万葉集巻二、相聞の歌に舎人皇子と舎人娘子の歌の掛け合いが載る。新大系文庫本の訳(135頁)を添える。
舎人皇子の御歌一首
ますらをや 片恋せむと 嘆けども 醜のますらを なほ恋ひにけり〔大夫哉片戀将為跡嘆友鬼乃益卜雄尚戀二家里〕(万117)
ますらおたる者が片恋などしていいのかと嘆いてはみるが、見苦しいこのますらおめは、いっそう恋しくなってしまった。
舎人娘子の和へ奉る歌一首
嘆きつつ ますらをのこの 恋ふれこそ 吾が髪結の 漬ちてぬれけれ〔歎管大夫之戀礼許曽吾髪結乃漬而奴礼計礼〕(万118)
嘆き嘆いて、ますらおのあなたが恋い慕うからこそ、私の結った髪が濡れてほどけたのですね。
この歌の題詞には「贈」という言葉がなく、宴席で不特定多数を相手に独詠したものと考えられている。誰が和してもいい歌だったが、居合わせた舎人娘子が仮想の恋の歌のなかで恋人に立候補して和したものと解されている。
そのようなあやふやな設定の歌が、宴会の座興として歌われ、戯れられていたのだろうか。「ますらを」の片恋の歌が唐突に歌われたとすると、周囲の人は皇子が何を突然思いついて声を張り上げているのか怪訝に思うのではないか。よく知恵をめぐらせて考えてみて、舎人皇子がそのような歌に詠む必然性が感じ取れなければ、突拍子もない話に人々は付き合うことはできないだろう。それでもここでは和す人がいて、二首をもってその場の雰囲気を知らせている。違和感なく座興が盛り上がっている。
伊藤1995.は、「万葉びとにとって、「恋」は「嘆き」であった。相手を思うて「嘆く」ことは「恋ふる」ことであった。……その中にあって、皇子の「ますらをや片恋せむと嘆けども」はきわめて風変わりだ。「片恋」をすることが「嘆き」であるのが一般であるのに、ここでは「片恋などするものかと嘆くけれどもやっぱり恋してしまう」といい、「恋ふ」と「嘆く」とを別扱いにし対立させている。」(294頁)と疑問点をあげている(注1)。
「ますらを」という語については議論が重ねられてきた(注2)。時代別国語大辞典では「尊敬に値する立派な男子。勇敢で堂々たる男子。……特に武人をいうこともある。」(677頁)とし、用字に「大夫」とある例は「大丈夫」の意で用いられた表記であろうとしている。人麻呂歌集で「健男」「建男」と記されて、剛強の男を意味していたものが、人麻呂作歌以降「大夫」と記されるようになって、官僚としての立派な男子を表す言葉へと抽象化していったとする見方もある(注3)。
「ますらを」という言葉の使用例としては、その半数が恋に陥って弱音を吐くシーンに用いられている。青木2009.は、「「ますらを」であるべき男心が弱くも恋のため失われてしまったことを示すものが、万葉集中六十六例ほどある「ますらを」の歌の中で、約半数を占める。……「ますらを」は剛強であり、雄大であり、のみならず聡明であるべきなのに、女性化してしまうことを歌っている。」(34頁)と指摘している。「女性化」という言葉は、おそらく「めめしい」という言葉と同様の意なのだろう(注4)。また、遠藤1970.は、「ますらを」という言葉は、中央貴族、官人が使うものがもっぱらで農民層についての例がなく、例外的に次の三通りの例が見られるとしている。
(イ)福麻呂が足柄坂における死人に対して。(巻九・一八〇〇)
(ロ)福麻呂・虫麻呂が菟原処女に求婚した男達を処女の口を通して語らせている。(巻九・一八〇一、一八〇九)
(ハ)家持が防人に対して。(巻二十・四三三一、四三三二、四三九八)(167頁)
こういった状況から、「ますらを」という言葉は変容を遂げていった語であるとされ、稲岡1985.の整理により、万葉の「ますらを」の語意を一義に規定するのは難しいと考えられている。稲岡氏は主に時代の流れにおける社会的変動から来る変化を想定している。
これは、収拾がつかないために無理にこじつけた解釈である。「ますらを」という語の出自について、我々が気づいていないだけで、当時の人の間で共通の理解があったと考える。「ますらを」を「健男」(万2354・2376)や「建男」(万2386)と記したことがあり、その用字は景行記に見られる(注5)。
景行記で「健男」と書いているのが誰のことを言っているかといえば、主役のヤマトタケルのことである。ヤマトタケルの事跡と「ますらを」という言葉の間には強い結びつきがあったと考えられる。ヤマトタケルは剛強、雄大、聡明であったが、その一方、熊曽、出雲と征討して来たのにさらに軍衆も与えられずに東征を命じられるのは自分に死ねと言っているのかと泣き言を言ってみたり、随伴していたオトタチバナヒメが走水の海で人柱となって行路の助けとなったことについて東国から帰還する時まで思い続けていて、足柄の坂を登ってアヅマハヤと嘆いていた。この話は人口に膾炙していたものと推測される。ヤマトタケルの二面的な性格をもって「ますらを」という言葉が作り上げられ、人々に理解されていたとするなら、剛強、雄大、聡明である「ますらを」が、(片)恋をし、嘆くことも「ますらを」の一面であり、そこに矛盾や対立は感じられていなかったのだろう。
遠藤氏が例外的と見ている三通りについても、(イ)の足柄坂の行人とは、ヤマトタケルが東国から帰還する際に通った場所柄であり、彼の姿を投影しての形容であり、(ハ)の防人は外征に赴いたヤマトタケルのことを念頭に述べていると知れる。(ロ)については、菟原処女のことは歌中に「うなひ処女」とあり、ウナヒはウナヰと同じで垂髪のことを言っているから、入水したオトタチバナヒメの結髪が濡れてほどけたことを見立てた言い回しと思われる。
すなわち、「ますらを」なのに恋をする、というように「ますらを」と「(片)恋」を対立させて考えることは誤りなのである。ヤマトタケルっぽい性格、「ますらを」だからこそ恋をして、片恋をして、嘆く、それが当然のことなのである。
そう捉えた時、舎人皇子と舎人娘子の歌のやりとりは、ヤマトタケルとオトタチバナヒメの逸話をなぞらえたもので、宴席の場で逸話を再現させた歌であると理解される。参集していた人々はそれを聞いて腑に落ちた。皇子の名が「舎人」とあるのはヤマトタケルに擬しようとする時に、完璧に天皇の命に応じる人としてあるのにふさわしい名であって、他の誰でも同じ内容を歌える立場にはない(注6)。応えた舎人娘子にしても同様で、彼女はヤマトタケルの后たるオトタチバナヒメの役に扮している。トネリ(舎人)という同じ名をもって、一緒に行動している人と見なされるのにかなっている。オトタチバナヒメは、人柱となって海に沈み、七日後に櫛が海辺に流れ着いている。その櫛をもってヤマトタケルは御陵を作って納めた。櫛は髪が海水に濡れたため、結っていたのがほどけたから体から離れて流れ着いたのだった。舎人皇子と舎人娘子は、歌によって即興の寸劇を披露していたわけである。
舎人皇子の御歌一首
ますらをや 片恋せむと 嘆くとも 醜のますらを なほ恋ひにけり〔大夫哉片戀将為跡嘆友鬼乃益卜雄尚戀二家里〕(万117)
「ますらをや」、ヤマトタケルのように片恋に終わり嘆くことになるとわかっていても、頑固にこびりついた「ますらを」らしく、やはり恋することになったのであった。
舎人娘子の和へ奉れる歌一首
嘆きつつ ますらをのこの 恋ふれこそ 吾が髪結の 漬ちてぬれけれ〔歎管大夫之戀礼許曽吾髪結乃漬而奴礼計礼〕(万118)
嘆き嘆きして、「ますら」なる男が恋してくださればこそ、私の結った髪は、オトタチバナヒメ同様、濡れてほどけたものでした。
万117番歌の「嘆友」は「嘆くとも」と、不確実な仮定条件を示す。既に嘆くことは決定づけられていても、そこから逃れられないことを言いたいのである。初句の「ますらをや」は、ヤマトタケルの嘆き節、「あづまはや」を捩っている。原文の「鬼」字は「醜」の省字とされ、「しこ」は頑強なさまを表す。「ますらを」性が頑固にこびりついているさまを「醜のますらを」と言っている。「しこ」について、ののしっている言葉とする説が通行しているが誤りである。
(注)
(注1)伊藤氏は、「ますらを」はめめしい恋などしないということで収拾を図ろうとしている。この考え方は広くとられている。筆者は誤りであると考え論じた。
(注2)研究史については遠藤1970.や稲岡1985.参照。
(注3)稲岡1997.440頁。
(注4)万葉集のなかで、「ますらを」という言葉の使用例の約三分の一を占める大伴家持のそれからは、「ますらを」は天皇の命を体して忠誠を励むものという意識が見て取れ、特に彼は「ますらをの心」という言い方をしており、「必ず大君の命令による平定を意味する辺境赴任の中に示されなければならないものであった……。そしてそれは家持の自意識に内在するばかりでなく、現実に対応する天皇への忠誠を誓う規範的態度として強調しているものと見なければならないであろう。」(吉村2011.108頁)と、もう少しのところまで来ている指摘もある。
(注5)稲岡1985.222頁。
爾くして、其の熊曽建が白さく、「信に然あらむ。西の方に、吾二人を除きて、建く強き人無し。然れども、大倭国に、吾二人に益して、建き男は坐しけり。是も以て、吾、御名を献らむ。今より以後は、倭建御子と称ふべし」とまをす。(爾其熊曽建白信然也於西方除吾二人無建強人然於大倭國益吾二人而建男者坐祁理是以吾獻御名自今以後應稱倭建御子)(景行記)
(注6)同時代に「武皇子」という皇族がいたなら、その人の歌うところとなっていただろう。
(引用・参考文献)
青木2009. 青木生子『青木生子著作集 補巻一 萬葉にみる女・男』おうふう、平成21年。
伊藤1995. 伊藤博『萬葉集釈注 一』集英社、1995年。
稲岡1985. 稲岡耕二『万葉集の作品と方法』岩波書店、1985年。
稲岡1997. 稲岡耕二『和歌文学大系1 萬葉集(一)』明治書院、平成9年。
遠藤1970. 遠藤宏「万葉集作者未詳歌と「ますらを」意識」万葉七曜会編『論集上代文学 第一冊』笠間書院、昭和45年。
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典上代編』三省堂、1967年。
吉村2011. 吉村誠「家持「ますらをの心」考」針原孝之編『古代文学の創造と継承』新典社、平成23年。
加藤良平 2025.4.13初出