 袖携たづさはり 鏡なす 見れども飽かず 望月もちづきの …More

近江荒都歌について

「近江荒都歌」?  万葉集の研究者によって「近江荒都歌」と呼ばれる歌は、万葉集巻一の29~31番歌、柿本人麻呂の初出の歌である。壬申の乱後に廃墟と化した近江大津宮を悼んで詠んだ歌であると考えられている。自然との対比によっ…More

佞人(ねぶひと)を謗る歌(万3836)

 万葉集巻十六、3836番歌は「佞ねぢけ人びとを謗そしる歌」とされている。   佞ねぢけ人びとを謗そしる歌一首〔謗侫人歌一首〕 奈良山の 児手柏このてがしはの 両面ふたおもに かにもかくにも 佞ねぢけ人びとの伴とも〔奈良…More

家持の立山の賦と池主の敬和賦

一  万葉集巻十七に、大伴家持と池主との間で交わされた、越中国の立山にまつわる歌のやりとりが載っている。当時はタチヤマと呼ばれていた。   立山たちやまの賦ふ一首〈并せて短歌、此の立山は新川郡にひかはのこほりに有るぞ〉〔…More

高橋虫麻呂の龍田山の歌

 一  万葉集の歌のなかには、いまだに訓みの定まらない歌がある。訓みが定まらなければ、歌全体の完全な理解には至らない。巻九の高橋虫麻呂歌中から出たとされる龍田山歌群もその一例である。   春三月に諸もろもろの卿大夫まへつ…More

あしひきの 山桜戸を 開け置きて(万2617)

 次の一首は、万葉集巻十一、「正述心緒」の歌の一首である。  あしひきの 山桜戸やまさくらとを 開あけ置きて 吾わが待つ君を 誰たれか留とどむる〔足日木能山桜戸乎開置而吾待君乎誰留流〕(万2617)  三句目「開置而」に…More

湯原王の蟋蟀(こほろぎ)の歌

  湯原ゆはらの王おほきみの蟋蟀こほろぎの歌一首〔湯原王蟋蟀歌一首〕 夕月ゆふづく夜よ 心もしのに 白露しらつゆの 置くこの庭にはに 蟋蟀こほろぎ鳴くも〔暮月夜心毛思努尓白露乃置此庭尓蟋蟀鳴毛〕(万1552)  近年の解…More

柿本人麻呂の「夕波千鳥」歌について

  柿本朝臣人麻呂の歌一首〔柿本朝臣人麻呂歌一首〕 淡海あふみの海うみ 夕波ゆふなみ千ち鳥どり 汝なが鳴けば 心もしのに 古いにしへ思ほゆ〔淡海乃海夕浪千鳥汝鳴者情毛思努尓古所念〕(万266)  この歌は、柿本人麻呂が淡…More

湯原王の鳴く鹿の歌

  湯原ゆはらの王おほきみの鳴く鹿の歌一首〔湯原王鳴鹿歌一首〕 秋萩あきはぎの 散りのまがひに 呼び立てて 鳴くなる鹿の 声の遥はるけさ〔秋芽之落乃乱尓呼立而鳴奈流鹿之音遥者〕(万1550)  鉄野2011.の訳ならびに…More

湯原王の菜摘(夏実)(なつみ)の川の歌

 湯原ゆはらの王おほきみは万葉集に十九首の歌を残している。いずれも短歌である。   湯原王の吉野にして作る歌一首〔湯原王芳野作歌一首〕 吉野にある 菜な摘つみの川の 川淀かはよどに 鴨そ鳴くなる 山陰やまかげにして〔吉野…More

弓削皇子と額田王の贈答歌(万111~113)

 万葉集に載る額田ぬかたの王おほきみの最後の歌は弓ゆ削げの皇子みことの間で交わされたもので、巻第二の「相聞」の部立の歌としてよく知られている。   吉野宮に幸いでます時に、弓削皇子の額田王に贈り与ふる歌一首〔幸于吉野宮時…More

丹比笠麻呂の「袖解きかへて」考

 万葉集巻四に載る丹比笠たぢひのかさ麻呂まろの長歌と反歌の歌はあまり取りあげられることはないが、理解が行き届いているものではない。筑紫国へと下向する時、離れてしまう相手の女性への思いを歌にしているが、反歌にある「袖そで解…More

枕詞「はしたての」について

 枕詞「はしたての」は「倉椅山くらはしやま」のクラ、また、「嶮さがし」、地名「熊くま来き」にもかかるとされている。高倉式倉庫には梯子を立て掛けて登るからかかるのであると考えられつつ、クマキにかかる意味は不明ながら同じく枕…More

大伴旅人の讃酒歌について

 大伴旅人の「讃酒歌」は、契沖・万葉集代匠記(注1)に考察されて以来、研究が積み重ねられ、中国の古典を典故として歌われた歌であると捉えられるに至っている。本稿では、その考え方が悉く誤っていることを明らかにし、正しい解釈を…More

門部王の恋の歌

 万葉集巻四に、門部王が出雲守に赴任していた時の「恋歌」がある。   門部かどへの王おほきみの恋の歌一首〔門部王戀謌一首〕 飫宇おうの海の 潮しほ干ひの潟かたの 片思かたもひに 思ひや行かむ 道の長なが手てを〔飫宇能海之…More

万葉集巻七の「臨時」歌について

 万葉集巻七に、「臨時」の標題の歌十二首が収められている。 さほど議論されてきた歌群ではない。そもそも「臨時」、すなわち、「臨レ時」とはどういうことか。そのことはそれぞれの歌の理解と深くかかわることであるが、これまでの解…More

「人なぶり」の語義

 万葉集巻十五に、「中臣朝臣宅守なかとみのあそみやかもりの狭さ野弟上娘子ののおとがみのをとめと贈り答ふる歌」がある。目録には「中臣朝臣宅守の、蔵くら部べの女嬬によじゆ狭野弟上娘子に娶あひし時に、勅みことのりして流す罪に断…More

枕詞「そらにみつ(天尓満)」(万29)について

 柿本人麻呂の近江荒都歌として知られる長短歌三首はよく知られる。ここでは、長歌に現れる枕詞と思しい「そらにみつ」という語について考察する。   近江あふみの荒れたる都を過よきりし時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌 玉だすき 畝…More

万葉集の「小雨降りしく」歌について

 ぬばたまの 黒髪山くろかみやまの 山菅やますげに 小こ雨さめ降りしき しくしく思ほゆ〔烏玉黒髪山々草小雨零敷益々所思〕(万2456) 大おほ野のらに 小こ雨さめ降りしく 木この本もとに 時と寄り来こね 我が思おもふ人〔…More

万葉集の修辞法、「二重の序」について

一  万葉集の序歌に「二重の序」と呼ばれるものがある。序詞が重ね用いられたものである。序詞によって導かれた地名が掛詞になっていて、それがさらに序詞となって下文を導いている。詳細に検討した論考として井手1975.がある。そ…More

万葉集の「龍の馬(たつのま)」について

 万葉集巻五には、漢文の書簡文を標題にもつ贈答歌がある。大宰府にいる大伴旅人が奈良の都にいる人と手紙をやりとりし、そのときに歌のやりとりをしている。漢詩文からの影響が大きい歌が作られていると見られている。新大系文庫本の訳…More

藤原卿と鏡王女の贈答歌

一  万葉集巻二、相聞の部立に藤原鎌足と鏡王女の歌が載る。   内大臣うちつおほまへつきみ藤原卿ふぢはらのまへつきみの、鏡かがみの王女おほきみを娉つまどふ時、鏡王女の内大臣に贈る歌一首〔内大臣藤原卿娉鏡王女時鏡王女贈内大…More

「あれど」について

 「あれど」は動詞「あり」の已然形に接続助詞「ど」が付いた形である。「ど」は逆接の接続助詞だから、その前で言っていることと後で言っていることが対比されつつ逆の関係、逆の評価を受けるものと考えられる。ところが、単純にアルケ…More

舎人のハタコ(八多籠)の歌

 万葉集巻二の草壁皇子の死を悼んだ舎人たちの「慟傷作歌」二十三首の最後に次の歌がある。左注がすぐ後ろに付いている。   (皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首) 八多籠良我夜晝登不云行路乎吾者皆悉宮道叙為(万193)  右日本紀…More

神亀五年の難波行幸歌

一  万葉集巻六に、神亀五年の「幸于難波宮時作歌」がある。これまで、記録には載らない難波宮行幸があり、宴会において男女の間で交わされた比喩の歌であると考えられてきた。しかし、歌の解釈はどれも判然とせず、要領を得ていない。…More

万葉集の序詞の「鳥」が「目」を導く歌

 万葉集のなかに、序詞で「鳥」と言い、「目」を導いた歌が二首ある。巻十二「古今相聞往来の歌の類の下」の「物に寄せて思ひを陳ぶる歌」と、巻十四「東歌」の「常陸国の相聞往来の歌十首」のなかのそれぞれ一首である。  小竹しのの…More

万葉集巻二十の冒頭歌─附.「や」+疑問詞について─

 万葉集巻二十の冒頭に、昔、こんな歌のやり取りがあったという歌が載る。   山村やまむらに幸行いでましし時の歌二首  先の太上天皇おほきすめらみこと、陪従したがへる王臣おほきみまへつきみたちに詔みことのりして曰のたまはく…More

高安王の鮒を贈る歌

 万葉集巻四に、女性に鮒を贈って気を引いた王族の歌が載る。   高安王たかやすのおほきみの裹つつめる鮒を娘子をとめに贈る歌一首〈高安王は後に姓かばね大原真人の氏うぢを賜ふ〉〔高安王褁鮒贈娘子歌一首〈高安王者後賜姓大原真人…More

庚辰年の七夕歌(万2033)について

  万葉集巻十の次の七夕歌は、定訓が得られていない。  天あまの川がは 安やすの川原かはらに 定而神競者磨待無(万2033)〔天漢安川原定而神競者磨待無〕  此の歌一首は庚かのえ辰たつの年に作れり。〔此歌一首庚辰年作之〕…More

万葉集における「心」に「乗る」表現について

 万葉集において、「心」に「乗る」という表現が見られる。「心に乗りて」、「乗りにし心」、「妹いもは心に乗りにけるかも」の三つの形がある。 「心に乗りて」 ももしきの 大宮人は 多かれど 情こころに乗りて 念おもほゆる妹い…More

明日香皇女挽歌の第二反歌(万198)について

 柿本人麻呂の明日香皇女挽歌の第二反歌、万198番歌は解釈が定まっていない。長歌(万196)に対する反歌だから、同じ事柄を別の角度から見て歌って全体で大きなまとまりとなっていると捉えられなければならない。  明日香川 明…More

「大君は神にしませば」歌(万4260・4261)の語用論的解釈

一  万葉集には「大君は 神にしませば」という歌詞を上二句とする歌が全部で六首ある。オホキミは現天皇、皇子、諸王を指すから、天皇を神として考えていたのではないかとする考えが通行している。「いずれも下三句にうたわれる行為を…More

礪波の関にまつわる大伴家持歌について

一  大伴家持の次の歌は、歌われた年月日、歌われた場が正確に記されている。   天平感宝元年の五月五日に、東大寺の占墾せんこん地ぢ使しの僧ほふし平栄へいえい等を饗あへす。時に、守かみ大伴宿禰家持の、酒を僧に送る歌一首〔天…More

枕詞「山たづの」について

一  枕詞「山たづの」は記歌謡と万葉集に計三例用いられている。  君が行ゆき 日け長くなりぬ 造木やまたづの 迎むかへを行かむ 待つには待たじ〔岐美賀由岐氣那賀久那理奴夜麻多豆能牟加閇袁由加牟麻都爾波麻多〕〈此の、山やま…More

「心もしのに」探究

一  万葉集には、シノニという言葉が十例、うち九例が「心もしのに」という形で慣用句化している。また、シノノニという形で二例あって、シノシノニの約かとされている。  ①淡海あふみの海 夕波ゆふなみ千ち鳥どり 汝なが鳴けば …More

枕詞「刈薦(かりこも)の」について

 枕詞「刈薦かりこもの」についてはほとんどわかっていない(注1)。一般には、刈り取った薦は乱雑になりやすいから「乱れ」にかかり、恋の思いに乱れにもまつわるから「心」にもかかるのだと説明されている。しかし、刈り取った植物が…More

山部赤人の不尽山の歌

 山部赤人が富士山を詠んだ歌はあまりにもよく知られている。   山部やまべの宿禰すくね赤人あかひとの不ふ尽山じのやまを望む歌一首〈并せて短歌〉〔山部宿祢赤人望不盡山謌一首〈并短謌〉〕 天地あめつちの 分わかれし時ゆ 神か…More

「吉野讃歌」は「吉野讃歌」ではない論

「吉野讃歌」の誤解  万葉集には、吉野行幸に供奉して詠んだ作があり、一般に「吉野讃歌」と称されている。この「吉野讃歌」という名称は1950年代の論考からすでに見られ(注1)、今日定着している。一般に次のように解説されてい…More

「吉野讃歌」は「吉野讃歌」ではない論補論

 拙稿「「吉野讃歌」は「吉野讃歌」ではない論」(注1)で扱いきれなかった他の「吉野讃歌」について検討する。 題詞にもない「讃」が主題であると勝手に決めてひと括りに「吉野讃歌」と捉え、吉野を讃えることが天皇を讃美することに…More

藤原宮の御井の歌

「藤原宮御井歌」の問題点   藤原宮の御井みゐの歌〔藤原宮御井歌〕 やすみしし わご大王おほきみ 高照らす 日の皇子みこ 荒栲あらたへの 藤井が原に 大おほ御み門かど 始めたまひて 埴安はにやすの 堤の上に あり立たし …More

「夕されば 小倉の山に」(万1511・1664)歌について

 万葉集の「夕されば 小倉の山に」歌(万1511・1664)は古来名高い。    秋の雑ざふ歌か 〔秋雜謌〕  崗本天皇をかもとのすめらみことの御製歌一首〔崗本天皇御製謌一首〕 夕ゆふされば 小を倉ぐらの山に 鳴く鹿は …More

吉備津の釆女挽歌考

 万葉集巻第二の挽歌に、宮仕えをしていた采女の死を悼む歌がある。稲岡1985.の訳を添え載せる。   吉備津きびつの釆うね女めの死みまかりし時、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首〈并せて短歌〉〔吉備津釆女死時柿本朝臣人麻呂作歌一…More

久米禅師と石川郎女の問答歌─万96~100番歌─について

 万葉集巻第二の久米禅師と石川郎女の相聞歌は、一・二・二首の計五首から成る。多田2009.の現代語訳を添えて掲出する。   久く米禅師めのぜんじの、石いし川かはの郎女いらつめを娉よばひし時の歌五首  久米禅師が石川郎女に…More

万葉集の「黄葉」表記について

「黄葉」についての捉え方  上代の主要文献である万葉集に、モミチ(古く清音であった)を「黄葉」と記すことがきわめて多い。今日、モミジの色づきについて「紅葉」と記すことが一般的である。そこで、どうして古代に「黄葉」の表記が…More

万葉集の「はねかづら」の歌

 万葉集に「はねかづら」の歌が四首ある。多田2009.の訳を付けて挙げる。   大伴宿禰家持が童女をとめに贈る歌一首 はねかづら 今する妹を 夢いめに見て 情こころの内に 恋ひ渡るかも〔葉根蘰今為妹乎夢見而情内二戀度鴨〕…More

万葉集の「月人壮士」をめぐって

 拙稿「「天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」(万1068)の解釈の誤りについて」で、七夕歌において「月の船」、すなわち上弦の月は明るすぎて、主役の牽牛、織女の光を打ち消すから雲間に隠れたのであるとする…More

額田王の三輪山の歌と井戸王の綜麻形の歌

はじめに  万17~19番歌は、近江遷都時の三輪山の歌として知られている。原文ならびに新編全集本萬葉集による訓、現代語訳を記す。   額田王下近江國時作歌井戸王即和歌 味酒三輪乃山青丹吉奈良能山乃山際伊隠萬代道隈伊積流萬…More

鏡王女(かがみのおほきみ)の歌─天智天皇にからんで─

 鏡かがみの王女おほきみの歌は重出を含めて万葉集に五首残されている。ここでは天智天皇がらみの歌について検討する。   額田ぬかたの王おほきみの、近江あふみの天皇すめらみことを思ひて作る歌一首〔額田王思近江天皇作謌一首〕 …More

万葉集巻七、吉野の歌(「芳野作」)について

 万葉集巻七の目録、雑歌に「芳野作謌五首」とあり、吉野関連の歌が五首おさめられている。   吉野にして作る〔芳野作〕 神かむさぶる 磐いは根ねこごしき み吉野の 水分山みくまりやまを 見れば悲しも(万1130)〔神左振磐…More

万葉集の「葦垣」の歌について

 万葉集で「葦垣あしかき」という語が登場する歌は次の十首である。「葦垣の」の形で名詞とするものと枕詞とするものがある。実際の情景を詠んだとは言えずに唐突に「葦垣」と出てくる場合、下の語を導くために冠る語、すなわち、枕詞で…More

万葉集の「荒垣」の歌について

 万葉集で「荒垣あらがき」という語が登場する歌は次の二首である。  里人の 言縁妻ことよせづまを 荒垣の 外よそにや我が見む 憎くあらなくに(万2562)〔里人之言縁妻乎荒垣之外也吾将見悪有名國〕 金門田かなとだを 荒垣…More

万葉集における「埋木(うもれぎ)」の歌

 万葉集に、「埋木うもれぎ」の歌は二首ある。時代別国語大辞典に、「うもれぎ[埋木](名) 埋もれた木。木の幹が土や水の中にながくうまって、炭化し化石のようになったもの。材質は黒檀に似る。」(133頁) と、他の多くの辞書…More

「玉かぎる」と「かぎろひ」について

 枕詞「玉かぎる」は、万葉集中十一例を数える。岩波古語辞典では、「玉がほのかに光を出すことから「ほのか」「はろか」「夕(ゆふ)」「日」にかかり、岩に囲まれた澄んだ淵の水の底で玉のようにほのかに光るものがあるという意から「…More

万葉集において漢字字義とずれるかにみえる用字選択の賢さについて─「結」「音」「乏」「空」「竟」「尽」を中心に─

 万葉集における上代の漢字利用として万葉集の例について検討する(注1)。万葉集は録音記録として残っているのではなく、文字記録として今日に伝わっている。そこに書かれてある漢字は、もともと表したかったヤマトコトバの語義に当て…More

万葉集のホトトギス歌について

霍公鳥ほととぎすという鳥  万葉集で、ホトトギスは百五十六首に歌われている。初期に少なく後期になるにつれて増え、なかでも大伴家持は一人で六十五首も詠じている(注1)。ホトトギスには、訓字として「霍公鳥」という特殊な文字が…More

万葉集における「色に出づ」表現について

 万葉集に「色に出いづ」という慣用表現がある。記紀歌謡には見られない。恋の歌に用いられることが多く、「色」を景物の色彩と人間の顔色との掛詞の意に解されることが多い(注1)。しかし、態度や行動、言葉について表す用例もあり、…More

熟田津の歌について─精緻な読解と史的意義の検討─

 万葉集巻一・8番歌は、額田王の熟にき田津たつの船出の歌としてよく知られている。   後岡本宮のちのをかもとのみやに天の下知らしめしし天皇の代〈天豊あめとよ財重たからいかし日ひ足姫天皇たらしひめのすめらみこと、後に後岡本…More

「有間皇子の、自ら傷みて松が枝を結ぶ歌二首」について

 有間ありまの皇子みこの自傷歌として知られる挽歌は、万葉集の巻二に見られる。   有間皇子の、自ら傷みて松が枝を結ぶ歌二首〔有間皇子自傷結松枝歌二首〕 磐代いはしろの 浜松が枝えを 引き結ぶ ま幸さきくあらば また還かへ…More

枕詞「たたなづく」、「たたなはる」について

 枕詞に「たたなづく」、また、「たたなはる」という語がある。上代の用例は次のとおりである(注1)。  倭やまとは 国の真秀まほろば たたなづく 青垣あをかき 山籠ごもれる 倭しうるはし(記歌謡30) 倭は 国の真秀らま …More

万葉集における洗濯の歌について

 万葉集で洗濯の解とき洗あらいを言い表した歌に、次のようなものがある(注1)。全解の訳を添えて示す。 A橡つるばみの 解とき濯あらひ衣ぎぬの あやしくも 殊ことに着き欲ほしき この夕ゆふへかも〔橡解濯衣之恠殊欲服此暮可聞…More

万葉集2433番歌「如数書吾命」とウケヒについて

 万葉集2433番歌は原文に「水上如數書吾命妹相受日鶴鴨」とある。多くの注釈書に次のように訓んでいるが異説もある。  水の上に 数書く如き 吾が命 妹いもに逢はむと 祈うけひつるかも(万2433)  二~三句目については…More

万葉集のウケヒと夢

 ウケヒについての現在の通説は次のようなものである。  ウケヒは、本来、神意を判断する呪術・占いをいう。その動詞形がウケフ。 あらかじめ「Aという事態が生ずれば、神意はaにある。Bが生ずれば、神意はbにある」というように…More

万1682番歌の「仙人」=コウモリ説

 万葉集1682番歌は次のように訓まれている。   忍壁皇おさかべのみ子こに献たてまつる歌一首〈仙人やまびとの形すがたを詠めり〉〔献忍壁皇子歌一首〈詠仙人形〉〕 とこしへに 夏冬行けや 裘かはごろも 扇あふぎ放はなたぬ …More

「弓食」(万2638)をユヅルと訓む理由

 巻十一の「寄物陳思」歌に次のような歌がある。  梓あづさ弓ゆみ 末すゑの腹はら野のに 鷹鳥と狩がりする 君が弓ゆ弦づるの 絶えむと念おもへや〔梓弓末之腹野尓鷹田為君之弓食之将絶跡念甕屋〕(万2638)  「弓食」と書い…More

万葉集における「船装ひ」と「船飾り」について

 万葉集中に、「船飾ふなかざり」、「船装ふなよそひ」と関係する歌は四首指摘されている。  八十やそ国くには 難なに波はに集ひ 船飾り〔布奈可射里〕 我あがせむ日ろを 見も人もがも(万4329)  右の一首は、足下郡あしが…More

万葉集における「足柄」の船表現について

 万葉集巻十四に「足柄小舟」の歌がある。  百ももつ嶋 足柄あしがら小を舟ぶね 歩行あるき多おほみ 目こそ離かるらめ 心は思もへど(万3367)  一般に、「足柄小舟」は多くの島をあちこち漕ぎ廻る意と解されている。顕昭・…More

万葉集3617番歌の「蝉」はツクツクボウシである説

 万葉集中に「蝉せみ」という言葉を歌中に詠みこんでいるのは、遣新羅使の一行の道中の万3617番歌一首に限られる。   安あ芸国きのくにの長なが門との島にして礒いそ辺へに舶泊ふなはてして作る歌五首 石走いはばしる 滝もとど…More

力士舞の歌

 万葉集で鷺を直接歌った歌は一首である。   白鷺の木を啄くひて飛ぶを詠める歌 池神いけがみの 力りき士じ舞まひかも 白鷺の 桙ほこ啄くひ持ちて 飛び渡るらむ(万3831)  この歌は、伎楽の一つの美女の呉女を追う外道の…More

十月(かむなづき)について

 今日、十月の古語、カムナヅキ(カミナヅキ)については、神無月のことという中世の俗解が流布している。平安後期の藤原清輔・奥義抄に、「天下のもろもろの神、出雲国にゆきて、こと国に神なきが故にかみなし月といふをあやまれり」(…More

万葉集の鞘の歌について

 万葉集に「鞘さや」という言葉の出てくる歌は三首、長歌、旋頭歌、短歌にそれぞれある。  大君おほきみの 命みこと畏かしこみ 見れど飽かぬ 平城なら山やま越えて 真木まき積む 泉の河の 速き瀬を 竿さをさし渡り ちはやぶる…More