一
「うら悲し」という言葉は万葉集に八首見える。
「うら悲し」の語義については、「心がなしい」(時代別国語大辞典)、「心の中で悲しく思う」(岩波古語辞典)などと釈されている。「うら」+「悲し」の語構成からなり、「かなし」(悲・哀・憐)には、①心をうたれる、痛切に心が動かされる、悲しい、②いとしい、あわれだ、かわいい、の二つの意があると解されている。一方の「うら」(裏・心)には、①裏、内側、オモテの対、②心、思い、の二つの意に使われているとされている。心は内にこもっているものとして裏というのであろうと考えられている。それが神の心、神意にかかわる場合のことでは、同じく「うら」(占・卜)という言葉に結実しているという。神の心自体はあずかり知らないことであり、だから占いによって知ろうとする。「こころ」に明示性、「うら」に暗示性を認めることができる。
その暗示性を汲んで、「うら悲し」はなんとなく悲しいことを言うと理解されてきた。
他に「心悲し」や「もの悲し」という言葉がある(注1)。ほとんど同義の言葉であるとされ、作者の気分によって、あるいは音数によって使い分けているという。そのようないい加減な使い方をしていると言葉があいまいになりかねない。誤謬や錯誤が生じ、言語体系にほころびが生じてしまう。
すなわち、「うら悲し」という言葉は、「心悲し」や「もの悲し」などとは異なる意味合いを伝えるべくして使われた言葉であると考えられるのである。これまでの研究でも「うら悲し」という場合には特別な意味合いを含んでいるとして、「静まりかえった中で内省して懐かれる悲哀感」(山﨑2017.)や「「表立ってその場にふさわしい感情を示しながら、それとはうらはらに人を求める、切ない思慕の情を抱いている様」を意味する語」(石原2007.)といった解釈が行われてきた。
飽き足らない。万葉集に見られるいわば歌語である。言葉の成立条件としては聞いただけですぐわかることが求められ、また、その言葉を使うことで興趣を誘う効果があるから使われているのだろう。
石原氏も指摘しているように、「うら」という言葉は時代を経て「うらはら(裏腹)」という言葉を派生させている。反対、あべこべ、の意である。「うら悲し」という言葉は「うら」という言葉の持つ深みをよく表している。隠されていてよくわからない心、思いは、結局のところよくわからない。きっとAなのだろうと見ていたところ、実は~Aであるということは間々ある。折り紙のだまし船のように転じてしまうのである。他者の心のことはわからず、当初見立てていたこちらの解釈が実は正反対のことがある。振れ幅は大きくなって定まらないが、かといってそこに何らかの思いがあることだけは確かである。その裏腹なる機微を伝える言葉として「うら悲し」という言葉が組み立てられ、「心悲し」とは異なるニュアンスを意味していると考えられる。「うら悲し」は一本調子の「悲し」ではなく、二つの異なる気持ちが綯い交ぜになりながらそのどちらも「悲し」なのだと言うために創られた言葉なのではないか。いわば、両価的(ambivalent)な「悲し」である。そもそも「悲し」という言葉は、悲しいとも愛しいとも受け取れるナイーブな感情を表している。「悲し」に相反する感情を込めることは条件的にもあり得ることで、人間の精神活動の深いところを表出しようとする高度な言語活動なのだろう。
二
「うら悲し」がアンビバレントな「悲し」を示すか具体例で確かめていこう。
最初にあげる例はとてもわかりやすい。
紫草は 根をかも終ふる 人の児の うら悲しけを 寝を終へなくに〔牟良佐伎波根乎可母乎布流比等乃児能宇良我奈之家乎祢乎遠敝奈久尓〕(万3500)
大意は、紫草は根を最後まで取り尽くしてしまうのか。同じネという言葉でも、愛しく思う人の児とはまだ寝ることはないのに、である。「根」と「寝」の掛詞が歌の妙味である。染色に使うムラサキのネ(根)は取りつくすほど取ることができるのに、愛しいあの子の場合となると一度もネ(寝)を経験できずにいる、と対比している。ネを求めていてムラサキでは最大限得られているが、彼女に対しては最小限さえ得られていない。その状況を詠むのに「うら悲しけ」と形容している。ムラサキの栽培農家らしいこの東歌の歌い手は、相手が植物なら思うようにできるのに、相手が人の子となるとにわかにままならなくなっている。ネのアンビバレントな様相をもって思うに任せない心を表現するのに「うら悲し」という言葉を使っているわけである。
別れなば うら悲しけむ 我が衣 下にを着ませ 直に逢ふまでに〔和可礼奈波宇良我奈之家武安我許呂母之多尓乎伎麻勢多太尓安布麻弖尓〕(万3584)
吾妹子が 下にも着よと 贈りたる 衣の紐を 吾解かめやも〔和伎母故我之多尓毛伎余等於久理多流許呂母能比毛乎安礼等可米也母〕(万3585)
遣新羅使の贈答の歌である。女の歌に男が返している。
大意は、お別れしたらきっと悲しいことでしょう、そこで私の衣を形見として下にお召しになってください、直接お逢いする機会まで、と言うのに対して、あなたが下にでも着けなさいと贈ってくれた衣の紐を、私は解いたりして他の女性と好にすることなどあるでしょうか、いやいやありません、と誓いを立てたというものと解されている。
女性を思うよすがとなるよう形見に衣を渡し、身に着けてもらうことで互いに身近にあると感じられた、そういう習慣があったらしいと考えられている(注2)。ただ、この万3584番歌の構造からすると、この受け取り方には文法的に齟齬が生じている。
「別れなば」の「な」は助動詞「ぬ」の未然形、「うら悲しけむ」は形容詞「うら悲し」の未然形に助動詞「む」が下接した形である。別れてしまうことがあるならば「うら悲し」いことにきっとなるだろう私の衣を、下にでも着てください、と言っている。「うら悲し」の主格を誰にとるかによって意が変わってくる。妻の側が歌っている歌だから、第一候補としては妻が「うら悲し」い気持ちになることが想定される。ところが、新編全集本では「うら悲し」の主格を夫とし、阿蘇2012.では両者として共に味わうはずのうら悲しさを推測していると見ている。ともに無理がある。
三句目に「我が衣」とある。この歌は衣を中心に据えた歌である。衣を下に着よ、直に逢うまでは衣を着けていよ、と言っている。上の句でも「別れなば」の対象は「我が衣」である。そうあるからそのままに捉えるのが正しいだろう。旦那と別れることが悲しい云々ではなく、大切にしている私の衣と別れると悲しくなりそうだと歌っているのである。
なかなかに味のある遣新羅使関連歌である。ただ衣を形見として渡したというのではなく、大切にしている一張羅の着物を質草に入れるように夫に渡し、ああ、渡さなければよかったと後悔するに違いないと言い、大切にして必ず持ち帰って来てくださいねと願っている。ああ、わかった、身に着けたままにしていて帰って来る、途中で紐を緩めて売り飛ばし、金に換えていい思いをするようなことはしない、と答えている。相手に対する愛情表現において、衣を利用してワンクッション置いた巧みな言い換えが行われている。着物なんてどうだっていいわ、あなたが帰って来てくれたら、というような若造の表現ではない。
それを反映して「うら悲し」と言っている。あなたと別れてしまったならば「悲し」くなるだろう。少なくとも言葉上はそういう使い方が慣用化されているからそういうことに決まっている。決まり事である以上、両義性の生まれる余地はない。ところが、大切な着物と別れるということになると、旦那が出征するのだから持たせてあげたくもあり、とはいえ惜しいと思う心も芽生えてしまう。アンビバレントな「悲し」として「うら悲し」はある。そして、着物を持ち帰ってくださいと言うことで無事で帰って来てくれと訴えている。こう捉えたとき、この歌は名歌の輝きを放つ。
三
大伴家持の橘の花を攀ぢて坂上大嬢に贈る歌一首〈并せて短歌〉〔大伴家持攀橘花贈坂上大嬢謌一首〈并短歌〉〕
いかといかと ある吾が屋前に 百枝さし 生ふる橘 玉に貫く 五月を近み あえぬがに 花咲きにけり 朝に日に 出で見るごとに 息の緒に 吾が思ふ妹に まそ鏡 清き月夜に ただ一目 見するまでには 散りこすな ゆめと言ひつつ ここだくも 吾が守るものを 慨きや 醜霍公鳥 暁の うら悲しきに 追へど追へど なほし来鳴きて 徒らに 地に散らせば すべをなみ 攀ぢて手折りつ 見ませ吾妹子〔伊加登伊可等有吾屋前尓百枝刺於布流橘玉尓貫五月乎近美安要奴我尓花咲尓家里朝尓食尓出見毎氣緒尓吾念妹尓銅鏡清月夜尓直一眼令覩麻而尓波落許須奈由米登云管幾許吾守物乎宇礼多伎也志許霍公鳥暁之裏悲尓雖追雖追尚来鳴而徒地尓令散者為便乎奈美攀而手折都見末世吾妹児〕(万1507、大伴家持)
上代の人は、霍公鳥という鳥について、ホトトギスという名に鳴き声の重ね合わせを見い出し、ほとんど時は過ぎる、ほとんど時は過ぎると鳴いているものとして洒落を楽しんでいた(注3)。つまり、「慨きや 醜霍公鳥」以下は、嘆かわしいことよ、融通の利かない霍公鳥めは、暁の瞬間が愛しいと思うのに、追っ払っても追っ払ってもなおやって来て、ほとんど時は過ぎる、ほとんど時は過ぎると鳴いては何の足しにもならないのにどんどん橘の花を地に散らしてしまうことになるので、仕方なく引き寄せ枝折ったことです。御覧ください、あなたよ、というのが大意である。夜明け時はとどまることなくどんどん明けて行くように橘の花もどんどん散っていく、そのように促進しているのは時の経過をあたかも倍速で進めるかのような鳴き声を発する霍公鳥の仕業なのではないかと詩的に歌っているわけである。暁という時間は落ち着くところがなく、刻々と変わっていって切なくなるが、実はその変化していく光景こそがいとおしみの対象なのでもある。アンビバレントな「悲し」を表して「うら悲し」と言っている(注4)。
河内の大橋を独り行く娘子を見る歌一首〈并せて短歌〉
しなてる 片足羽川の さ丹塗りの 大橋の上ゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍もち 摺れる衣着て ただ独り い渡らす児は 若草の 夫かあるらむ 橿の実の 独りか寝らむ 問はまくの 欲しき吾妹が 家の知らなく〔級照片足羽河之左丹塗大橋之上従紅赤裳数十引山藍用揩衣服而直独伊渡為児者若草乃夫香有良武橿実之独歟将宿問巻乃欲我妹之家乃不知久〕(万1742)
大橋の 頭に家あらば うら悲しく 独り行く児に 宿貸さましを〔大橋之頭尓家有者心悲久独去児尓屋戸借申尾〕(万1743、高橋連虫麻呂歌集)
「うら悲しく 独り行く児」の「うら悲しく」について、心なしか切なそうに、あるいは、どこか悲しげに、と訳すのは誤りだろう。歌の作者は歩いて行っている見知らぬ娘子の姿を見ても傍観するしかなかった。それでも思うことは、遠くへ行くのは疲れるだろうからと橋のたもとに設けられている宿場さながらに自分の家を貸しましょうかと声を掛けたい。自分の家は街道沿いにないからそのようなことも口にできないからなあと慨嘆している。その時、道行く娘子の風情が「うら悲しく」見えたとしている。
一人で歩いているところを見て独りぼっちだから悲しそうだと思ったけれど、他方では愛する夫のところへ向って歩いて行っているのかもしれないとも思う。つまりは彼女はどこか見知らぬところへ行くところか、愛する人が待つ我が家へ帰っているところかさえわからないのである。そのことは前の長歌、万1742番歌で叙述されている。その裏腹感を表すために「うら悲し」という言葉を使っている。大橋のたもとに家があったらお疲れでしょうと声をかけ、事情を尋ねるべく宿を貸すことができるのに、残念ながら世の中そういうふうにはなっていない。「うら悲し」と思う主体は歌の作者である。その主観を起点として述べ始め、間主観性、客観性へと導こうとする物言いとして「うら悲し」という語は使われている。そのことは、これまで見てきた万3500番歌の作者、栽培農家の視点、万3584番歌の作者、衣の持ち主の視点とも、言われてみて初めて知る見方である。巧みな表現をするために「うら悲し」という言葉は編み出されている。
四
朝日照る 島の御門に おほほしく 人音もせねば まうら悲しも〔旦日照嶋乃御門尓欝悒人音毛不為者真浦悲毛〕(万189、皇子尊宮の舎人)
この歌は、皇太子であった草壁皇子が亡くなった時に舎人たちが歌った「皇子尊の宮の舎人等の慟しび傷みて作る歌二十三首」の中の一首である。
朝日に照り輝く島の宮の御殿では、人の気配もしないので「まうら悲し」いことだなあと言っている。「ま」は接頭語で、片手に対して両手というように、セットで二つ揃っていることをいう。つまり、本当に「うら悲し」いことだと強調している。「おほほしく」はぼんやりしているさまを指し、ぼんやりしていて明らかではなく、先行き不透明感があると気持ちが晴れず判断も鈍くおろかなことになる。
草壁皇子は日並皇子と讃え称されており、島の宮に住んでいた。ということは、朝日が照ってきたら「島の御門」は当然、日並皇子がいてその名の示すとおり輝いていなければならないのだが、間抜けなことにお隠れになってしまってそうはなっていない。そして、宮仕えの人もお暇を頂くこととなって閑散としている。歌の作者は舎人で本来ならそこにいなければいけない奴である。ヤツコというぐらいだから、八子、たくさんの人であろうはずが、間抜けなことに人っ子一人おらず「人音」がしていない。「おほほし」いことに館の主がおらず、「おほほし」いことに召使いたちもいない、両方で悲しいことになっている。この歌の作者である舎人の一人はそういう見方を発見して歌にしている。
春の日の うら悲しきに 後れ居て 君に恋ひつつ 顕しけめやも〔波流乃日能宇良我奈之伎尓於久礼為弖君尓古非都々宇都之家米也母〕(万3752、狭野茅上娘子)
この歌は倒置されている。「春の日の うら悲しきに 顕しけめやも」が主題で、条件として「後れ居て 君に恋ひつつ」を加えている。一人置いてけぼりにされていて、あなたのことを恋い慕いながら、という条件下で、春の日は「うら悲しきに」正気でいられるか、いやいやいられないと反語で言っている。どこがアンビバレントかといえば、春の日はうららかだから悲しむべき要素はないはずなのだが、一人にされてしまったら少しもいいことがないのである。「うら悲しきに」の助詞「に」は、順接(ので、から)、逆接(のに、けれど)のいずれの場合もある。両義的な意を含んでいるからどちらにでも取れる助詞を取っている。うららかのことは上代に「うらうらに」と言っていた。
うらうらに 照れる春日に 雲雀上がり 情悲しも 独りし思へば(万4292)
万3752番歌では縁語のように「春の日の」は「うら○○」という語へ続くようにしている。ぽかぽかしてくるとつい昼寝をしてしまう。詩的に言えばお日さまとの共寝であるが、所詮は一人寝である。連れ合いはどこかへ行ってしまい置いてけぼりになっている。あの人を恋い焦がれていると夜も寝られない。代わりに昼間、日向ぼっこをして寝ている。昼夜逆転、自律神経によくない。常態化すれば病んでしまう。
「顕し」のウツは目に見えてこの世に存在しているもののことを指し、「顕し」は現実存在の確からしさを表している。「宇都志伎〈此四字以音〉青人草」(記上)、「顕見蒼生、此云二宇都志枳阿烏比等久佐一。」(神代紀第五段一書第十一)、「宇都志意美」(雄略記)という複合語はこの世に人の姿をして現れた目に見える存在という意味である。そこから「顕し」は、人間世界に生きている、また、正気でいる、の意となっている。一例あげておく。
偽りも 似付きてそする 顕しくも まこと吾妹子 吾に恋ひめや(万771)
偽りごとも本当らしくするものだよ、本当にあなたは私に恋しているのか、どうにもそのようには見えないよ、というのが大意である。「顕し」という言葉を、気持ちに現実感があるかの問いに使っている。万3752番歌の場合は反語表現で、気持ちに現実感が薄れること、精神の不安定要素を詠んでいる。一人置いてけぼりにされていて、あなたのことを恋い慕いながら浴びている春の日は、暖かいからその温もりで満たされるようでありながら気持ちは満たされることはなく、とても正気でなんていられないの意である。
五
二十三日、興に依りて作る歌二首〔廿三日依興作歌二首〕
春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に 鶯鳴くも〔春野尓霞多奈毗伎宇良悲許能暮影尓鴬奈久母〕(万4290、大伴家持)
春の野に霞がたなびいていると、霞んでしまって見たくても見えなくなる。見ようとしても霞んで見えないのは、目が霞目になっているのと同じことである。だから霞のことを話題にしている。同じような状況としては、夕方、暮れなずんでしまうと鶯が鳴いても姿は見えないことがある。この日は二十三日、太陰暦だから下弦とわかり、夜中にならないと月は出ないから薄暗がりである。だから「この夕影」と限定して歌っている。
歌われたのは天平勝宝五年の旧暦二月二十三日である。現在の暦では四月一日に当たる。ハル(春)といっても春の初めではなく十分に春になってしまっている時期である。ハル(という動詞があるならばそ)の已然形、ハレであるはずである。つまり、天気はハレ(晴)であるべきなのに霞がかかっている。裏腹だから「うら悲し」と大げさに表現している。
ハル(春)も押し詰まってハレでなければならないのだから、そこに登場する鳥はハレ(腫)に似通っているのが望ましい。もってこいの名をした鳥がいる。ウグイスである。膿んで膨らみ腫れることを古語でウグヒ(墳)という。俗語をよく伝える日葡辞書に次のようにある。
Vgu i,gǔ, ǔta. ウグイ,ゥ,ゥタ(うぐい,ふ,うた) ……灸の跡がただれ広がる,または,うんで膿汁が出る.(日葡辞書690頁)
ウグヒスのスは語尾のスで、カラス、カケス、ホトトギスに同じである。ハレているはずのウグイスが鳴いているのに、夕べの光は乏しくてその姿ははっきりしない。霞目、鳥目はともによく見えないことをいう言葉である。それをまとめて、ウグイスが鳴くのもひょっとして「うら悲し」いことなのかなあと慨嘆している(注5)。
「依レ興」とは大伴家持が駄洒落を思いつき、それはすなわち、ヤマトコトバの連環の妙に気づいたということで、それにより歌を作っている。万葉集の言葉づかいはヤマトコトバをいかにそれ自体のものとして操るかにかかっており、洒落、語呂合わせ、地口の多様な詠み合わせがおもしろがられ尊ばれて四千五百余首を成している。
四月三日に、越前判官大伴宿禰池主に贈る霍公鳥の歌、旧きを感づる意に勝へずして懐を述ぶる一首〈并せて短歌〉〔四月三日贈越前判官大伴宿祢池主霍公鳥歌不勝感舊之意述懐一首〈并短歌〉〕
我が背子と 手携はりて 明け来れば 出で立ち向ひ 夕されば 振り放け見つつ 思ひ暢べ 見和ぎし山に 八峰には 霞たなびき 谷辺には 椿花咲き うら悲し 春し過ぐれば 霍公鳥 いや及き鳴きぬ 独りのみ 聞けばさぶしも 君と吾 隔りて恋ふる 砺波山 飛び越え行きて 明け立たば 松のさ枝に 夕さらば 月に向ひて 菖蒲 玉貫くまでに 鳴き響め 安眠寝しめず 君を悩ませ〔和我勢故等手携而暁来者出立向暮去者振放見都追念暢見奈疑之山尓八峯尓波霞多奈婢伎谿敝尓波海石榴花〓(口へんに笈)宇良悲春之過者霍公鳥伊也之伎喧奴獨耳聞婆不怜毛君与吾隔而戀流利波山飛超去而明立者松之狭枝尓暮去者向月而菖蒲玉貫麻泥尓鳴等余米安寐不令宿君乎奈夜麻勢〕(万4177、大伴家持)
この歌の「うら悲し」は連体格で挿入句とされている(注6)。どうして「うら悲し」いと思ったかについては、歌を聞いている人が耳にして即座に了解されるものでなければならない。なぜならそれは歌において行われた表現だからである。歌を歌っている間だけ空中を飛んでいてすぐに消えてしまうから、瞬時にわからなければ体を成さないのである。「春し過ぐ」ることとはハル(春)が動詞としてあるならば、已然形のハレとして展開しているはずだという洒落である。ハレ(晴)であるとは見晴るかすことができてさぞかし見ごたえがあるだろうに、「八峰には 霞たなびき」していてよく見えない。「椿花」が咲いているならツバの音を含む花なのだからさぞかし余すことなくはっきりと詳しく「委曲に」見えるはず(注7)、したがって咲く場所は「凸む」ところであるべきなのに、なぜか凹んだ谷のところに咲いていてやはりよく見えない。ハルというには裏腹なところがあるから「うら悲し」と言い当てているのである。家持独特の感慨であるという評言があるが、個人的な情感を個性的な言葉で表そうとしたのではなく、主観的な見方を提示しておいて聞き手を巻き込み間主観性を得ようと試みたものであった。それが可能となる条件は、駄洒落という言葉遊びにある。
以上見てきたように、上代語の「うら悲し」は、「悲し」と思われる心情のうち一本調子に悲しいのではなく、情景、情感において裏腹感を言い含めるために考案された言葉であり、主観的なものの見方を開陳して歌の聞き手に及ぼし巻き込もうとする歌語、歌言葉であったといえる。そのような表現が可能となっているのも、万葉集の表現が言語ゲーム(Sprachspiel)に徹することによって惹き起こされ展開していった言語空間だったからである(注8)。
(注)
(注1)「心悲し」、「もの悲し」の例を一つずつあげておく。
波の上に 浮寝せし宵 あど思へか 心悲しく 夢に見えつる(万3639)
春まけて もの悲しきに さ夜更けて 羽振き鳴く鴫 誰が田にか住む(万4141、大伴家持)
(注2)形見を渡すことを歌った歌の例を示す。
吾妹子が 形見の衣 なかりせば 何物もてか 命継がまし(万3733、中臣宅守)
白栲の 吾が下衣 失はず 持てれ我が背子 直に逢ふまでに(万3751、狭野茅上娘子)
逢はむ日の 形見にせよと 手弱女の 思ひ乱れて 縫へる衣そ(万3753、狭野茅上娘子)
(注3)拙稿「万葉集のホトトギス歌について」参照。
(注4)この「うら悲し」を「妹を思って悲しい」(中西1980.192頁)、「大嬢への思いと関わっていることを示すもの」(阿蘇2008.568頁)とするのは宙に浮いた捉え方である。また、「夜明け方は、逢えない恋人との魂逢いを受感する時間。よって、もの思いが萌す」(多田2009.234頁)とするのは、徹夜明けでしか暁を知らない人の言い分だろう。野良仕事に出かける人ばかりでなく、朝廷も文字どおり早起きを前提としていた。
(注5)拙稿「大伴家持「春愁三首」について」参照。
(注6)「八峰には 霞たなびき 谷辺には 椿花咲き」という情景において「春し過ぐ」ることについてどう感じるかコメントを施していて、「春を愁いの季節とする家持独自の心情を示す表現。」(伊藤1998.132頁)、「春は本来喜びの季節だが、家持はそこに、外界の景から疎外された自己の心情を見出した。」(多田2010.132頁)などと説かれている。誤りである。
(注7)その主題で歌われた歌を家持は歌っている。
奥山の 八峰の椿 委曲に 今日は暮さね 大夫の伴(万4152、大伴家持)
(注8)もともとのヤマトコトバは言葉と事柄とを一致させようと極端なまでに追い求めて具体に即した言語であり、そこから離陸することはなかった。つまり、言葉のなかでのなぞなぞに興じていたのであって、現在の日本語で行われる言語ゲーム、知識の答え合わせであるクイズや記号の演算をくり返す謎解きとは様相が異なっている。
(引用・参考文献)
阿蘇2008. 阿蘇瑞枝『萬葉集全歌講義 第4巻』笠間書院、2008年。
阿蘇2012. 阿蘇瑞枝『萬葉集全歌講義 第8巻』笠間書院、2012年。
石原2007. 石原純子「大伴家持 四二九〇・四二九一番歌について」高知言語文化研究所・愛知大学国語学研究会編『日本語の語義と文法』風間書房、2007年。
伊藤1998. 伊藤博『萬葉集釈注十』集英社、1998年。
岩波古語辞典 大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波古語辞典 補訂版』岩波書店、1990年。
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、1967年。
新編全集本 小島憲之・木下正俊・東野治之校注・訳『新編日本古典文学全集9 万葉集4』小学館、1996年。
黒田2006. 黒田徹『万葉歌の読解と古代語文法』万葉書房、平成18年。
多田2009. 多田一臣『万葉集全解3』筑摩書房、2009年。
多田2010. 多田一臣『万葉集全解7』筑摩書房、2010年。
中西1980. 中西進『万葉集 全訳注原文付(二)』講談社(講談社文庫)、1980年。
日葡辞書 土井忠生・森田武・長南実編訳『邦訳 日葡辞書』岩波書店、1995年。
山﨑2017. 山﨑健司「うら悲しき景─大伴家持の春愁歌の表現をめぐって─」『国語と国文学』第94巻第4号、2017年4月。
山﨑2019. 山﨑健司「萬葉の歌ことばと古代人のこころ─「かなし」をめぐって─」『古代学研究所紀要』第27号、2019年2月。明治大学学術成果リポジトリ http://hdl.handle.net/10291/20551
加藤良平 2026.6.1初出