次の歌は中学校や高等学校の教科書にも載るよく知られた歌である。残念なことに本当の理解は広まっていない。
多摩川に 晒す手作り さらさらに 何そこの児の ここだかなしき〔多麻河伯尓左良須弖豆久利佐良左良尓奈仁曽許能児乃己許太可奈之伎〕(万3373)
標準的な理解として、「多摩川に曝す手作りの布のように、さらにさらにどうしてこの子がこれほどいとしいのだろう。」(中西1981.248頁)と訳されている(注1)。
基本的な語彙を確認しておく。
「晒す」は布などを何度も水洗いし、日に当てて白くなれた状態にすることである。原義は、風雨や太陽に当たるままにしておくことであるとされている。
「手作り」は麻や苧などで織られた布のことをいう。和名抄に「白糸布 唐式に云はく、白糸布〈今案ふるに、俗に手作布の三字を用ゐる、天豆久利乃沼乃と云ふは是れか〉といふ。 」、新撰字鏡に「苧𬘎 同、除呂反、上、白布細也、苧也、緦也、檾也、絟也、𬘎也、氐豆久利」、名義抄に「苧 テヅクリノヌノ」とあり、万葉集中では他に「日晒しの 麻手作りを〔日曝之朝手作尾〕」(万3791)と見える。
「さらさらに」は副詞「さらさら」に助詞「に」がついた副詞で、「さらさら」は、①今新たに、今更、の意、②新たに新たに、更に更に、この上にもこの上にも、一層、の意、③打消しや否定の語を伴って、決して、絶えて、ゆめゆめ、一向に、の意があげられている。➂は時代がくだってからの用法で上代には使われていない。次の歌は①の例で、年をとった私なんかが今更のこととて恋に遇ったのかなあ、の意である。
石上 布留の神杉 神びにし 我やさらさら 恋にあひにける(万1927)
万3373番歌は②の例で、何度も新たに惚れ直すことが続いている、の意である。
「ここだ」は「幾許」とも書かれ、①こんなにも数多く、②こんなにも甚だしく、の意があり、万3373番歌では形容詞を修飾していて②の意である。
「かなし」は上代には、①どうしようもないほど切なく、いとしい、かわいくてならぬ、②痛切である、何とも切ない、の二つの意が確認されている。一つずつ例をあげる。
…… 父母を 見れば貴く 妻子見れば かなしくめぐし ……(万4106)
世の中は むなしきものと 知る時し いよよますます かなしかりけり(万793)
万3373番歌は、一・二句目は三句目の「さらさらに」を導く序(注2)で、歌の本意は、どうしてこの子がこんなにいとおしいのか、というところにあるとされている。そして、「晒す」と「さらさらに」でサラという音(注3)が、「この子」と「ここだ」にココという音が掛かっていて歌の技巧であると説かれている。音調の快い歌であると評されている。
表面上の理解はそれで合っている。だが、この歌のおもしろさはそこにとどまるものではない。
麻や苧などを材料に織った布のことを「手作り」と言っていた。単に織り上げただけではごわごわしていて色も生成りのままである。それを川などで晒すことで柔らかく白いものに仕上げた(注4)。見た目も実用上も良いものになる。つまり、「手作り」には必ず「晒す」作業が求められた。布に織り上げてからする製造工程の一つとして組み込まれていた。当然のことなのだから歌の言葉の上でも「さらさらに」、さらにさらにという意味の言葉へ続くことはとても自然な成り行きである。
以上が大人の階段を一段のぼった理解である。
二段目はこれまで印象としてわずかに指摘されるにとどまっている(注5)。
どうしてこの歌の舞台は「多摩川」なのだろうか。この歌は東歌で、武蔵国の歌を集めた(「右九首武蔵國歌」(万3381左注))なかにあり、武蔵国は調として布を貢納する国として定められていた。調布という地名もそれに由来する。そこを流れる川の名がタマガハだったから歌に歌われているのだとされている。
では、もし一句目が「利根川に」、「荒川に」、「古川に」、「呑川に」などではこの歌は成立しないのだろうか。成立したとしても興趣が低下することがあるのだろうか。
実は、「多摩川」であることはこの歌の要諦である。
タマガハと聞いて多摩川の存在をよく知らない都の人は、玉のような模様のある皮革のことかと思うことだろう。玉模様の皮のことはよく知っている。バンビの斑紋のある鹿皮である。武具、馬具のほか敷物や外套、行縢などに用いられていた。今、「手作り」の麻や苧の布を晒すことを考えている。ごわごわの肌触りを解消し、肌に触れても大丈夫なように柔らかくする加工である。鹿の皮は衣類として外套や行縢にすることはあっても肌着にすることはない(注6)。
つまり、タマガハなる名を帯びた川で晒した日には、「手作り」の布はごわごわ感が消えることなく良いものにはならないとおちゃらけているわけである。
我々はここに、この歌は漠然とした恋心の歌ではなく、具体的な肌触りを歌った歌であることに気づかされる。
さらに一層この子がこれほどいとしいと思う理由は肌触りがとても滑らかだからである。非常にエロチックな表現である。セックスのたびにローションプレイに明け暮れていたのかもしれない。大人の階段はきちんとのぼれただろうか。
この理解が正しいことは、「何そ」という言い方に表れている。
疑問を呈する際の「何そ(も)」という言い方は万葉集中にこの歌を含めて四例ある。「何」+「そ」(係助詞)(+「も」係助詞)の構成である。「そ」という係助詞を付け加えているところから、新しい発見、新しい認識として相手に表明する意識がある。「何」という疑問詞を新知識、新情報としてあげるということは、それまでは疑問に浮かべることがなかったことについて疑問に浮かべるということで、その実、答えはわかっていることを疑問として相手に突きつける表現である。
鶉鳴く 故りにし郷ゆ 思へども 何そも妹に 逢ふよしもなき(万775、大伴家持)
今となっては鶉の鳴く里になってしまって草がぼうぼうだけれど、その奈良の旧都の頃からあなたのことを思って来たのに、どうしてあなたに逢うすべがないのでしょう、逢ってくださいよ、という意である。逢ってくれない理由はすでにほのめかされている。
鶉がいるのは草丈が伸びた草原である。飛ぶのが苦手で身を守る必要があるから隠れられるところにしか棲息していない(注7)。そんな鶉の習性を引き継いで、彼女は隠れてしまうことに特化しているから逢えないのである。そういうジョークを言いながら相手に逢ってくれろと口説いている歌である。
わが背子に 直に逢はばこそ 名は立ため 言の通ひに 何そそこ故(万2524)
わが背子に直接お逢いしてこそ浮名は立つでしょうが、言葉を通わせるだけでどうしてそれが理由で噂になるのでしょうか、という意である。その理由はすでに匂わされている。
直接逢う時、その逢瀬の現場をパパラッチされなければ気づかれずに浮名の立つことは実はない。それに反して、言葉を通わせることをすれば、つまり、声をあげれば人にたちまちに聞かれてしまう。その時、そぶりを見せないのであればまだしも、「わが背子」と言っているのだから二人の関係が露呈することは明らかである。
熟田津に 船乗りせむと 聞きしなへ 何そも君が 見え来ざるらむ(万3202)
熟田津に船乗りしようと聞いたが、それにつれて、どうして君は見えて来ないでしょうか、という意である。その理由はすでに示されている。
船乗りしようとする場所がニキタヅである。額田王の歌(万8)によく知られている。「熟田」と呼べるような「津」、つまり、船の停泊地なのに陸稲を育てるような畑状態になっているところなのである(注8)。船乗りしようという掛け声は高らかでも、船は座礁(注9)したままだから乗船して待つには及ばない。だからお偉いさんである「君」は窮屈な船には乗り込まないでいる。
以上のように、新たに「何そ」と掲げた疑問は実は改めて言うまでもない理由の知れた問いかけなのである。
万3373番歌でも、タマガハという名のところで晒していたのでは麻や苧の糸を使って織り上げた布は柔らかくなるはずはないのであり、そんな「手作り」の肌着と違い、さらに一層いつも肌身に触れていたいと思うほどにこの子の柔肌がいとおしいものに思われると歌っている。
古代の人の気持ちはおおらかだった。奔放な性的描写をレトリックゆたかにやってのけている。大人の階段をのぼりきったところで名歌の鑑賞は始まる。
(注)
(注1)梶川2015.は、「一首をあえて過剰に現代語訳すれば、以下のようになる。多摩川の清らかな流れに、愛おしく思う娘が一心に晒している手作りの白い布の、さらさらという音が心の中で増幅され、さらにさらにと恋情が募って行く、どうしてこの子が、私をこんなにも胸苦しくさせるのか、さらさらという音が耳について、心がかき乱され、耐えられないほどだ、といったところ。一途な恋をうたったもので、実に純な男の歌に見える。」とする。「かなし」は②の意でとり、恋に身を焼いて煩悶していると解している。しかるに、そんなことを訴えられても聞いてなどいられないのではないか。
(注2)三句目までを序、三句目からを本旨とし、「さらさらに」は両者掛かっているととる説もある。「二重になる部分が擬音から意味のある語への転換部である。」(近藤2012.17頁)。
(注3)「さらさらに……格別にの意だが川の流れのサラサラや、手織りの布のサラサラにも通ずるようだ。」(稲岡2006.458頁)とある。なお、古代音のサは破擦音 tsa に当たるとされる。
(注4)かつてこの歌には労働歌であるとする見方があった。
(注5)「この児─コノは近称の指示語。話し手が自ら手に持つ物をさす。抱擁している時などの気持を歌ったものであろう。」(新編全集本萬葉集465頁)、「抱いても抱いても、なおいとしさの尽きぬ男心をうたった歌である。相ともに寝てある時の感慨。」(伊藤1997.313頁)とある。
(注6)皮の手袋のように直接肌に触れるものもないわけではなく、丈夫であることの要請から利用されている。下の結論にあるとおり、肌着として取り上げる際にいちばん検討されるべき肌着は、大切なところを覆うパンツ、パンティ、ショーツの類である。鬼の下着と認識された。
(注7)鶉が出てくる歌は、「い這ひもとほり」(万199・239)、「夕狩に……踏み立て」(万478)、「古」(万1558・2799・3920)、「草刈り」(万3887)といった語で形容されている。草が生えて隠れられる状況であることが必ず表されている。
(注8)ニキ(和・熟)はアラ(荒・麁)の対義語である。ニキがナギ(凪)に通じるとする説で考えると、必ず凪いでいる田とは水のない田、窮極のところ畑(畠)ということになる。
(注9)古代、準構造船と呼ばれる大型船は、潟湖などで干潮時に取り残されるようにするのが安定した停泊形態であった。船体の損傷のリスクが最も低いのである。
(引用文献)
伊藤1997. 伊藤博『萬葉集釈注七』集英社、1997年。
稲岡2006. 稲岡耕二『和歌文学大系3 萬葉集(三)』明治書院、平成18年。
梶川2015. 梶川信行「研究へのいざない 万葉歌を読む21 教科書の中の万葉歌─東歌を読む─」『語文』第153輯、日本大学国文学会、平成27年12月。
近藤2012. 近藤信義『コレクション日本歌人選022 東歌・防人歌』笠間書院、2012年。
新編全集本萬葉集 小島憲之・木下正俊・東野治之校注・訳『新編日本古典文学全集8 萬葉集③』小学館、1995年。
中西1981. 中西進『万葉集 全訳注原文付(三)』講談社(講談社文庫)、1981年。
加藤良平 2026.6.30初出