枕詞「山たづの」について

 枕詞「山たづの」は記歌謡と万葉集に計三例用いられている。

 君がき 長くなりぬ 造木やまたづの むかへを行かむ 待つには待たじ〔岐美賀由岐氣那賀久那理奴夜麻多豆能牟加閇袁由加牟麻都爾波麻多〕〈此の、やま多豆たづと云ふは、是今の造木みやつこぎぞ。〉(允恭記、記87)
 君が行き 日長くなりぬ 山たづの 迎へを行かむ 待つには待たじ〔君之行氣長久成奴山多豆乃迎乎将徃待尓者不待〕(万90)
 …… たつ田道たぢの をかの道に つつじの にほはむ時の 桜花 咲きなむ時に 山たづの 迎へまゐむ 君が来まさば〔……龍田道之岳邊乃路尓丹管土乃将薫時能櫻花将開時尓山多頭能迎参出六公之来益者〕(万971)

 允恭記の注にあるとおり、「山たづ」は「造木みやつこぎぞ」のこと、今日、ニワトコと呼ばれている。材が柔らかく、削り掛けを作るのに用いられることがあった。和名抄に、「接骨木 本草に接骨木〈美夜都古岐みやつこぎ〉と云ふ。」とあるものである。
 時代別国語大辞典に、「やまたづの 枕詞。枝葉が対生で、たがいに向かい合っているところから、ムカへにかかる。」(771頁)と説明されており、定説となっている(注1)が、この議論が誤りであろうことは容易に想像がつく。葉が対生に出る植物はニワトコに限らず非常に多く、他のものにならなかった理由が定まらない(注2)
 枕詞は言葉遊びの最たるものである。それが歌に用いられていることから考えてもわかるように、声に発せられた瞬間芸のような性格を有していた。すなわち、「やまたづの」という枕詞が「にはとこの」という枕詞に置き換えられることは可能性としてないわけではないがきわめて低いということである。ただちに消えていく音声のなかで瞬時に聞き手に着実に伝わること、それが歌の言葉の必須要件である。だから、「やまたづの」という言葉を聞いたら、それが「むかへ」という言葉に何かしら機知をもって掛かることが気づかれて、アハ、おもしろいことを言うな、と思われたから枕詞として成り立っているのである(注3)

 筆者は、「山たづの」と枕詞で使われている「山たづ」は、古事記に表記されるとおり「造木みやつこぎ」のこと、そしてそれは、ミヤツコギとニハトコの音の近似性からも今日、いわゆるニワトコのことであると考える(注4)。このニワトコは、接骨木として知られている。材質が柔らかくて加工がしやすいから削り掛けに使われ、おそらく骨折した際に添木として使われるよう細工されていたと思われる(注5)。さらには、人体模型を作ろうと思ったら真っ先に利用された木であろうと思われる。木の枝ぶりが骨を接いだようになっていて連想が利くからである。つまり、人の形の代わりになるものになるのである。それをヤマトコトバに言い換えるなら、ム(身、ミ(身)の古形)+カヘ(代、ヘは乙類)である。だから、「山たづの」は「迎へ(ヘは乙類)」に掛かる枕詞であると認められたのである。

左:ニワトコ、中:人体解剖模型(江戸時代、19世紀、木造、東博「養生と医学」展展示品)、下: ナベヅル(「動物図鑑(Private Zoo Garden)」https://pz-garden.stardust31.com/tori/turu-jyukei/mana-zuru.html(2023年4月15日閲覧)をトリミング)

 そしてまた、「みやつこぎ」が「迎へ」に掛かる枕詞となったのではなく、「山たづの」が枕詞になっている理由も定められるはずである。「たづ」は鶴のことをいう歌語として使われている。そんな鶴に山と冠するのは似つかわしくない。鶴は草原や湿地に生息し、山地には暮らさない。足の構造から木に止まることはできないからである。つまり、山にいないはずの鶴があたかもいるかのように見えるのが「山たづ」という木である。骨ばっている枝ぶりがダンスしている時などの鶴の肢の具合によく似ている。鶴の身代わりとして山にいるというわけで、「山たづ」と名づけられていると思われたようである。ム(身、ミ(身)の古形)+カヘ(代)の存在だから、「山たづの」は「迎へ」に掛かる枕詞であるということになる。
 このような発想はとてもユーモラスであり、次の言葉を導くというただそれだけのために冠辞となるにふさわしい。人は「山たづの」という声を聞いて、接骨木の樹形、人体模型の様を思い浮かべ、それが案の定、ム(身、ミ(身)の古形)+カヘ(代)と同音の「迎へ」という語を登場させていると気づいた時、鮮烈な印象を受けてその歌の歌詞を忘れないことにつながったのだろう。記憶されることを目途として機知ある表現をくり広げたのが上代文芸の特色であった。

(注)
(注1)枕詞「山たづの」についての専論としては、堀1999.があり、袖中抄以来の研究史がまとめられている。今日の通説にニワトコの性質として枕詞と考えられるに至ったのは、「此木葉も枝も対ひ生るものなれば迎へといふ詞の発語マクラコトバに置れしならむ」(木村正辞・萬葉集美夫君志巻一二別記附録に所載の加納諸平・山多豆考(国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/874365/1/38、漢字の旧字体は改めた)によるという。また、「山たづの」の「たづ」は鶴の歌語であり、花期のニワトコは鶴が飛び立つ姿に似ているとする見解も散見される。しかし、山の鶴と岸辺の鶴とで飛び立つ姿に特徴が違って現れるとも思われない。
(注2)堀1999.にも指摘されている。
(注3)万葉集などに用例が少ないもの、意味がわからないからきっと枕詞であろうと思われているもので、その形が微妙に変化しているものについて、当時としても意味がわからなくなっていたから多用されることがなく、形も紛れて変化していったと見られることがある。「山たづの」に近似の「山たづね」という形があり、そのように解されている。

  磐姫いはのひめの皇后おほきさきの、天皇すめらみことを思ひて御作つくりたまふ歌四首
 君が行き 日長くなりぬ 山たづね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ〔君之行氣長成奴山多都祢迎加将行待尓可将待〕(万85)
  右の一首の歌は、山上憶良臣の類聚歌林に載す。

 歌全体で見ても、万85番歌は、記87歌謡・万90番歌によく似ている。伝承されるうちに別の形に変化したことは考えられなくはない。しかし、だからといって、枕詞「山たづの」の意が理解されなくなっていたかどうかを議論することはできない。現代人の勝手な思い込みではないと保証することができず、根拠なき論証に陥っている。
(注4)「山たづ」については、允恭記の歌謡の注からミヤツコギ(造木)のこととされるが、なお種の同定に手こずっている。ニワトコ、接骨木説、タマツバキ、椿の敬称説に分かれている。新撰字鏡に、「檅〈造木〉・𪳤〈上同〉」、「女貞実 八月採実、陰干、比女豆波木ひめつばき、又、造木を云ふ。」、和名抄には「接骨木」のほか、「女貞 拾遺本草に云はく、女貞は一名、冬青〈太豆乃岐たづのき、楊氏漢語抄比女都波岐ひめつばきと云ふ〉、冬月に青翠にして故に以て之れを名づくといふ。」ともある。
 岩波古語辞典は、「みやつこぎ【造木】➀ニワトコの古名。……ニワトコはミヤツコの転。➁タマツバキの異称。……」(1241頁)としている。が、「女貞」をネズミモチととる説もあり、角川古語大辞典や日本国語大辞典ではとっている。
 佐野1999.に、「「山多豆」が常緑樹でしかも目立たない「女貞」であるという理解にたてば、自らは目立たぬながらも変わらぬ情で待っていようというのであるから、巧みに構成されているといえる。しかも虫麻呂と宇合との贈答であるから、『芸文類聚』の「女貞」の記述「清士欽其質而貞女慕其名」を当然踏まえていたと考えられ、ただひたすらに待ち、そして迎えようという「清士」の心を餞として送ったのだと解されるのである。」(36~37頁)と際限のない臆説が展開されている。
(注5)拙稿「允恭天皇即位固辞の理由について」参照。

(引用・参考文献)
岩波古語辞典 大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波古語辞典 補訂版』岩波書店、1990年。
角川古語大辞典  中村幸彦・岡見正雄・阪倉篤義編『角川古語大辞典 第五巻』角川書店、平成11年。
佐野1999. 佐野宏「「山多豆」考─「造木」の注記を中心に─」『文学史研究』40巻、大阪市立大学国語国文学研究室、1999年12月。大阪市立大学学術機関リポジトリ https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/il/meta_pub/G0000438repository_111E0000001-40-3
日本国語大辞典 日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版 第七巻』小学館、2001年。
堀1999. 堀勝博「「山たづの迎へ」考」『日本文学研究』第51巻第2号、関西学院大学日本文学会、1999年9月。
松田1966. 松田芳昭「枕詞の生成についての一考察─「やまたづ」考─」『国語と国文学』第43巻第4号(通巻506号)、昭和41年4月。

加藤良平 2023.5.5初出