一 本邦におけるケガレについての研究にはいくつか方法がある。民俗学、歴史学、宗教学、神話学、上代文学などである。そのうち、民俗学の一派が議論として主だっている。ケガレとは、ハレ(晴)─ケ(褻)─ケガレ(穢)の構造の中に…More
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女鳥王物語─「機」の誕生をめぐって─
女鳥王説話 仁徳天皇時代の話として、女鳥王(雌鳥皇女)と速総別王(隼別皇子)が天皇との確執の末に敗れる話が記紀に残されている。両者で少し言い回しが異なるが大筋に変わりはない(注1)。 亦、天皇すめらみこと、其の弟おと…More
ヤマトコトバ学─素描─
寒山と拾得は唐代の人で、風狂の僧と呼ばれ、常軌を逸した振る舞いをしていた。何を言っているのかわからない言葉を話していたところ、雲水の豊干はその言葉を理解し、寺の食事係に拾いあげて暮らしたのだという。 そんなことがある…More
雄略紀の吉備反乱譚─女相撲と闘鶏をめぐって─
雄略紀に、ヤマト朝廷が吉備勢力に弾圧を加えているものと見られている一連の記事が載る。ここにあげる吉き備びの弓削ゆげ部虚空べのおほぞらと吉き備びの下道しもつみちの臣前おみさき津屋つやの登場する話は特徴的で、不思議な印象を…More
神功皇后のアユ釣りといわゆる鎮懐石について
記紀の神功皇后の征韓譚にアユ釣りの話が載っている。記では征韓からの帰途に筑紫国で御子を生んでからのこと、紀では征韓の途上でいまだ対馬海峡を渡る前に肥前国でウケヒとして行っている。記に前段としてあるいわゆる鎮懐石の件は、…More
記紀の治水事業について―仁徳朝と推古朝の「堀江」記述をめぐって―
一 記紀の説話、逸話には、唐突で前後のつながりを認めにくいものがあり、特に紀には、断片のまま放置されているように思われる記述がある。それに対する研究態度としては、今日、大きく分けて二つの捉え方がある。第一は、歴史の些末…More
仁徳紀十一年の茨田堤の記事について
一 日本書紀には、治水のために堤防を築造したとする記述がいくつか見られる。なかでも仁徳紀十一年の茨田堤についての記述は一つの逸話を成している。歴史学の立場からは、ヤマト朝廷による畿内の大規模開発の嚆矢の記述と見られてき…More
黄泉国と禊祓について─アハキハラ、天狗、タチバナ、カマド─
はじめに 黄泉国(よみのくに・よもつくに)の話は、イザナミ(伊耶那美命、伊弉冉尊)の死、イザナキ(伊耶那岐命、伊弉諾尊)の黄泉国訪問、黄泉国からの脱出と訣別、禊ぎの話から成る。本稿では、黄泉国という舞台設定は何を表すも…More
十握剣(とつかのつるぎ)を逆(さかしま)に立てる事─その上下の向きについて─
記紀のなかで十握剣とつかのつるぎ(十掬剣)が「逆さかしま」に立つ例は次の三例である。はじめに、今日ほぼ定訓とされている形で示す。 二ふたはしらの神、是ここに、出雲国いづものくにの五十い田狭たさの小を汀はまに降到あまく…More
神武天皇東征伝の槁根津日子(記)・椎根津彦(紀)について
サヲネツヒコ(シヒネツヒコ)の話の魅力 古事記に、神武天皇の東征伝中、速吸門はやすひのとで国つ神に出会い、水先案内をさせたという話が載る。 故かれ、其[吉備]の国より上り幸いでます時に、亀の甲せに乗りて釣りを為しつつ…More
事代主神の応諾について
記紀の物語に、天あまつ神かみ側がタケミカヅチ(建御雷神たけみかづちのかみ、武甕槌神)等を送ってオホクニヌシ(大国主神おほくにぬしのかみ)に国譲りを迫ったとき、オホクニヌシは自分の子であるコトシロヌシ(事代主神ことしろぬ…More
神代紀第七段一書第二の白和幣(しろにきて)・青和幣(あをにきて)について
和幣にきてという語は、古事記上巻や神代紀上巻に見られる。榊の枝に麻や楮こうぞ(榖)の布帛を取りかけたもののことで、神に祈るときに用いられる。後には絹や紙が用いられ現在に至っている。 上代の文献例は次のとおりである。 …More
日本書紀冒頭部の訓みについて─原文の「搏」や「埸(堨)」とは何か─
一 はじめに 日本書紀は次の文で始まる。 古天地未剖陰陽不分渾沌如鶏子溟涬而含牙及其清陽者薄靡而為天重濁者淹滞而為地精妙之合搏易重濁之凝埸難故天先成而地後定然後神聖生其中焉…… この文章は、古くから淮南子を含めた漢籍…More
崇峻天皇が暗殺された理由―彼の発言はなぜ覚られたのか?―
崇峻天皇の暗殺事件は、天皇が臣下によって殺された事案として歴史上唯一のものとされている。どうしてそのような王殺しが平然と行われ、さしたる混乱もなく王朝は継続して行っているのか議論されてきた(注1)。しかし、肝心の、口は…More