名木川の歌(万1696~1698)

 「柿本朝臣人麻呂之歌集」の歌に「名木河作歌三首」がある。稲岡2002.409~410頁の訳を添える。

  名木なぎ川かはにして作る歌三首〔名木河作歌三首〕
 衣手ころもでの 名木なぎの川かは辺へを 春雨はるさめに 吾われ立ち濡ぬると 家思ふらむか〔衣手乃名木之川邊乎春雨吾立沾等家念良武可〕(万1696)
 (ころもでの)名木の川のほとりで、春雨にわたしが立ち濡れていると、家の者は思っているだろうか。
 家人いへひとの 使つかひにあるらし 春雨の 避よくれど吾われを 濡ぬらさく思へば〔家人使在之春雨乃与久列杼吾等乎沾念者〕(万1697)
 春雨は故郷の家人の使らしい。避けても避けてもついて来て私達を濡らす事を思うと。
 あぶり干ほす 人もあれやも 家人の 春雨すらを 間ま使つかひにする〔焱干人母在八方家人春雨須良乎間使尓為〕(万1698)
 濡れた衣をあぶり干す人もいない旅先なのに、家人たちは春雨まで使によこして衣を濡らすことをする。

 この三首は、旅の雨に濡れて妻を思う連作の歌であるとされている。羇旅歌であるとともに春雨を詠んだ詠物歌であるとも考えられ、また、歌には含意があって浮気心と関係のある歌群であるとも見られている。いずれ印象論の域を出ない。
 一首目は、家の人は私のことを心配しているかなあ、と現在推量している。家にいる妻が、「らむ」を用いて旅先の夫を思いやった歌の例は古くから見られるが、旅先から家に残る者を思いやるのは存外新しい表現であるとされている。
 一般には、いずれにせよ旅の歌で、旅は一人で行っているのではなく同行者がいて、その一行の間で気持ちを分ちあうための歌として詠まれたものと考えられている。旅に来ている男性陣には皆家に家族があり、それぞれ自分たちのことを心配してくれているだろうよ、と慰め合っているというのである。
 二首目は、その濡れさせる春雨は家の人が寄こした使いなのだという。避けようがないのはその所為だというのである。
 旅先において皆で歌を披露している宴席の場面だから、「吾等」という用字になっているのではないかといい、訓みはワレであるという。「アガとワガと、それぞれ接する語に差があり、……動詞恋フの主格として用いられる場合も、ほとんどア・アレに限られるようで……ア・アレはワ・ワレにくらべて、単数的・孤独的な意のものだとする説もある。」(時代別国語大辞典1頁)。ワレで自分が代表して歌にしているが、旅の一行のワレ(ラ)が皆それぞれ家に残している妻からのメッセンジャーとしての春雨の洗礼を受けているというのである。
 春雨は家人が心配して出した使いなのだとする発想がおもしろいとされている。旅での雨はつらいものだが、家の人が心配している証なのだとプラス思考で捉え、だから濡らすのだねえ、そうだねえと旅の一行が共有したと見られている。春雨という嫌なことすらも使いとして心配してくれているのだとし、当の妻が近くにいないことを嘆いているもので、旅の一行の男性官人たちの間で共感を得たのだという。
 三首目は、服が濡れたら乾かさなければならず、乾かすために火に当ててその間見張っている人は随伴していない。春雨さえも使者として遣わせて濡らさせている。
 家の人に旅にいる人を思いやる気持ちがあるなら、ふつうならてるてる坊主の一つも作って晴れを遣わそうとするところである。その逆をしているわけだが、春雨にはちょっと濡れる程度の軽い雨というイメージがあり、それを使いにし、心配してくれていることの譬えにしているところが洒落ているというのである。
 以上が今日までの通説である。
 しかし、そうだろうか。
 旅での雨はふだん以上に嫌なものである。とにかく疲れる。家の人が春雨をもたらしているのだとしたら、旅の最中まで嫌がらせをしているとも受け取られかねない。そこで浮気を疑う歌であるとする見解もある。しかるに、それを旅の一行は共有しているとなるとどこの家庭も不和ということになる。話がさらに奇妙な方向に進む。
 歌は「名木河作歌」である(注1)。名木川の詳細はわからない。和名抄に「山城国久世郡那紀なき」とあるのを頼りに木津川の一部かとされている。そこから推測すると平城京からさほど離れているわけではなく、日帰りも可能なところなのかもしれない。旅先にある自分は家(人)と距離的にも時間的にも心理的にも遠くにあるわけではないので、歌にはかなりの誇張があることになる。それはそれでかまわないのだが、出掛ける時にどこへ行くのか告げていたにせよ、GPS機能もない時代、降り出した雨に濡れている場所がまさに名木川に面していると家の人は確かにわかると思って歌にしているとするのは不自然である。旅先から、家に残された者が自分たちのことを思っているとこちらで想像しているという込み入った想定は眉唾である。特殊な前提を設けることは見直さなければならないだろう。
 もっとずっと単純に、明解に、状況の設定を解することができる。
 「名木河」というのはナギカハで、水生植物の水葱なぎが育つところと理解して歌っていると考えるのである(注2)。名木なぎ(ギは乙類)は水葱なぎ(ギは乙類)と同音である。名は体を表し、言葉が事柄を表しているとするのが上代の言語表現としてふさわしい。言ことは事ことと同義であった。無文字の時代、ヤマトコトバが体系的に安定する使い方である。

 水葱 唐韻に云はく、〓(艹冠に縠)〈胡谷反、楊氏抄に云ふ水葱、奈岐なぎ、一に云ふ〓(艹冠に縠)菜〉は水菜、食すべしといふ。 (和名抄)
 春霞 春日かすがの里の 植うゑ子水葱こなぎ〔殖子水葱〕 苗なへなりといひし 枝えはさしにけむ(万407、大伴宿禰駿河麻呂の同じ坂上家さかのうへのいへの二嬢おとをとめを娉よばふ歌一首)
 上野かみつけの 伊香保いかほの沼に 植ゑ子水葱こなぎ〔宇恵古奈宜〕 かく恋ひむとや 種求めけむ(万3415)
 苗代なはしろの 子水葱が花を〔古奈宜我波奈乎〕 衣きぬに摺すり なるるまにまに 何あぜかかなしけ(万3576)
 醤ひしほ酢すに 蒜ひる搗つき合かてて 鯛願たひねがふ 我にな見えそ 水葱なぎの羹あつもの〔水䓗乃煑物〕(万3829、酢、醤、蒜、鯛、水葱を詠める歌)
 み吉えし野のの 吉野の鮎あゆ 鮎こそは 島しま傍へも良えき え苦くるしゑ 水葱なぎの下もと〔奈疑能母騰〕 芹せりの下 吾あれは苦しゑ(紀126)

 名木川というところは水葱なぎの産地であり、そこへ行ったら水葱なぎを採らなければ話にならない。それがヤマトコトバの下にあった人々の観念である。旅先にある官人たち、少なくともその一行の主人以外の、とりわけ下働きをしている連中は、水の中に入って水葱の採取に当たらなければならない。もちろん濡れるのは嫌である。
 そんな折、春雨が降ってきた。春雨でずぶ濡れになってしまったら川の中へ入るのも苦ではない。主人のために水葱採りに勤しもうということになる。そういうことを教えてくれるために、家人は春雨を使いとしてもたらしているのかもしれない。家を出る時、家人たちはどうぞご無事でご帰還を、と言って送り出したのではなく、せいぜいおきばりやっしゃと言っていたではないか。出征ではなく野草摘みに出掛けたのであり、務めを果たすことが何よりであった。水生植物を採取することとなって尻込みしていたが、仕事は仕事、濡れることを厭っているようではいけない。踏ん切りをつけさせるように春雨が降ってきたらしい。
 三首目は駄目を押すように言っている。濡れた衣を乾かす人がいないからと理屈をつけて川に入ろうとしなかったところ、家人はまさに焚きつけるように春雨を使いにして濡れさせていると言っている。
 これらの歌は「名木河」だから「作歌」されている。平城京からさほど遠くない那紀の郷のことかもしれないが、そのような地誌的な意味、行幸(?)の史実を伝えようとして編まれているのではない。ただおもしろいと思われて万葉集に採られている。元ネタとなっている柿本朝臣人麻呂之歌集においても、表現が巧みだからということで記されていたのだろう。史実としての情報を伝えようとして集められているのではなく、歌のテクニックを寄せ集めた事例集である。被写体が何かは問わずにただ技術をもって編まれた写真集のことを思えば参考になるだろう。歌の価値は歌のなかにあるということである。
 枕詞「衣手の」について触れておく。「衣手の」が「名木」にかかっている。その理由としては次のことが考えられる。
 「衣手」は袖に手を入れている様子を表している。ヤマトでは従来、衣服は貫頭衣であった。時代が移り大陸の影響もあって袖のついた服を着るようになった。そして、筒袖のなかに反対の手を入れて拱手する姿勢が知られ、うやうやしく恭順し手を拱いていることを表すものだと知られた。面前にしてなお手を出さないからである。
 万1696番歌では水葱なぎが生えている様を目の前にしても、濡れるのが嫌だから手を出さないでいた。それこそがこの枕詞のかかる理由であると考えられる(注2)。万葉集で「衣手の」が「名木」にかかるのはこの例だけである。枕詞「衣手の」は他の語にもかかるが、用法は多く、それぞれの用例は少ない。この例で気づかされるように、枕詞「衣手の」は個別具体的な言葉遊びシュプラッハ・シュピール であると考えられる。

(注)
(注1)「名木河作歌二首」(万1688・1689)というのもあり、モチーフは同じだろう。

ミズアオイ

(注2)ミズアオイは淡水に生える一年草で、根が水底に張り、茎や葉を伸ばして水面上に出る抽水植物である。茎は斜めに伸びて葉はハート形、青い花は八月から十月頃に咲く。湖沼、小川、水路に生え、水田では雑草とされたが、除草剤に弱くジャンボタニシの食害もあり、絶滅が危惧されるまでになっている。抵抗性のあるものが現れたり、東日本大震災で土壌が攪拌されて繁茂が見られて注目されている。類種のコナギは少し小ぶりで、それぞれが好む生育環境は水深によるようである。
(注3)多くの注釈書に「衣手」と「泣く」との関係によって「名木」に冠せられると説かれているが、「木き」は乙類、「泣き」(連用形)のキは甲類で音違いである。甲乙はいずれ音が近いとしてまで言い張るのは暴論である。米(ライス)と虱(ライス)は音が違い意味も無関係である。

(引用・参考文献)
阿蘇1992. 阿蘇瑞枝『万葉和歌史論考』笠間書院、平成4年。
伊藤1996. 伊藤博『萬葉集釈注 五』集英社、1996年。
稲岡2002. 稲岡耕二『和歌文学大系2 萬葉集(二)』明治書院、平成14年。
川島1995. 川島二郎「名木河作歌小考」『山邊道』第39号、天理大学国語国文学会 、平成7年3月。
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、昭和42年。
高橋1999. 高橋亨「語源譚の物語と歌」稲岡耕二編『声と文字─上代文学へのアプローチ─』塙書房、1999年。

加藤良平 2026.10.9初出

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