ヤマトコトバ学─素描─

 寒山と拾得は唐代の人で、風狂の僧と呼ばれ、常軌を逸した振る舞いをしていた。何を言っているのかわからない言葉を話していたところ、雲水の豊干はその言葉を理解し、寺の食事係に拾いあげて暮らしたのだという。
 そんなことがあるのだろうか。二十世紀、ソグド語は、キャラバン生活をする一家族内でしか使われなくなったのが最後で、その家族と命運を共にした。それまで営々として嗜まれていたから、確かにあったと言うことができる。それに対して寒山拾得語というのは(仮にあるとすればだが)、ボディ・ランゲージに近いようなものとしては考えられても、言語と呼ぶことはできないだろう。
 言語というのは、それが使われる当該社会に広く行き渡っていなければならない。今日、日本人は日本語を使っている。多くの人がそれを使って互いに意思の疎通を図っている。もちろん、わかる人にしかわからないことも時にはあるが、わからないことのないように留意しながら使うよう有形無形に求められている。それが言語である。早い話、子供にでもわかるようになっている。噛み砕いてわかるように話してあげる努力と同時に、子供の側でもなんとかしてわかろうとする努力が見受けられる。言語の前提として、互いに通じること、わかることが控えている。通用するから言語なのである。
 この国の言語は、概ね奈良時代まで、今日ヤマトコトバと呼ばれるものであった。日本語とヤマトコトバの最大の違いは、漢語やカタカナ語など音をそのまま自言語に引き入れて言葉にすることがあったかどうかである。若干の例外は措くとして、ヤマトでしか使われない言葉を使っていたのがヤマトコトバである。仏教が伝わっても、それを「ブツ」とは言わずに「ほとけ」と言うことにして使っていた。「ブツ」と聞いてもわからない人にわかるようにした新語が「ほとけ」であった。抽象的だと通じにくいから仏像をもって言い表した。金銅仏をはじめ、多くの仏像は中空構造をしている。中身がなくて側だけの代物に土器があり、手のような造形がついているものをホトキ(瓫)と呼んでいた。よく似た姿をしているからホトケ(仏)と名づけて理解を促している。当時は無文字時代であり、大多数が文字(漢字)を読まなかったから言葉の方で工夫していたのである。
 ヤマトコトバを対象として言語学の研究を行う学問がヤマトコトバ学である。ヤマトコトバを十分に理解し、あたかも当時の人であるかのように享受して、彼ら彼女らのものの考え方を跡づけることができれば、ヤマトコトバ学の最終目的地に着いたことになる。当面は、その語彙、文法、音韻、歴史などを研究し、現代語や中古以降の日本語を含めた他の言語と比較しながら、古代の社会や文化のあり様の理解を目指すことになる。人々がどのように言葉を使っていたかを、たまたま文字化されて残されている文献資料で調べていく。対象となるテキストは、奇跡的に書かれ、写本の形で伝わっている古事記、日本書紀、万葉集である。それらを読むことによってヤマトコトバの実情を把握し、ヤマトコトバによる思考に馴染むことが求められる。言語の習得の早道は、習うより慣れろである。
 言語の使用実態に迫ること、それがヤマトコトバ学の第一である。記紀万葉に記されているのは実際に使われていた言葉である。当時、それによって互いに通じ合っていた。ヤマトコトバは文字を持たずに始まった言語で、どれほど長い期間続いてきたかわからないが、縄文時代に言葉がなかったとは考えられないから少なくとも一万年は続いていると思われる。文字を持たなかった時代の言語をヤマトコトバと称してほぼ正しい。文字を持たないという点がヤマトコトバの最大の特徴である。文字を獲得した時、近所に漢字の文明があり、書記法に漢字を採用することになって、ヤマトコトバを漢字で書き表すことにした。書き表しているだけであり、音としてのヤマトコトバが第一である。文字を学んだ人はごく少数だったから、音としてわからなければ言葉がわからない人だらけになって、もはやそれを言語と呼ぶことはできない。テキストとして残されている漢字ばかりの字面に幻惑され、漢字が背負う思想的な背景を重んじて判断しようとするのは大きな誤りである。字面が漢文のように見えているだけのこと、記紀万葉は本来のヤマトコトバを鏡に映した姿なのである。万葉集が万葉仮名を使って記され独特な味わいになっているように、書記時代の最初期に試行錯誤した跡が残されている。似非漢文調の記紀のテキストは、どのように訓んだら正しいのかよくよく吟味してかかる必要がある。
 文字を持たない言語は、端的に言えば、すべて発話という様態をとる。発話は、効力を持ってはじめて発話となり、その時、話し手と聞き手の間で意味が共有され、ヤマトコトバは上代の人たちの実用言語として機能することになる。言葉というものは、それを使う人たちが実際に使っているから機能している。当時の人たちのうち、ほとんどすべての人たちが使うことができた時、はじめて言葉として成り立った。一人の人が何かを言う時、それがいかに高邁なことであれ、あるいは低俗なことであれ、聞く人がわからなければまったく意味を持たない。言語に「私」の言語というものはなく、「我々」の言語としてしかあり得ないのである。相手に通じることをコミュニケーションと呼ぶ。コミュニケーションを意図しない言葉など存在しない。
 ところが、外国語を勉強し始めると奇妙な気分になることがある。学習する「我々」のうちの限られた者しか上手にその外国語を習得できないため、まるで何か難しいところがあるかのように錯覚する。しかし、その言葉を使う国では、子供でもわかる言葉が放送や通信を媒体としたニュースで流れている。友達どうし、親子の間でも、また、マーケットで初対面の人が駆け引きする場合にも、至るところで使われている。通じなければ言葉ではないから当たり前のことである。古くてわかりにくくなっているヤマトコトバも難しいものであるかのように思うことがあるかもしれないが、少数の人しか理解できない業界用語のような言葉が記紀万葉のなかで跋扈しているはずはない。書き残されている記紀万葉のテキストを読んだ人がわからなかったら、そもそもの伝えたいことが伝わらないことになる。精魂込めて文字化したことがすべて無駄になってしまう。伝えるために言葉を使う実用的プラグマティックな言葉の使い手たちが、そのような愚かなことをしたりはしない。コミュニケーションが失敗するリスクをわざわざとることはない。伝えようと思って言葉にし、伝えようと思って文字に書いた。その結果として記紀万葉のテキストは現存している。万葉歌の場合など、少なくとも書き残す前に相手に歌って聞かせたときには、相手ならびに周囲にいる人たちは必ず聞くだけで理解した。だから歌として成立している。古事記や日本書紀の話においても同様である。話して通じたから話として成り立っている。当時の人たちにとって難しいことなど何一つなかった。それが言葉というものである。
 テキストに出てくる漢字が難しそうに見えても、ほとんどすべて、一人よがりなことを言ってはいない。漢字で書いてあり、時として漢籍の文章を丸写ししているようなところがあっても、漢字の字面の背景にある中国の思想を負うことはほとんどない。もし書記者が思想書のように仕立てていたとしても、そうとは知らない他の人にとっては寒山拾得の言っていることのようなもの、探ってみても詮無いことであって、伝わらなったらそれまでなのである。難しくてわからないとしたら、それは暗号か、初めから言葉として成り立っていないものかのいずれかである。当時の「我々」がわかること、子供でも確実に、少なくともいずれはわかるようになることが言葉である。世代が代わっても通じるように作られて使われている。
 テキストとして目にする漢字ばかりの姿はヤマトコトバの鏡像である。どういうヤマトコトバをその漢字に書き表したのか、仮名書きの表記以外は音読みを捨て、なかには今日不慣れな古訓と呼ばれる読み方、意訳にすぎるかと思われる古い時代から伝世されてきた訓読みによって深く読むことが求められる。それが当時の多くの人たちが実際に使っていた言葉、ヤマトコトバに近いものだからである。ヤマトコトバにコフン(古墳)はなく、あるのはツカ(塚)やミサザキ(御陵)である。そう言わなければ伝わらなかったし、そう言うことで tomb 以上の意味合いを含み伝えることができていた。鳥のサザキ、すなわち、ミソサザイが巧みに作る巣のようなものがミサザキである。水に囲まれ出入り口は横の方に一箇所、くぐるようにして中に入る構造をしている。今日、「ふん」を語ることは考古学であり、「陵墓りようぼ」を語ることは歴史学である。「御陵みさざき」を語ることはそれらとは性質を異にする。記紀万葉のテキストに、話(咄・噺・譚)はあっても歴史はない。
 ヤマトコトバは文字を持たないことを最大の特徴としていると述べた。文字を持たないと記録することができない。しかし、記録できずに困っていた形跡はなく、記録する気がなかったと思った方がいいだろう。記録にまさる記憶があった。人々が共通して保有する記憶庫クラウドがしっかりしていれば、わざわざ記録するには及ばない。記録するには文字を知っていて使いこなす能力リテラシーが求められる。一人で終わらず構成員のほとんどが同じように勉強し、習得している必要が生じる。そのために社会は公教育を開始した。システムとして未来永劫、維持していかなければならない。多大なコストがかかる。学校教育というコストを支払って近代社会は成立している。上代の人たちは、むしろ従前のとおり、ほとんどすべての人たちが家庭のなかで、あるいは幼少期のつながりのなかで身につける記憶の能力の方を鍛えた方がうまくいくと思っていた。テストのために棒暗記する能力を向上させることではなく、手がかりになる語呂合わせを言葉のなかで行って、なるほどそうだと悟ることができるネットワークに仕上げてしまったのである。言葉上で回路シナプスをめぐらせておけば、伝えたい内容は確実に、時には誤謬をも楽しみながら伝えていくことができるようになる。方法論的には、知識の進展よりも知恵の深耕を目指したものである。書記される文字ではなく、発話される言葉の方を巧みに拵えていった結果、ヤマトコトバは言語としてとても豊かでうるわしかった。日本語へ引き継がれているのはそのうちのごくわずかにすぎず、やせ細った言語となってしまった。
 誰にでもわかるのが言葉の最低条件である。当時の子どもたちにしても理解できるものだった。共通感覚を保つために、頓智、なぞなぞ、洒落を極めていっている。今、なぞなぞの才能を比べて見れば、大人より子どもの方が優る傾向がある。文字に飼い馴らされずになぞなぞの才能を伸ばした結果として、ヤマトコトバは類い稀な知恵ある言語として成り立っていたのである。結果として、中古以降、現代に至るまで、思考の仕方がそれとは異なっていて相容れないこととなっている。我々にはとてもわかりにくく感じられるのはそのせいである。いざわかるとなると、アハ体験を経て、現代的、科学的な視点からはくだらないと評される。それがヤマトコトバである。当時の人ならほとんどすべての人が難なく理解できた。そうでなければ言語として成り立たないのである。
 言語とは実用、実践である。使われてはじめて言語であり、使用実態しか存在しない。記紀万葉のテキストのなかにある個々の言葉について、その使われている意味合いを文脈に従って理解していくこと、その積み重ねがヤマトコトバ学の基本姿勢である。万葉歌は歌であり、記紀に載っているのは話である。理解するためには予断的前提を持っていてはいけない。初めて耳にする人たちが納得する話について、演繹法で太刀打ちすることはできない。天皇制の正統性を示すために記紀万葉が存在しているという言説は、近現代の人たちが勝手に作り上げて当て嵌めようとするドグマである。子供でもわかる言葉で話され、それを文字に落とし込んで書いてあるのだから、子供にわからないことを持ち出してはならない。同様に、大伴家持の書斎には漢籍が山と積まれて渉猟し尽くしていたというような仮説は、周囲にいてその歌を聞く人たち、舎人や采女のような下働きの人が中国の思想の事情など学習、理解できるべくもないのであって、歌が聞かれた時点で成り立たないものである。わからないことを歌われたら場は白ける。ウケないことであっても言い続け、自ら書き残したのだという仮説も仮説だから立てることはかまわないが、舎人や采女のような人たちにもウケることを言っていたと解明された暁には、そちらの蓋然性が100%であり、正解である。「私」の言語というものはなく、「我々」の言語しかないからである。
 研究対象は子供でもわかる言葉である。ヤマトコトバの研究は、子供にでもできる言語術、少し念の入ったように感じる修辞術レトリックがほどこされた言葉について考えることとなる。実質的には、頓知、なぞなぞ、洒落について明らかにしていくことである。誰でもわかる全然偉くないことが好まれた。言語が音としてしかないのだから当然である。勉強を積み重ね、知識を蓄えなければ理解できないようなことを言ってみても相手には通じない。お話にならないことであって、ならないのであれば話さないのである。記号操作を展開していく思考法は、文字以前の言語には生まれない。文化人類学の観点からは興味深いことだろう。
 宗教改革以前、聖書はラテン語で書かれていて知識がないと接することさえできなかった。今、記紀万葉に残るヤマトコトバも、それと似た様相を呈している。ヤマトコトバをふつうの言葉として復興ルネサンスしなければならない。誰でもわかるものだけが言葉であった時代の言葉とはどのようなものか、手に取って確かめる必要がある。ヤマトコトバは言葉であり、言葉は使用なのだから、ひとつひとつ具体例に沿ってそれぞれどのように使われていたか、そしてそれらの言葉群が組み立てられて結果的に体系となっているところを跡づけることが求められる。幼いみぎり、母語である日本語を使うことができるようになっていった時にしていたのと同じ過程で、ヤマトコトバの言語ゲームのルールをいちいち覚えていくこと、それが動態としての言語をマスターする唯一の道である。もしも今日の考え方を往時へ投影することで何かを引き出すことができるというのであれば、写真で知っている風景を自ら写真に収めるために搭乗して訪れるようなことになってしまい、旅の意義をほとんど知らないままにその気にさせられている愚かなお客さんということになるだろう。

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