ウケヒ考

 ウケヒについては、スサノヲ(須佐之男命、素戔嗚尊)とアマテラス(天照大御神、天照大神)の子生みのウケヒの場面を中心に多数論じられている。本稿では、上代の文献に残されている例を確認しながら当時の人たちが考えていたウケヒの論理について検討する。ウケヒという語は専門用語や業界用語ではなく、一般に用いられていた言葉である。したがって、語釈はできても定義として定められるものではない。それでも、使われている用法や語の形成を類推し帰納して行くことで本来の意味がどのようなものであったのか概観することは可能だろう。
 古典基礎語辞典は、動詞「うけふ」(誓ふ・祈ふ)を、「一定の条件のもとに神意や真実を問う意。連用形名詞ウケヒは、上代に行われた占いの一方法。占って現れた結果が甲ならば神意がある、もしくは真実であるとして可あるいは勝ち、乙ならば神意でない、もしくは真実でないとして不可あるいは負けと決めておき、占いを実行して出現した現象が甲か乙かによって事を判断する法。後には、ただ神に祈る意となり、中古に至ると、人の不幸を祈る意、呪う意に転じた。」と解説し、「①神に対して先に条件を提示し、実際の現象を見て神意を判断する。……②神意あるいは真実であるか否かを示す証拠として、あることが起こる。……③神に祈る。……④呪う。……⑤人に悪いことが起きるようにと意地悪く思う。」(172頁、この項、筒井ゆみ子)とそれぞれの意味合いを語釈している。①②にはともに古事記の例、③には万葉集の例(注1)、④⑤には中古の例を載せている。①が原義で転義した②を含めたのが最初期のウケヒ(ウケフ)である。
 白川1995.は語の形成から説き起こす。「うけふ〔誓〕」は「「受く」「諾うく」の再活用形。神に祈って占った結果について、これを受け従う意。その選択を神にゆだねる占いの方法として、「うけひがり」などが行なわれた。類義語の「ちかふ」は「ちぎる」と同根の語で自己詛盟をすること。「のろふ」は他に呪詛が及ぶように祈ることをいう。」(142頁)。この解釈の問題点は、記紀の用例に必ずしも占いの結果に受け従っていない例が見られること、また、「神」の観念を前提に解釈すべき言葉なのか不明瞭な点である。ウケヒに特化した神は知られない(注2)。
 これら辞書類に対して、言葉の持つ論理的構造に近づこうとした考えが土橋1989.にある。「……ウケヒは過去・現在・未来の知ることのできない「真実」(「神意」ではない)を知るための卜占の方法として、また誓約(約束すること)を「真実」なものにするための方法として、実修される言語呪術であり、「もしAならば、A´ならむ」という形式は、「こう言えば、こうなる」という言霊信仰に基づく呪文の形式にほかならない。従来ウケヒを「真実」でなく、神意を知るための方法と解してきたのは、第一に呪術としての卜占の結果を神意の現われとする偏った宗教観念に災されたためであり、第二に「祈」「禱」などの漢字表記に惑わされたためである。」(55~56頁)。
 ウケヒの基本的な位置づけとして、土橋1989.のいう「こう言えば、こうなる」という考え方は、表面的にはほぼ当たるだろう(注3)。だが、呪術師がいたわけではなく呪術とは認めがたい。また、「スサノヲの尊の心が潔白(A)であるなら、生まれる子は男神(A´)であろう。スサノヲの尊の心が邪悪(B)であるなら、生まれる子は女神(B´)であろう。」(土橋1990.180頁)ということが、「男尊女卑の観念に基づくものであることは言うまでもない。」(182頁)といった判断に飛躍してしまっている。ウケヒの本質が他の観念に保証されることになってしまう。また、ウケヒにおいて、「もしAならば、A´ならむ」ということを、「「もしAならば、A´である」「もしBならば、B´である」という形式をもつ二者択一的な言語呪術である。」(山口2005.171頁)と定位していいかも疑問である。論理学的に二者択一とはなっておらず、言説として成り立ち難い。ただ、これらの議論は多くのことを教えてくれている。ウケヒは言葉を用いた占いであること、そして、占いは未来予想のためのものであったことである(注4)。
 記紀のウケヒの例を拾い見る。

 ①スサノヲとアマテラスの天真あまのま名井なゐのウケヒ
 [素戔嗚尊すさのをのみこと]対こたへて曰のたまはく、「請こふ、姉なねのみことと共に誓うけはむ。夫それ誓約うけひの中みなかに、〈誓約之中、此には宇気譬能美儺箇うけひのみなかと云ふ。〉必ず当まさに子みこを生むべし。如もし吾やつかれが所生うめらむ、是女たをやめならば、濁きたなき心有りと以為おもほせ。若もし是男ますらをならば、清きよき心有りと以為せ」とのたまふ。(神代紀第六段本文)
 ②大山おほやま津つ見神みのかみが二人の娘を奉った理由を述べるウケヒ
 爾しかくして、大山津見神、石長いはなが比売ひめを返したまふに因りて、大いたく恥ぢ、白まをし送りて言はく、「我が女むすめ二ふたり並べて立て奉りし由ゆゑは、石長比売を使はさば、天神あまつかみの御子の命みいのちは、雪零ふり風吹くとも、恒つねに石いはの如く常ときはに堅かちはに動かず坐いまさむ。亦、木花このはな之佐久夜比売のさくやびめを使はさば、木の花の栄ゆるが如く栄え坐さむと、うけひて貢進たてまつりき。此かく、石長比売を返さしめて、独ひとり木花之佐久夜毘売のみを留めたまふが故に、天つ神の御子の御寿みいのちは、木の花のあまひのみ坐さむ」といふ。故かれ、是を以て今に至るまで、天皇命等すめらみことたちの御命みいのち長くあらざり。(記上)
 ③木花開耶姫このはなのさくやびめが出産する際のウケヒ
 木花開耶姫、甚だ慙恨はぢて、乃すなはち無戸うつ室むろを作りて、誓うけひて曰はく、「吾やつこが所娠はらめる、是若し他神あたしかみの子ならば、必ず不幸さいはひなけむ。是実まことに天孫の子みこならば、必ず当に全またく生きたまへ」といひて、則ち其の室むろの中に入りて、火を以つけて室を焚やく。(神代紀第九段一書第二)
 ④神武天皇の夢占のウケヒ
 天皇すめらみこと悪にくみたまふ。是こ夜よひ、自みみづから祈うけひて寝みねませり。夢みゆめに天神あまつかみ有まして訓をしへまつりて曰のたまはく、「天あまの香山かぐやまの社やしろの中の土はにを取りて、〈香山、此には介遇夜摩かぐやまと云ふ。〉天平瓮あまのひらか八十枚やそちを造り、〈平瓮、此には毗邏介ひらかと云ふ。〉幷あはせて厳いつ瓮へを造りて天神地祇あまつやしろくにつやしろを敬ゐやまひ祭れ。〈厳瓮、此には怡途背いつへと云ふ。〉亦厳呪詛いつのかしりをせよ。如此かくのごとくせば、虜あた自おのづから平むき伏したがひなむ」とのたまふ。〈厳呪詛、此には怡途能伽辞離いつのかしりと云ふ。〉天皇、祇つつしみて夢みゆめの訓をしへを承うけたまはりたまひて、依りて将に行ひたまはむとす。(神武前紀戊午年九月)
 ⑤椎しひ根津ねつ彦ひこの行き過ぎるウケヒ
 時に椎根津彦、乃ち祈うけひて曰はく、「我が皇きみ、能よく此の国を定めたまふべきものならば、行ゆかむ路自づからに通れ。如し能あたはじとならば、賊あた必ず防禦ふさがむ」といふ。言ひ訖をはりて径ただに去いぬ。(神武前紀戊午年九月)
 ⑥神武天皇の天下平定の可否のウケヒ
 天皇すめらみこと、又因よりて祈うけひて曰のたまはく、「吾われ今当まさに八十やそ平ひら瓮かを以て、水無しに飴たがねを造らむ。飴成らば、吾必ず鋒刃つはものの威いきほひを仮らずして、坐ながらに天下を平むけむ」とのたまふ。乃ち飴を造りたまふ。飴即ち自づからに成りぬ。又祈ひて曰はく、「吾今当に厳いつ瓮へを以て、丹生之にふの川かはに沈めむ。如もし魚いを大おほきなり小ちひさしと無く、悉ふつくに酔ゑひて流れむこと、譬たとへば柀まきの葉の浮き流るるが猶ごとくあらば、〈柀、此には磨紀まきと云ふ。〉吾必ず能く此の国を定めてむ。如し其れ爾しからずは、終はたして成る所無けむ」とのたまひて、乃ち瓮いつへを川に沈む。其の口、下しもに向けり。頃しばらくありて、魚皆浮き出でて、水の随ままに噞喁あぎとふ。(神武前紀戊午年九月)
 ⑦本牟智和ほむちわ気けの御子みこのための出雲参拝の効能試しのウケヒ
 故かれ、曙立王あけたつのみこに科おほせて、うけひ白まをさしめしく、「此の大神を拝をろがむに因りて、誠まことに験しるし有らば、是の鷺巣池さぎすのいけの樹きに住む鷺さぎや、うけひ落ちよ」と、如此かく詔のりたまひし時、其の鷺、地つちに堕おちて死ぬ。又、詔はく、「うけひ活いけ」とのりたまひ、爾くして更さらに活く。又、甜あま白檮之かしの前さきに在る葉は広熊びろくま白檮かしをうけひ枯かれしめ、亦、うけひ生いかしむ。爾くして、名を其の曙立王に賜たまひて、倭者やまとの師し木きの登と美豊朝みのとよあさ倉くらの曙立王あけたつのみこと謂ふ。(垂仁記)
 ⑧垂仁天皇の佳人遭遇のウケヒ
 天皇すめらみこと、玆ここに、矛みほこを執とりて祈うけひて曰のたまはく、「必ず其の佳人かほよきをみなに遇はば、道路みちに瑞みつ見えよ」とのたまふ。行宮かりみやに至ります比ころほひに、大亀、河の中より出づ。天皇、矛を挙げて亀を刺したまふ。忽たちまちに石に化為なりぬ。左右もとこひとに謂かたりて曰はく、「此の物に因りて推おしはかるに、必ず験しるし有らむか」とのたまふ。仍よりて綺かむはた戸辺とべを喚めして、後宮うちつみやに納めしいる。(垂仁紀三十四年三月)
 ⑨景行天皇の土つち蜘蛛ぐも退治のウケヒ
 天皇すめらみこと祈うけひて曰はく、「朕われ、土蜘蛛を滅ぼすこと得えむとならば、将まさに玆この石を蹶くゑむに、柏かしはの葉ひらでの如くして挙あがれ」とのたまふ。因よりて蹶ふみたまふ。則すなはち柏の如くして大虚おほぞらに上あがりぬ。(景行紀十二年十月)
 ⑩神功皇后の征西の志を固くするウケヒ
 是に、皇后きさき、針を勾げて鉤ちを為つくり、粒いひぼを取りて餌ゑにして、裳みもの縷いとを抽取とりて緡つりのをにして、河の中の石いその上に登りて、鉤を投げて祈うけひて曰のたまはく、「朕われ、西にしのかた、財たからの国を求めむと欲おもほす。若もし事を成すこと有らば、河の魚いを鉤飲くへ」とのたまふ。因りて竿を挙げて、乃ち細鱗魚あゆを獲えつ。……皇后、橿日浦かしひのうらに還かへり詣いたりて、髪みぐしを解ときて海わたに臨みて曰はく、「……是を以て、頭かしらを海水うしほに滌すすがしむ。若し験有らば、髪自おのづからに分れて両ふたつに為なれ」とのたまふ。即ち海に入りて洗すすぎたまふに、髪自づからに分れぬ。皇后、便ち髪を結分あげたまひて、髻みづらにしたまふ。(神功前紀仲哀九年四月)
 ⑪麛坂王かごさかのみこ・忍熊王おしくまのみこの二王が謀反を起こした時のウケヒ
 時に麛坂王・忍熊王、共に菟餓野とがのに出でて、祈狩うけひがりして曰いはく、〈祈狩、此には于気比餓利うけひがりと云ふ。〉「若し事を成すこと有らば、必ず良き獣ししを獲む」といふ。二ふたりの王みこ、各おのおの仮庪さずきに居まします。赤き猪ゐ忽たちまちに出でて仮庪に登りて、麛坂王を咋くひて殺しつ。軍士いくさびと、悉ふつくに慄おづ。忍熊王、倉くら見み別わけに謂かたりて曰はく、「是の事、大きなる怪しるましなり。此ここにしては敵あたを待つべからず」といふ。則ち軍いくさを引きて更さらに返りて、住吉すみのえに屯いはむ。(神功紀元年二月)

 上に述べたように、ウケヒという語はある事が起こるならその兆しがあると決めたことを予め言っておいて、その予兆をもとに本当かどうかを判断しようとしたものである。何のために占うかといえば、何ごとか願い祈ることがあるからである。もちろん、天命については占いの対象とはならず(注5)、人事のことについて悩み惑い困った時に行うのが本来である。とはいえ、実際のところ祈り願う占いなのだから、ウケヒと称していても単なる祈りや願い、占いと変わらないことが起こる。④の「ウケヒ寝」は願掛けをして寝て夢のお告げを乞うものだろう。また、⑤の椎根津彦のウケヒは、敵中を通過する時に自ら気合いを入れるために行ったものに思われる。ウケヒには自らを奮い立たせる性格もあるから、その特徴を表すために使われていると考えられる。
 ①のスサノヲのウケヒ中、必ず子どもを生み、自分が生んだ子が女の子だったら濁い心があると思ってくれていい、男の子だったら清き心があると思って欲しい、という提題をしている。心の中など他からはわからない。その分からないことをウケヒによって知れようとするスサノヲの魂胆たるや凄まじいトリックである。まんまと騙されてウケヒに付き合わされているアマテラスも情けない。紀にはきちんとそれがウケヒそのものではないことが記されている。訓注に、「誓約之中、此云二宇気譬能美儺箇一。」とある。ウケヒの最中と言っている。ウケヒは、ウケヒとして言立て、実験して結果を得、前言したウケヒの言葉から兆候を判断をする。ところが、ウケヒノミナカということは、試している時、子生みをしているときもウケヒノミナカ・・・であるから、解釈は変更可能になる。試験の結果は出るが、合格ラインを決めていない。出来事の括り方、括弧のつけ方がそのままではなく、外から、後からなされることに含みを残してごまかしている。この「中」という添付語は、心の中に及ぶことを含意するのだろう。女の子を生んだら濁い心がある、男の子を生んだら清い心がある、という断定ではなく、そう思ってくれればよい(「以為」)と言っている。心の中を探るのに、「以為」以上のものはなく、完璧なモラリストどうし以外には絶対ということはない。確定できないことをはっきりしない手段で相手にわからせてあげようとしたのが、このウケヒノミナカのウケヒである。印象操作のマニピュレーター、スサノヲの詭弁に活用されている所以である。結果の異なる異伝がいくつも併存することにつながっている(注6)。
 ②の大山津見神のウケヒについては、大山津見神の語りとして構成されている。ウケヒをしたときに内容が公表されているわけではなく、対しているホノニニギが聞き及んでいるものでもない。後になって、実はこれこれこういう事情でなどと訴えられても困る。一方的なウケヒと言え、その点だけでもウケヒ本来の姿ではない。公言性がないからいくらでも嘘が罷り通る。ウケヒは言=事であるとする前提のもとに成り立つが、言葉が浅薄になったら立脚点が失われて何の意味があるのかわからなくなる。
 話としては、石長比売を使ったら天神の御子の命は風雪に耐える石のように堅く動かない、木花之佐久夜比売を使ったら木の花の栄えるように栄えている、とウケヒの言葉として予め言っておいて差し上げたのだから、石長比売を返して木花之佐久夜比売だけを留めた日には、天神の御子の命は、木の花のあまひのみありましょう、即ち、天皇らの寿命は短くなるでしょうというものである。ウケヒという概念を用いた大山津見神のお話である。石長比売を使ったら……坐さむ、木花之佐久夜比売を使ったら……坐さむ、というウケヒをしている。将来こうなるのなら今こうなるだろう、という本来のウケヒの形ではなく、今そうしたら将来そうなるだろうと推量している。
 石長比売と木花之佐久夜毘売とが、男と女のように対立する二者択一の概念、ないし、集合と補集合の関係にあるとは考えにくい。女性の容姿について捉えるとき、一般的な物差しとしては偏差の問題であろう。美人タイプとかわいいタイプの違い、縄文顔と弥生顔の違いは理解されていたことだろう。もちろん好みというものもある。二項対立に当てはまるものではないけれども、結論として、大山津見神の言葉に、「木の花のあまひのみ坐さむ」という感慨が浮かんでいる。逆に、木花之佐久夜毘売を返して石長比売だけを留めたらどうなっていたか。「石長のあまひのみ坐さむ」となっていたのではないか(注7)。木花之佐久夜比売だけでも石長比売だけでも良くないから、「我之女二並立奉」ったのだろう(注8)。
 ③の木花開耶姫の自分の子の素性を証明するためのウケヒは、「甚以慙恨」とあり、嘘偽りのないことをウケヒで表そうとしたものである。疑う方が間違っていると訴えるための方便で、事実無根の疑いを晴らすために行っている。つまり、ウケヒという形式を借りた自己弁護である。今昔を問わず、あらぬ疑いをかけられた際、身の潔白を証明するほど難しく面倒くさいことはない。電車内の痴漢冤罪に対してウケヒで対抗できるのか筆者は知らない。
 ⑥の神武天皇のウケヒについて、戦わずしての天下平定を祈り、奇妙な占いを実践している。水なしで泥団子(「飴」)を作ろうとしたり、素焼きの器を川に沈めて魚を中毒死させようとしている。これが呪術であるのか、土壌に詳しくて土の組成を熟知していることを語るのか不明である。ウケヒとしてのみ考えても、泥団子はできたし魚は中毒死したが、それが天下平定という結果につながる話として続いているようには読み取れない。後考を俟つことにする。苦しい行軍の途上、希望の光を求めようとウケヒをした気持ちだけは伝わる。
 ⑦の曙立王について、彼はウケヒマジシャンではないかとさえ思われる。命題の提示の仕方において、①のスサノヲや⑥の神武天皇の「厳瓮」のウケヒの言い方を模倣するなら、霊験あらたかならば鷺は落ちよ、霊験あらたかでないならば鷺は活きよ、と言うべきだろう。しかしそうは言っていない。ウケヒ本来の言語術とは言い難い。霊験あらたかなら落ちよ、または活きよ、葉広熊白檮は枯れよ、または生きよ、とその場その場で言い換えている。目の前に自分の言うとおりになるなら、出雲大神へ参拝すると御子は口がきけるようになるだろうと言うために言っている。このウケヒはうまく行ったことになっていて、ご大層な名を賜っている。とはいえ、言ったとおりにすることは鷺に縄をつないでおいて操ればできないことはなく、カシの木の場合、一定期間水がかからないようにすれば葉は枯れ落ち、日を空けずに水をやれば再び葉は出てくる。派遣される任にふさわしいところを見せるための筋立てになっているようである。
 ⑧のウケヒは、綺戸辺という美人を顕彰するためのお話だと思われる。顔が美人でスタイル抜群な美少女に遇うことを、亀が石に変わる出来事に遭遇することを絡めて論っている。話の展開のためにウケヒの設定にしている。ウケヒは前もって言葉にして言うことが必須である。口に出す時にうまく喋れないことを「噛かむ」という。カムハタトベ(綺戸辺)やカメ(亀)など、噛むことにまつわる音の連想から一口噺を構成している。上代の人々の記憶庫に収蔵されたヤマトコトバの辞書の例文のような逸話である(注9)。
 ⑨のウケヒは、土蜘蛛を滅ぼすことができるなら、この石を蹴ったら柏の葉のようにあがれ、とウケヒの前言として言っておいて蹴ってみたら大空にあがった、というものである。本来のウケヒの姿である。もし柏の葉のように上がらなかった時、全然上がらなかった時はもとより、少ししか上がらなかった時などについて、前もって言明はしていない。けれども、ウケヒを条件文として読むと、柏の葉のように上がらなかったときはすべて、土蜘蛛を滅ぼすことはできないことになる。かといって、土蜘蛛によってこちらが滅ぼされるかといえばそのようには言明していない。引き分けは可とする予防線を張っておいてあるのが、このウケヒの特徴であるように思われる。
 ⑩の神功皇后のウケヒ、征西がうまくいくのなら河の魚は釣針にかかれ、と言ったらアユが釣れた、というのも、本来のウケヒの姿である。⑨と同じタイプである。不思議なのは、一度ウケヒをして大丈夫とわかっていながら、二度目があるように解されている点である。頭を海水につけて確かな証拠があるなら、髪は自然に五分五分に分かれよ、と言ってみたらそうなったから、結果、双髻に結ったというのである。男装できて戦闘態勢が整ったという解釈にはなるが、それは、「こう言えば、こうなる」式に順々に仕事が運んで行ったというだけのことではない。二度目の洗髪儀式がいわゆるウケヒに当たるのか、筆者には疑問である。一度目は「祈ひて曰はく」とあり、二度目は「曰はく」としかない。改まったウケヒの形式を踏んでいないのである。ウケヒをするよという言明がないと、ウケヒかどうかわからない(注10)。言葉を省略した念押しのウケヒと捉えてしまうと、ウケヒそのものの信憑性を自ら否定することになりかねない。ここではウケヒではないとしておく。
 一回目のウケヒの結果で分かったこと、河の魚が釣針にかかったことは、征西がうまくいくことを絶対に保証するとは言えない。逆は必ずしも真ならず、である。この点は次の⑪において説明する。
 ⑪のウケヒ狩りはウケヒの原型に当てはまる。もし今度の謀反事がうまくいくのなら、今、狩りをして良い獲物が獲られるだろう、と前言して狩りに臨んだところ、逆にイノシシに殺されてしまった。そこで、これは悪い兆候であると考えている。将来のことを現在の事案で占っている。この命題の提起の仕方は、まず今の仮定、p:狩りをして良い獲物が獲られない、そして将来の結論、q:謀反を起こしてうまくいかない、を結んだ「pならばqである(p→q)」という条件文の対偶「qでないならばpでない(~q→~p)」である。謀反を起こしてうまくいかないのでないならば、狩りをして良い獣は獲られないのではない、を解き起こした条件文がウケヒの言葉になっている。将来の予測として現在のウケヒという占いが存在するのは、対偶が真であるからに他ならない。逆や裏は必ずしも真ではない。言葉を操るうえで、条件文の対偶は真であると知ることによって、将来のことなど分かりはしないが、条件文の対偶は必ず真であるから、それを活用して占ってみようという気持ちが生まれている。それがウケヒである。(p→q)を真とすると、(~q→~p)も真ということになる。そして、将来のことが今わかる、とは、今、仮にわかるということ、仮にわかるから「狩り」なのである。ウケヒがウケヒ狩りという形態をとった理由はそこにある。
 将来の征西や謀反がうまくいくならば、今からする釣りや狩りがうまくいく、と言こと立だてているのであり、今からする釣りや狩りがうまくいくならば、将来の征西や謀反がうまくいく、とは言っていない。すなわち、論理学を用いた占いがウケヒの始まりであったと考えられるのである。そう思っていた上代人、日本書紀の執筆者が、意味の近い字義である「誓」や「祈」という漢字を当てて記した。言葉を宣誓的に発する占いであり、祈願を言葉に露わにする占いであったからである。その点が、「こう言えば、こうなる」式の考え方とはそもそも次元が異なるところである。「こう言えば、こうなる」がすべて当てはまるなら、ウケヒという手続きは不要でわあわあと言い立てればすべてその通り思いのまま実現するだろう。声の大きな人の言うことばかりが実現してしまうことはよく目にするところではあるが、そのために世の中に不満がくすぶることもしばしばである。むろん、そのことと今考えているウケヒとは無関係である。
 上代には、言=事であること、「こう言ったら、こうするようにする」、「こうなっていたら、こう言うようにする」というように、言葉を使うよう志向していた。文字を背景にして言葉が使われていたのではない場合の言葉の使用は、その場その場で社会秩序を促進する方向を向いていたことになる。近代の用語に準えるなら、社会は法の支配ならぬ言葉の支配を負っていたのである。ウケヒとは、言葉の支配に基づいた古代の論理占術であった。

(注)
(注1)万葉集にある四例(万767・2433・2497・2589)のウケヒの語は、希望に反した結果を示しているだけで、単なる願いの意である。古典基礎語辞典の「③神に祈る」意味合い以上のことを見出すことはできず、実態まで把握できるものではない。拙稿「万葉集のウケヒと夢」、「万葉集2433番歌「如数書吾命」とウケヒについて」参照。
(注2)木村2026.も「「受く」に相互作用の意を添える古い助動詞「フ」がつ」(36頁)いた形を語源と見、「人が神の意をウケ、神は人の意(願い)をウケる、といった神人交信にかかわる言葉」(208頁)としている。神人交信の語がどのようにして前言を要する将来予測の占いになるのか説明はない。
(注3)「こう言えば、こうなる」ということについては、条件反射的な反応をして号令に従った行動をとることや、いわゆる予言の自己成就的な側面などは認められはするが、今日の学説にそれを言霊ことだま信仰と呼んで正当化する一派がある。言霊という語をひとり歩きさせ、言葉には呪力があって畏れ多いものであるとしている。しかし、それでは、言葉というものが本質的に持つ自由度を見失うことになる。呪力があるから四千五百首もの歌を万葉集は抱えているのか、呪力とは無関係だからそうなのか、素人目にも明らかなのではないか。言霊という語について再検証する必要がある。拙稿「上代語「言霊」と言霊信仰の真意について」参照。言葉を慎むという言い方があるのは、減らず口があるからである。
(注4)今日の占術では前世を占うことがある。輪廻の観念によるところがあるかと思われる。上代に、占いは、当事者の身に時間的にこれから起こるであろうこと、将来のことを予言的に知ろうとして行われていた。
(注5)多田2020.は、「履いている下駄を勢いよく蹴り出して、その下駄が表になれば晴れ、裏になれば雨、横に立ったら雪というように決め、そうして明日の天気を占ったのが、まさしく古代のウケヒに相当する。」(77頁)とするが、記紀の十一例に気象や天変地異を占うウケヒは見られない。翌日の天気について「こう言えば、こうなる」類のことが起こるはずもないのは当たり前で、そんなことをしていたら、逆に言葉に信用性が失われて元も子もなくなるとわかっていただろう。言葉を大切に使った末のこととしてウケヒは存立する。
(注6)従来の、女の子→濁き心、男の子→清い心、といった表面をなぞった解釈は役に立たない。土橋1990.のいう「スサノヲの尊の心が潔白(A)であるなら、生まれる子は男神(A´)であろう。スサノヲの尊の心が邪悪(B)であるなら、生まれる子は女神(B´)であろう。」は、条件文の仮定と結論とを転倒させた杜撰な読み方である。ふつう、人は、完全に潔白でも完全に邪悪でもないものであって、一点の曇りもない存在を仮定すること自体できない。それでもしているのは神のことだとするには、記紀に現れる神々はみな人間臭い。
 スサノヲのウケヒをめぐっては、もっぱら古事記の所伝が対象とされている。そこではスサノヲの心の清明さを証明するためにウケヒが行われるのであるが、前言がなされないままスサノヲとアマテラスの二神によるウケヒとなる。それぞれに子を生みあい、結果的に生まれた子を判別するためにアマテラスはどちらの物実ものざねから成ったかで帰属を決める詔のり別わきし、先に生んだ女子三柱はスサノヲの、後に生んだ男子五柱はアマテラスの子であるとしている。それに対してスサノヲは、自らにあてがわれた子の性別が女子であったことを自分の清明心の証と捉えて勝ったと言い張り、いい気になって乱暴狼藉を働いている。

 爾しかくして天照大御神あまてらすおほみかみの詔のりたまはく、「然しからば、汝なが心の清く明あかきは、何いかにして知らむ」とのりたまふ。是に、速はや須佐之すさの男をの命みことの答へて白まをさく、「各おのもおのもうけひて子を生うまむ」とまをす。故、爾くして各おのもおのも天安河あめのやすのかはを中に置きて、うけふ時、天照大御神、先まづ建速たけはや須佐之すさの男をの命みことの佩はける十拳剣とつかのつるぎを乞こひ度わたして、三み段きだに打ち折りて、ぬなとももゆらに天あめの真名井まなゐに振り滌すすぎて、さがみにかみて、吹き棄うつる気吹いふきの狭さ霧ぎりに成れる神の御名みなは、多紀理毘たきりび売めの命みこと。……次に市いち寸き島比売命しまひめのみこと。……次に多岐都たきつ比売命ひめのみこと〈三柱みはしら〉。速須佐之男命、天照大御神の左の御みみづらに纏まける八尺勾璁やさかのまがたまの五百津いほつのみすまるの珠を乞ひ度して、ぬなとももゆらに、天の真名井に振り滌ぎて、さがみにかみて、吹き棄つる気吹の狭霧に成れる神の御名は、正勝まさかつ吾あ勝勝速かつかちはや日ひ天あめ之の忍おし穂耳ほみみの命みこと。亦、右の御みづらに纏ける珠を乞ひ度して、さがみにかみて、吹き棄つる気吹の狭霧に成れる神の御名は、天あめ之菩卑のほひ能命のみこと。亦、御手みてに纏ける珠を乞ひ度して、さがみにかみて、吹き棄つる気吹の狭霧に成れる神の御名は、天あま津日つひ子根命こねのみこと。又、左の御手に纏ける珠を乞ひ度して、さがみにかみて、吹き棄つる気吹の狭霧に成れる神の御名は、活いく津日つひ子根命こねのみこと。亦、右の御手に纏ける珠を乞ひ度して、さがみにかみて、吹き棄つる気吹の狭霧に成れる神の御名は、熊くま野久のく須毘命すびのみこと。幷あはせて五柱いつはしら。
 是に天照大御神、速須佐之男命に告のらさく、「是の、後に生める五柱の男をの子こは、物実ものざね我あが物に因りて成れるが故ゆゑに、自おのづから吾あが子ぞ。先づ生める三柱の女子は、物実汝が物に因りて成れるが故に、乃ち汝なが子ぞ」と、如此詔り別く。……
 爾くして、速須佐之男命、天照大御神に白まをさく、「我が心清く明きが故に、我が生める子は手た弱わや女めを得つ。此に因りて言はば、自ら我勝ちぬ」と云ひて、勝かちさびに、天照大御神の営田つくりたのあを離はなち、其の溝みぞを埋うみ、亦、其の、大嘗おほにへを聞きこし看めす殿とのに屎くそまり散ちらしき。 …… (記上)

 強弁にも程がある。前言がないのにウケヒと言えるのか。子の性別の判断基準に子の成った物実を持ち出しても、交換する以前の旧所有者に従って帰属させるというのでは交換の意味はなくなる。その不可解な判別をスサノヲはさらに不可解に解して、女子が自分の帰属なのだからウケヒの勝負は自分の勝ちであると言い張っている。すべての判断に根拠を欠いていながら話が進んでいる。
 まともに聞いてはいけない。スサノヲの詐欺話にアマテラスはまんまと乗せられてウケヒに付き合わされている。スサノヲの心の潔白の証明に引きずり出され、挙げ句にウケヒが勝負ごとになっている。スサノヲの心が清明ならば、アマテラスの疑いは間違いであるという闘争へとなだれ込まされている。子の帰属が何によるかなどわかるものではないが、恣意的に決めるにしても「振り滌ぎて、さがみにかみて」という行為よりも物実の旧所有者に重きを置いている。ウケヒは行為ではないのか。さらに生んだ子の性別をもとに正しいかどうかを判断する根拠もない。話を聞いた人が何を言っているのか俄かにはわからないことが話とされている。拙稿「古事記におけるウケヒ神話について」参照。
(注7)内田1988.に、「「姉妹とも娶れば……永遠の命と栄華が約束され……、美しい妹のみを娶ると……、現世の栄華はあっても命は無常でしかない……」。[二つの仮定が]矛盾的でかつ第三の場合(例えば醜い姉のみ娶る)が排されるのは、先に見たこの譚が由来する聖婚のあり方により明らかである。」(29頁)とあるが、原文に「姉妹とも娶れば」の意は記されていない。
(注8)記紀にあるコノハナノサクヤビメの説話は、イハナガヒメを羽釜の譬え、コノハナノサクヤビメを甑の譬えとして形作られている。米を羽釜で炊いてご飯を食べることと、甑で蒸してそれをお酒にして呑むことと、両方するといいよというのが大山津見神という調理器具を司る土間の神さまの提言、すなわち、ウケヒであったと考えられる。ご飯にしていつもながらに食べていれば力にはなるが堅物のしみったれた人生になる。といって、お酒に造って呑んでばかりいては、その時は気分が良くなって楽しいけれど身にはつかず、アルコール中毒か肝硬変で短命に終わる。狩猟採集の時代から農耕に酒造の加わる時代へと大きく舵を切った飲食生活の劇的変化と、その調理法への対応のうち、ヤマトの人たちが鉄製の釜を利用しなかった事情について説話にしたものである。拙稿「コノハナノサクヤビメについて」参照。
(注9)拙稿「垂仁紀の綺戸辺記事の、亀が石になったことについて」参照。
(注10)上代の人は事=言となる言語活動に努め、励んだ。そのことと、発話すれば言ったとおりに物事がなるということは論理的に結びつかない。無文字時代にあっては、証文、契約書、念書をとることができなかった。だから、有言したらそのとおりに実行すること、実際に起こっている事を言葉に表すには正しくなければならないことが暗黙のうちに当然視され、習慣化していた。嘘をつき出したらそれが本当か嘘なのか確かめるすべさえ持たず、無秩序になって社会は維持できなくなる。そうならないための唯一の方法は、事=言となるように皆が守ることである。それが共通認識になっていた。

(引用・参考文献)
内田1988. 内田賢徳「ウケヒの論理とその周辺─語彙論的考察─」『萬葉』第128号、昭和63年2月。萬葉学会ホームページ https://manyoug.jp/memoir/1988
木村2026. 木村紀子『神さまたちの由来─日本「多神信心」のみなもと─』集英社(集英社新書)、2026年。
古典基礎語辞典 大野晋編『古典基礎語辞典』角川学芸出版、2011年。
白川1995. 白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
新谷2014. 新谷正雄「うけひ【誓約】・うけふ【誓ふ】」多田一臣編『万葉語誌』筑摩書房、2014年。
多田2020. 多田一臣『古事記私解Ⅰ』花鳥社、2020年。
土橋1989. 土橋寛『日本古代の呪禱と説話─土橋寛論文集 下─』塙書房、平成元年。
土橋1990. 土橋寛『日本語に探る古代信仰』中央公論社(中公文庫)、1990年。

加藤良平 2026.11.4改稿初出

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