「高山の峰行く鹿猪(しし)の友を多み」(万2493)考

 万葉集巻十一に、「寄物陳思」として次のような「柿本朝臣人麻呂之歌集」の歌が載る。

 高山の 峰行く鹿猪ししの 友を多み 袖振らずぬ 忘ると思ふな〔高山峯行宍友衆袖不振来忘念勿〕(万2493)

 高山の峰を行く獣のように仲間が多かったので、二人の関係を悟られまいと袖を振らずに来た。あなたのことを忘れていると思わないでね、といった意に解されている。
 問題点として、ここに現れる「鹿猪しし」がシカなのか、ニホンカモシカなのかが議論されていた。旧来のシカ説を否定して「高山」にふさわしいのはカモシカであるとする説(注1)が提唱されたが、むしろ群れる性質があるのはシカであるとし、また、「高山」という表現で言われる山には誇張もあって低山の部類に収まるものも多いから、シカとするのが適当であるとする説が顧みられている。
 検討されるべきは別の点にある。原文において「友」字は西本願寺本などでは「支(𭣔)」となっている。嘉暦伝承本の次点によって「とも」であると校訂されている。同様の例は万2994番歌にも見える(注2)

左:「友?」嘉暦伝承本(国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1143010/1/26)、中:「支」類聚古集(国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1262917/1/99)、右:「支」西本願寺本(国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1242448/1/15)

 「支」字は名義抄に「支 音枝、サヽフ、ハカル、エダ、ヒトシ」、日本書紀に「四支よつのえだ」(雄略紀二年七月)とある。「支」は枝、人間を含め動物の枝とは四肢のこと、また、角があるシカの場合には枝分かれしている角のことを言っていて、大人の雄の鹿を指していることになる。

 高山の 峰行く鹿ししは えだ多し 袖振らずそる 忘ると思ふな〔高山峯行宍支衆袖不振来忘念勿〕(万2493)(注3)
 高山の稜線を進む鹿を見てみると角がたくさん枝分かれしている。同じく胴体から枝分かれしている腕に着けている袖を振らないでここまで来たのだ。狩りの最中だから気づかれないようにと思ってね。決してあなたのことを忘れているなんて思いなさんな。今こうして来ているということは、あなたはもう、成熟した雄の個体である私の獲物なのだから。

 このように理解することではじめて歌の本意は生きてくる。
 「友」説には欠点がある。第一に、比喩として高山の峰を行く獣を取り上げているわけであるが、奈良公園で馴染まれているように、平地を行くのとの違いにより「友」連れの数が多くなるとは思われない。むしろ悪路のために群れはばらけて数は少なくなるだろう。わざわざ比喩表現にした理由が見出せない。第二に、仮にそうであったとしても、「高山の峰行く」ということは稜線沿いに一列渋滞で進んでいることになり、遠くからその姿を見つけたとしてせいぜい五、六頭程度である。「多」いと評することは考えにくい。第三に、「高山の峰行く鹿猪しし」が修飾するのは「友を多み」のみとしている点である。「鹿猪しし」は四足獣で腕がなく「袖振」る者ではない。言葉の意味のつながりがぎくしゃくしている。第四に、鹿類に連れが多いと言ってそれを人のともがらが多いことに譬えることには無理がある(注4)。犬や豚が多産であることから人が双子や三つ子などを産めば畜生腹ということはあるにせよ、人が群れていることはニホンザル同様のこと、鹿や猪、カモシカよりもずっと当たり前、それ以上なのである。数が少ない類を譬えに引いても仕方がない。第五に、友と一緒にいて気恥ずかしいから手を振らないという人は多いかもしれないが、そんなことはお構いなしに手を振るプレイボーイも案外身近にいる。このような言い訳では説得力に乏しい。第六に、生物に対する深い親和感を感じさせると評されるのであるが、人間の心情を動物に仮託して良しとするような表現はほとんど知られない(注5)。人間と野生動物との境界を曖昧にすることは、古代の暮らしにあっては危うい考えとされていたようである。古事記では、国の大祓をしなければならない罪として、人による獣姦があげられている。「馬婚うまたはけ牛婚うしたはけ鷄婚とりたはけ犬婚いぬたはけの罪」(仲哀記)などは大祓の対象となるほど忌避されていた。
 一方、「支」説をとると、言葉の続き方、並び方が流れるようになっていてとても自然である。獣のことを言っていて、枝分かれしている角へと続いている。その枝分かれが多いということは、雄のうちでも子どもの鹿のように枝分かれのない短い角が生えているのではなく、十分に成熟した、繁殖に適した牡鹿のことを指しているとわかる。狩猟に出ている一人称の男性は見かけ、気づかれまいとして微動だにせずに待機している。彼女のことが目に留まっても愛想を振っている場合ではないということである。彼は真剣に狩りという仕事に勤しんでいる。獲物となる動物に気づかれて逃げられるようなしくじりはしない。仕事をおろそかにするような男とは違うのだという矜持さえ示している。
 枝分かれした角を持つ大型の鹿を捕獲した暁にはまるまる解体する。鹿の体はすべて人の役に立つことは、万3885番歌「乞食ほかひひとうた」に歌われているとおりである。角や脚など胴体から出ているところは皆もぎ取る。古語にネグと言った。ヤマトタケルが若かりし頃、兄の大碓命をネグして、つまり、胴体から延びている手足を引きちぎって殺害し、薦に巻いて棄てた話が古事記に載っている。

 天皇すめらみこと小碓命をうすのみことのりたまはく、「何とかもなむちが兄の朝夕あさゆふおほ御食みけに参ゐ出でぬ。もはら汝、ねぎをしへ覚せ」と如此かく詔ひてより以後のち、五日に至るまで、猶参ゐ出でず。爾くして、天皇、小碓命に問ひ賜はく、「何とかも汝の兄の久しく参ゐ出でぬ。し未だをしへず有りや」ととひたまふに、答へてまをさく、「既にねぎつ」とまをしき。又、詔はく、「如何にかねぎつる」とのりたまふに、答へて白さく、「あさかはやに入りし時に、待ち捕へひだきて、其の枝を引ききて、こもつつみて投げてつ」とまをしき。(景行記)
 麻採 祢具ねぐ(新撰字鏡)(注6)

 新撰字鏡のネグの例は、麻の種子を採るためにむしり取ることを言っている。茎から出っ張っているところをすべてこそぎ取ることである。人体でいえば、四肢や頭を切り離してしまうことに当たる。
 狩猟に屠殺は付きものである。今日、スーパーマーケットの店頭に並ぶ精肉はその結実である。解体を考えていて、本体から出っ張っている「支(枝・肢)」に注目している。人間では腕はその一つで、袖を振れば「支」が目立つ。鹿を捕らえて角や四肢を得たかったら、人も同じく「支」に当たるところを鹿に見せないようにするのが肝要である。目には目を、歯には歯を、のように一つ一つの言葉が論理的に構成されている。
 枝分かれした角を持つ鹿が山の峰を進んでいる。稜線のところでは木々が鬱蒼と茂るよりも岩肌が露出していることが多い。木々が繁茂していると木の枝に枝角が引っ掛かってなかなか進めないから、開けたところを選び進む。「友」字ではなく「支」字だから連れ立っているのではない。一頭でも狩りには十分である。
 歌は「高山の峰」で始まっている。万葉集における「高山の峰」の歌には二系列ある。第一は狩猟と関連があるもの、第二は気象と関係するもの(注7)である。次の一首は狩りと関係しており、一首のなかで男女の相聞歌が交わされている。

 赤駒あかごまを うまやに立て 黒駒くろこまを 廏に立てて そを飼ひ が行くがごと 思ひづま 心に乗りて 高山の 峰のたをりに 射目いめ立てて 鹿猪しし待つがごと とこ敷きて 吾が待つ君を 犬な吠えそね〔赤駒廏立黒駒廏立而彼乎飼吾徃如思妻心乗而高山峯之手折丹射目立十六待如床敷而吾待公犬莫吠行年〕(万3278、相聞)

 赤駒を厩に立たせて飼い、黒駒を厩に立たせて飼い、それに私が乗って行くように、私が思う妻は私の心に乗っている。/高山の峰のくぼんだ峠のところに射目となる遮蔽物を設けて、鹿や猪に悟られないように隠れ待つように、床を敷いて私が待つあなたなのに、ああ、犬よ吠えてくれるな、という意である。
 高山の峰について多くの人が共有する認識は実は限られている。巻狩りのような機会でもなければ大勢で山に入って峰まで及ぶことはない。多くの人が我が事のように思えることでなければ、たとえそれが比喩表現であったとしても共感は得られず、ひいては理解もされないことだろう。狩りに勢子として多数参加し、体験を同じくしていたから言葉が通じるところとなる。万3278番歌に「峰のたをりに射目いめ立てて」とあるように、人間がいることを動物には隠して気づかれないようにしている。そして、近づいてきたらすかさず射かけて仕留めようとする。高山の峰に積極的に人がかかわるのはこの狩りのさまを措いて他にない。万2493番歌の比喩表現のなかで袖を振らなかった理由も、狩りの最中にそんなことをしたら獲物を逃すことになると常識として知っていたからで、常識なのだから相手にも通じる。
 ということは、「袖不振来」とあるのは、話主が自覚的にそうしていたということになる。翻ってみれば、女性に対して袖を振らなかった理由は、女性を狩る目的で気づかれずに接近する方法でもあったのである。最後に「忘ると思ふな」で締めくくっている。こうして近づいて二人きりになったということは、狩りが成功したということで、煮るなり焼くなり好きにするよと宣っていると捉えられるのである。比喩で歌い始めておきながら、最後には女性に迫るところまでなだれ込んでいる。比喩が比喩のなかに留まるのではなく、本旨へと浸潤する言い方は、比喩表現のうちでも特に練られた手法であると言えよう(注8)
 この歌の解読史は歴史の大きな流れを心ならずも語っている。
 嘉暦伝承本に載る訓は次点とされ、尊重されている。類聚古集や西本願寺本でも明らかに「支」字に見えても訓としては「トモ」と記される。平安時代、和歌は公家文化のなかに組み込まれることで続いて行った(注9)。貴族の狩猟は鷹狩がもっぱらとなり、大型獣である鹿を狩ることはほとんどなくなっていた。動物の解体事情にも疎くなっていたという背景から、「支(𭣔)」字を「友」と見て文字どおり意改して受け取るようになったようである。飛鳥時代と平安時代では文化が異なる。校訂や訓の変遷が心性の構造的な変化を教えてくれていて興味深い例である。

(注)
(注1)東1935.。
(注2)「支(𭣔)」と「友」は字形がよく似ている。崩し字の「友」の特徴は、二画目で左下に払うか、そこから続けるにしてもかなり左下へ食い込むように書かれる。一方、変体仮名にも転じた「支(𭣔)」字では、二画目が途中で止まって四画目より下に抜けることはなく、三画目へとすぐに続く傾向がある。天平12年(740)の道行般若経(藤原夫人願経、神護寺根本御経)、11世紀の前田本日本書紀、法華経方便品(竹生島経)にもそのようにある。ここにあげた字体は、万2994番歌の例を度外視し、また、訓が与えられなければ皆「支」字と見る可能性が高いのではないか。
 本文文字の異動に関しては他に「宍」か「完」かの違いがあり、その訓みは類聚古集、嘉暦伝承本では「しかの」、西本願寺本では新点で「シヽノ」とある。
(注3)三句目「支衆」は、「……ヲ多ミ」のミ語法にしないほうがいい。ミ語法にすると四句切れになって下手な言い訳の域を脱しない。四句目の「袖不振来」は、「袖振らずぬ」、「袖振らずつ」の二案が提示されて議論されるが、ツとヌの使用には傾向的差異はあっても必ず例外があって決定打とならない。他に、係助詞を伴う例がある。

 …… いらなけく そこに思ひ出 いとしけく ここに思ひ出 いらずそる〔伊岐良受曾久流〕 あづさゆみまゆみ(記51)

 心が痛むことをそこでは思い出し、いとしいことをここでは思い出し、結局、切らずにやって来たのだ、梓弓檀の木を、という意である。このように「……そる」の形を採用すると字余りにはなるものの、意を伝えるのにふさわしい。
(注4)契沖は万葉代匠記で、詩経の「鹿斯之奔、維足伎々」を引いて漢土にも同様の見立てがあることを述べているが、何を言いたいのか不明である。
(注5)万葉集の動物の「友」の表現については拙稿「万葉集における動物の「友」」参照。
 西洋では、人のさまを動物に語らせる積極姿勢をもったイソップ物語が知られるが、古代日本に著名な動物寓話はない。稲羽の素菟の話のようなものは神の話として捉えられている。両者の違いはイソップ物語がわかりやすい幼児向けの寓話であるのに対し、稲羽の素菟の話は何を語っているのか俄かには理解できない点にある。日本書紀には俗の伝承として諺の由来を説くような不思議な話が記されている。話のなかでも「あやし」まれている。

 くにひとへらく、「昔、一人ひとりのひと有りて、菟餓とがに往きて、野の中に宿れり。時にふたつ鹿かたはらに伏せり。鶏鳴あかつきに及ばむとして、鹿しか鹿しかかたりて曰はく、『吾、よひいめみらく、白霜しらしもさはに降りて、吾が身を覆ふと。是、何のさがぞ』といふ。牝鹿、答へて曰はく、『いまし出行ありかむときに、必ず人の為に射られて死なむ。即ち白塩あはしほを以て其の身に塗られむこと、霜のしろきが如くならむしるしなり』といふ。時に宿れる人、心のうちあやしぶ。未及昧爽あけぼのに、猟人かりびと有りて、牡鹿を射て殺しつ。是を以て、時人ときのひとの諺に曰はく、『鳴く牡鹿しかなれや、相夢いめあはせまにまに』といふ」といへり。(仁徳紀三十八年七月)

(注6)拙稿「上代語の「ねぐ(労)(ねぎ(泥疑))」と「をぐな(童男)」について」参照。
(注7)気象にかかわる例は次の二例である。そこに朝霧や白雲がかかるからそう言っている。この場合、遠望していて山に分け入ってはいない。

 我が故に 言はれし妹は 高山の 峰の朝霧 過ぎにけむかも〔我故所云妹高山之峯朝霧過兼鴨〕(万2455、柿本朝臣人麻呂之歌集、寄物陳思)
 さ夜更よふけば 出でむ月を 高山の 峰の白雲しらくも 隠しなむかも〔左夜深者出来牟月乎高山之峯白雲将隠鴨〕(万2332、詠月、冬雑歌)

(注8)むろん、言語活動として歌の表現においてそう言っているだけで、実際にどのような行為に及んだか、男女の間に合意があったかといったこととは次元の異なることである。
(注9)万葉時代の歌われる歌から、ふみに書かれる和歌へと変質している。

(引用・参考文献)
稲岡1998. 稲岡耕二『萬葉集全注 巻第十一』有斐閣、平成10年。
小田2019. 小田勝『実例詳解古典文法総覧』和泉書院、2019年。
蜂矢1961. 蜂矢宣朗「「袖不振來」と「七日越來」」『山邊道』第8号、天理大学国語国文学会、昭和36年12月。
東1935. 東光治「かもしし考」『萬葉動物考』人文書院(京都)、昭和10年。

加藤良平 2026.3.16初出

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