枕詞「うちなびく」について

 「うちなびく」はウツ(接頭語、動詞「打」からの派生)とナビク(靡)の合成語である。「なびく」との間には意味合いに違いがあるものと考えられる。
 語義としては、まず、枕詞として、①春になると草木がなよやかに靡くから、はるにかかる、という場合と、②なよなよと靡く草の意で、地名くさにかかる、という場合がある。また、動詞として、①しなやかに靡き伏す、横になる、という義と、②物に感じて心がその方に靡く、という義があげられている(時代別国語大辞典120頁)。万葉集では三十一例確認されており、比喩表現のためさまざまな意に受け取り得る。ここでは先行研究に倣って概ね以下のように分類、整理し、便宜的に枕詞の場合は「うちなびく」、動詞の場合は「うち靡く」のように記す。

 (a)春にかかる枕詞
 天降あもりつく 神の香山かぐやま うちなびく〔打靡〕 春さりれば さくらばな しげに ……(万260)
 …… おほ日本やまと 久邇くにみやこは うちなびく〔打靡〕 春さりぬれば やまには 花咲きををり かはには 年魚子あゆこさ走り ……(万475)
 うちなびく〔有知奈毗久〕 春の柳と 我がやどの 梅の花とを いかにかかむ(万826)
 まくづふ かすの山は うちなびく〔打靡〕 春さりくと 山のうへに 霞たなびき 高円たかまどに うぐひす鳴きぬ ……(万948)
 うちなびく〔打靡〕 春きたるらし 山のの 遠きぬれの 咲きく見れば(万1422)
 …… うれしみと 紐の緒解をときて 家のごと 解けてそ遊ぶ うちなびく〔打靡〕 春見ましゆは 夏草の 茂くはあれど 今日けふの楽しさ(万1753)
 うちなびく〔打霏〕 春立ちぬらし かどの 柳のうれに 鶯鳴きつ(万1819)
 うちなびく〔打靡〕 春さり来れば 小竹しのうれに 尾羽をはうち触れて 鶯鳴くも(万1830)
 うちなびく〔打靡〕 春さり来れば しかすがに 天雲らふ 雪は降りつつ(万1832)
 山のに 鶯鳴きて うちなびく〔打靡〕 春と思へど 雪降りしきぬ(万1837)
 うちなびく〔打靡〕 春さりらし 山のの 遠きぬれの 咲き行く見れば(万1865)
 …… かけまくも あやにかしこし かむながら わご大君の うちなびく〔宇知奈妣久〕 春の初めは 八千やちぐさに 花咲きにほひ ……(万4360)
 うちなびく〔宇知奈婢久〕 春を近みか ぬばたまの よひつく 霞みたるらむ(万4489)
 うちなびく〔打奈婢久〕 春ともしるく 鶯は うゑ木間こまを 鳴き渡らなむ(万4495)
 (b)草香にかかる枕詞
 おしてる なにを過ぎて うちなびく〔打靡〕 くさの山を 夕暮ゆふぐれに が越え来れば ……(万1428)
 (c)寝る、臥すに関係する
 阿騎あきの野に 宿る旅人 うち靡き〔打靡〕 らめやも いにしへ思ふに(万46)
 …… 息だにも いまだ休めず 年月も いまだあらねば 心ゆも 思はぬあひだに うち靡き〔宇知那毗枳〕 こやしぬれ 言はむすべ せむ術知らに ……(万794)
 …… 息だにも いまだ休めず 年月も 幾らもあらぬに うつせみの 世の人なれば うち靡き〔宇知奈妣吉〕 とここいし いたけくし 日にまさる ……(万3962)
 …… 世の中の 常し無ければ うち靡き〔宇知奈妣伎〕 とここいし 痛けくの 日に異に益せば ……(万3969)
 (d)玉藻など海藻が関係する
 葛飾の 真間ままいりに うち靡く〔打靡〕 玉藻刈りけむ 手児名てこなし思ほゆ(万433)
 …… 鳥じもの なづさひ行けば 家の島 荒磯ありその上に うち靡き〔打靡〕 しじひたる のりが などかもいもに らずにけむ(万509)
 鯨魚いさなとり はまを清み うち靡き〔打靡〕 ふる玉藻に 朝凪あさなぎに 千重ちへなみ寄せ 夕凪ゆふなぎに 五百重いほへ波寄す ……(万931)
 水底みなそこに 生ふる玉藻の うち靡き〔打靡〕 心は寄りて 恋ふるこのころ(万2482)
 海原うなはらの 沖つ縄苔なはのり うち靡き〔打靡〕 心もしのに 思ほゆるかも(万2779)
 …… 明日香あすかの川の 速き瀬に 生ふる玉藻の うち靡き〔打靡〕 心は寄りて 朝露の なばぬべく 恋しくも しるくもへる こもづまかも(万3266)
 明日香川 瀬々の玉藻の うち靡き〔打靡〕 心は妹に 寄りにけるかも(万3267)
 荒磯ありそやに 生ふる玉藻の うち靡き〔宇知奈婢伎〕 独りやらむ を待ちかねて(万3562)
 (e)黒髪が関係する
 ありつつも 君をば待たむ うち靡く〔打靡〕 が黒髪に 霜の置くまでに(万87)
 君待つと 庭にしれば うち靡く〔打靡〕 吾が黒髪に 霜そ置きにける(万3044)
 (f)心が直接関係する
 今更いまさらに 何をか思はむ うち靡き〔打靡〕 心は君に 寄りにしものを(万505)
 …… あしひきの 山にも野にも ほととぎす 鳴きしとよめば うち靡く〔宇知奈妣久〕 心もしのに そこをしも うらごひしみと 思ふどち 馬打ち群れて たづさはり 出で立ち見れば ……(万3993)

 最も了解しにくいのは、(a)(b)の枕詞としての春への続き方である。春になると草が生えだして靡くからと言われているが、草は長く伸びた後になってようやく風に靡く。五ミリの新芽は靡かない。
 枕詞とされるもの以外は比較的了解されやすい。(c)の例で、寝る、臥すに関係する場合、ただ横になることを指しているのではなく、旅路でやむを得ずに仮眠をとるために横臥することについて使われている。安息できていない点が特徴で、無理やりに臥させている点で「うち・・靡く」という表現が当てられている。(d)の海藻の場合、波に揉まれながら生育しているのであって、海面を越えて屹立するものではない。表現として無理がない。その点は(e)人間の髪の毛が、とりわけ日本人に多い直毛の、腰のない黒髪が長く伸びて行く様に準えるのにかなっており、援用されることは自然な流れである。また、譬えに海藻をとり上げて述べていた人間の心について、媒介となる海藻を言葉で言わずに、(f)のように直接心が靡いていると述べるのも許容範囲内だろう。
 枕詞の「うちなびく」が「春」と絡み合うほどに言葉どうし密接な関係を築いているのか、説得力のある説はこれまでのところ提出されていない。上代の人たちの抱いていた枕詞的思惟に近づかなければ、当該歌の理解だけでなく、「春」についての観念、季節観について語ることもできない(注1)
 枕詞と被枕詞との関係は、今日では不明となっている場合が多く、歌作者が暗記すべき修辞なのものと考えられることもある。ただし、そのような枕詞が生まれた万葉時代に、棒暗記のもとに歌言葉として使われていたとは考えにくい。言葉は、人々の共通理解のもと、一定の意味を担うものとして使用される。とりわけ無文字時代にあっては、文字を介さずに理解する必要があり、一言半句、妥協を許さず互いに納得し合っていることが求められる。「うちなびく」と「春」との間に底知れぬ緊密さが隠されているはずなのである。
 「うちなびく」の「うち」がいまだ動詞の意を含んだものと思われていたならば、「靡く」は元を支えられながら先がしなやかに揺れ動く意だから、直立に対して横方向へ揺れ動くことを誘発するものとして「うつ」(打)という語が結びつけられていると考えられる。そのような「うつ」の語義に弓を打つ意がある。まっすぐな材をたわめて反発力を得るのが弓の機能である。特に和弓独特の反りを作るに当たっては、楔のようなものを槌で打って反りをつけている。そのことを「弓を打つ」という。弓の曲がり具合は材質によって決まってくるが、使い勝手の良さから内と外の両側に竹を用い芯材を挟みこむように作った伏弓(三枚打の弓)が儀礼の場でも戦陣においても用いられるようになる。

合弓(江戸時代、19世紀、東博展示品)

 鈴木2014.に、「[平安初期の射礼の的弓では、]……充分深く引き込むことを必要とするに至り、唐制による合わせ弓からなる彎弓の引き込みに利あるを参看して、木弓の外側にだけを伏せて鰾膠にべ(鹿の生皮で製すのを常とする)をもって合わせたいわゆる伏竹の弓を生じ、的弓には必ずこれを使用することになった。」(358頁)とあり、また、「木質に竹を細く割って、鰾膠をもって練り著けることは、すでに正倉院御物中の鉾の柄に存し、河内の誉田八幡宮所蔵の薙刀の柄もこのように拵えた上に鉄蛭巻を施して、後世ではうちと呼んでおり、……」(359頁)と、その技術、ならびに「うち」と呼ぶことが時代を遡る可能性のあることを示唆している。
 つまり、弓を打つこととは木弓に竹材を伏せることで、それは竹材を貼ることであり、そして、弓弦を張ることで弓の機能が発揮されることになる。的弓でも軍陣でも一斉に構えると総体として弓は曲がって靡くように見える。それが可能なのは、弓を打って作り、貼ることと張ることが行われた結果であり、かくて、枕詞「うちなびく」はハル(春)に掛かるとして尤もなのである。
 「うちなびく」という言葉を弓の用語として捉えている。弓を打つことで一定のたわみを得ながら、反対方向へ強く曲げて靡かせるように弓弦を掛けている。弓弦は時として切れ、切れてしまえば弓は弓でなくなる。弓弦が弓弦としてあるためには、いつでも掛けられるように取って置いてあることが要件である。特にうさ弓弦と呼ばれ、儲けの弓弦である。天皇の位に関していえば、それは皇太子の地位に当たり、儲君まうけのきみとも呼ばれた。皇太子のことは漢名で東宮と言い、五行思想により春宮とも記される。「うちなびく」と「春」の関係を示す文字上の証拠となっている。
 (c)の例では、人の体が臥した体勢になっている。臥しているから伏弓のことがクローズアップされ、竹の節の性質を利用して弓を打っている。弓にある節は、人体が臥すときに関節を屈曲させるのと同じように働いていると見立てている。人を「うち靡く」ように人を無理やり伏させるためにはむちしもと)を使って打ち据えればよい。杖には多く竹木類が使われている。律令では、その節部分が当たるとそこばかり痛めて生傷になることがあるから節を削り取るように指示されている(注2)。しなやかな笞杖ほど、打つ回数、時間は増やすことができる。打たれる人だけでなく、それを目にする観衆にも心理的なダメージを与え、抑止効果も大きいと考えられたようである。いずれにせよ、打たれる罪人の皮膚は腫れあがる(注3)。「うちなびく」という言葉を刑具用語として捉えても、「る」だから同音の「春」に掛かるという次第であった。
 枕詞は意味を多重に分厚く兼ね載せることで成り立っている言葉である(注4)。この「うちなびく」という言葉でも多重の意味を滲出する効果をいかんなく発揮して「春」に掛かっているのであった(注5)

(注)
(注1)渡部1993.では、「冬ごもり春」から「うちなびく春」へと表現が変わって行ったことについて、暦の発想によって景物への関心を深めて行ったと考えている。
(注2)「凡そぢやうは、皆節目削りてよ。」(養老令・獄令)。
(注3)和名抄には次のように釈されている。

 腫 山海経に云はく、㾈〈音は符、一音に府、今案ふるに俗人の所謂る乳㾈、歯㾈は宜しく此の字を用ゐるべし〉は腫なりといふ。野王案ずるに、𤺄〈之勇反、字は亦、腫に作る、波留はる〉は、身体、㿺起し虚満するなりとす。
 疻 漢書音義に云はく、疻〈音は脂、訓は宇流無うるむ〉といふ。杖を以て人を撃てば、其の膚皮に起りて青黒きなり。

(注4)廣岡2005.、大浦2017.参照。
(注5)言葉が何かを説明するためにあるとして、歌のなかでもただその用法に則って使われているだけだとしたら、韻文として扱うには及ばないだろう。「うちなびく春」という言葉遊びから万葉びとの季節観を導き出そうとしても得られるところは少ない。

(引用・参考文献)
大浦2017. 大浦誠士「「枕詞は訳さない」でいいのか」松田浩・上原作和・佐谷眞木人・佐伯孝弘編『古典文学の常識を疑う』勉誠出版、2017年。
新沢2017. 新沢典子『万葉歌に映る古代和歌史─大伴家持・表現と編纂の交点─』笠間書院、2017年。(「大伴家持作「挽歌一首」の表現と主題─「玉藻なす なびき臥い伏し」をめぐって─」『鶴見大学紀要 第1部 日本語・日本文学編』第47号、2010年3月。鶴見大学・鶴見大学短期大学部機関リポジトリ https://doi.org/10.24791/00000017
鈴木2014. 鈴木敬三『武器と武具の有職故実』吉川弘文館、2014年。
廣岡2005. 廣岡義隆『上代言語動態論』塙書房、2005年。
渡部1993. 渡部修「「冬ごもり春」から「うちなびく春」へ─万葉びとの季節観の展開・春の場合─」『国学院雑誌』第94巻第3号、平成5年3月。

加藤良平 2026.3.10初出

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