次の歌は、万葉集巻十、春の相聞としてあげられる七首の最初の歌である。柿本人麻呂歌集の歌とされる。
文字の異同に、「春日野」は類聚古集などに「春山野」とあり、「友鴬」は西本願寺本などに「犬鴬」とあるのを類聚古集により改めている(注1)。
春日野の 友鶯の 鳴き別れ 帰ります間も 思ほせ吾を〔春日野友鴬鳴別眷益間思御吾〕(万1890)
現代の注釈書では、一句目を「春日野の」とするか「春山の」とするかの二説がある。
「春日野の」説
春日野で、友だち鶯が鳴いて別れて、お歸りになるあいだも、私を思つてください。(武田1956.70頁)
春日野の友鶯の鳴き別れるように別れてお帰りになる間も、私のことをお思い下さい。(大系本68頁)
春日野に鳴いて居る鶯の如く、泣いて別れて、歸り行かれる間も、お思ひ下さいませ。私を。(土屋1976.205頁)
春日野の妻を求めてなく鶯のようになき別れて、お帰りになる間でも、お思いください。私のことを。(中西1981.319頁)
春日野で、友鶯が鳴いてゐる、それに因みある、別れを惜しんで泣いて別れて、家へ歸られる間をも、思ひ給へよと吾を。(窪田1985.254頁)
「春山の」説
春の山で鶯が友と鳴きながら別れるやうに、私逹も泣いて別れて、あなたはお歸りになりますが、その道󠄁の間でも思うて下さいませ。私を。(澤瀉1962.95頁)
春山の 友うぐいすが 鳴き別れるように お帰りになる間も 思ってくださいわたしのことを(新編全集本46頁)
春山の鶯が友と鳴く鳴く別れるように、泣き別れしてお帰りになる間も、思って下さいませ、私のことを。(稲岡2006.25頁)
春の山でうぐいすが、友と鳴く鳴く別れるように、泣き別れしてお帰りになる間も、思ってください、私のことを。(阿蘇2009.389~390頁)
春山の友鶯が鳴き別れをするように、泣き別れてお帰りになるその間もお思いください。私のことを。(多田2009.49頁)
春山の仲間同士の鶯が鳴き交わして別れるように、泣く泣く別れを惜しむ私と別れてお帰りになるその道の間でも、思って下さい、この私のことを。(伊藤2009.371頁)
春山の友鶯が鳴き別れるように、泣いて別れて、お帰りになる間も思って下さい、私のことを。(新大系文庫本127頁)
いずれの場合も、友の鶯が鳴き別れるように泣き別れ、お帰りになる間にも私のことをお思いになってください、という意ととられている。鶯の友が別れるのに鳴くのと、人の友が別れるのに泣くのとをパラレルに扱って歌の修辞としている。ナクという言葉に「鳴く」と「泣く」があるからその結びつきから歌の序として鶯の話をしている。場所や時点を一句目でどう言っていたか、今となっては判断できないとされ、二つの説が通行している。
近年では、「春山の」とあったほうが歌の風情としてしっくりくると思われて、その説をとる注釈書が目立つようになっている。春の相聞に採られているのだから「春山の……」とあって然るべきと考えられている。ただ、そうなると、鶯の友のあり様を語ることは人の友のあり様を導いているに過ぎず、比喩表現上、言葉の操り方として単調で、巧緻なものとはいえない。
筆者は、もっとずっと言葉遊びのある歌であると考える。
特定の地名、「春日野」をもって歌っているとすると、春日野でなければ表すことができない内情を語ろうとしているのだろう。他のどこの地の鶯でもなくて、春日野に限って「友鶯」であることが明瞭になるという意味である。
カスガノという言葉の響きは、カス(糟)+ガ(処)+ノ(野)の意を彷彿とさせる。もちろん駄洒落である。カス(糟)とは酒糟(酒粕)のこと、酒を絞った残りである。酒と酒糟とは酒類の「友」であるという考えから発想している。酒糟としては酒が絞られてしまうと、それまでの濁り酒ならまだ人から望まれることが多かったが、糟だけになってしまうと持て囃されることはなくなり、人気は下火になって思いを寄せられることがなくなる。人は御酒にばかり気が行って捨て置かれてしまうのである。そんなことしないでください、と相手に言っている。「帰ります」、「思ほす」は「帰る」、「思ふ」の敬語表現である。相手は御酒のように貴い存在だからそう言っている。尊い酒類であれば「御酒」(ミ・キはともに甲類)といい、尊い人であれば「君」(キ・ミはともに甲類)と呼ぶ。帰るだけあって音が転倒している。転倒の理由は鶯の鳴き声の聞きなしによる。
鶯の鳴き声は、今では「ホーホケキョ」が一般的に認知され、少し前まで「ホケキヨオ」ととって法華経との関係に関心が向かっていた。だが、中古には「ひとくひとく」と聞きなされた。人来人来、つまり、人が来るという意味に受け取っていた。
梅の花 見にこそ来つれ 鶯の ひとくひとくと 厭ひしもをる(古今1011)
簾巻き上げてなどあるに、この時過ぎたる鶯の、鳴き鳴きて、木の立ち枯れに、「ひとくひとく」とのみ、いちはやく言ふにぞ、簾おろしつべくおぼゆる。(蜻蛉日記・中)

この聞きなしが上代に遡るのが当該歌である。万葉集1890番歌で、春日野で糟と別れてミキ(御酒)を絞った時、鶯は鳴いて「人来人来」と呼んでいた(注2)。お帰りになる時、帰路の間も思い出してくださいね、キミ(君)よ、と歌っている。御酒が目当てでやって来た友は、飲んでいい気持ちになったら最後、相手のことなど忘れて帰途についてしまうことが多い。酒を酌み交わしてから帰って行くその間だけでも招待した人の顔を思い浮かべてほしいものだと歌っているのである。
(注)
(注1)「春山野」を「春山の」と訓むことは「の」の甲乙が異なり、本来は誤りで、意改している。また、「友鴬」ではなく「犬鴬」が正しいのかもしれないが、後考を俟つことにする。
(注2)万葉集には鶯を詠んだ歌が五十一首あり、そのうち、鳴き声の「人来人来」をもって歌にしたものも散見される。拙稿「万葉集、葛井連広成の宴の歌について」ほか参照。
(引用・参考文献)
阿蘇2009. 阿蘇瑞枝『萬葉集全歌講義 第5巻』笠間書房、2009年。
伊藤2009. 伊藤博『新版万葉集二 現代語訳付き』角川学芸出版(角川ソフィア文庫)、平成21年。
稲岡2006. 稲岡耕二『和歌文学大系3 萬葉集(三)』明治書院、平成18年。
澤瀉1962. 澤瀉久孝『萬葉集注釈 巻第十』中央公論社、昭和37年。
窪田1985. 窪田空穂『萬葉集評釈 第6巻』東京堂出版、昭和60年。
新大系文庫本 佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『万葉集(三)』岩波書店(岩波文庫)、2014年。
新編全集本 小島憲之・木下正俊・東野治之校注・訳『新編日本古典文学全集8 萬葉集③』小学館、1995年。
大系本 高木市之助・五味智英・大野晋『日本古典文学大系6 萬葉集三』岩波書店、昭和35年。
武田1956. 武田祐吉『増訂 万葉集全註釈 八』角川書店、昭和31年。
多田2009. 多田一臣『万葉集全解4』筑摩書房、2009年。
土屋1976. 土屋文明『萬葉集私注 五(新訂版)』筑摩書房、昭和51年。
中西1981. 中西進『万葉集 全訳注原文付(二)』講談社(講談社文庫)、1980年。
加藤良平 2026.4.15初出