万葉集巻九に、柿本人麻呂が瀬戸内海西部のどこかを詠んだとされる歌がある。
吾妹子が 赤裳ひづちて 植ゑし田を 刈りて収めむ 倉無の浜〔吾妹児之赤裳埿塗而殖之田乎苅将蔵倉無之浜〕(万1710)
いとしい子が赤い裳を濡らして植えた田を刈って収めるような倉、その倉無しの浜よ。(多田2009.355頁)
百伝ふ 八十の島廻を 漕ぎ来れど 粟の小島は 見れど飽かぬかも〔百轉八十之嶋廻乎榜雖来粟小嶋者雖見不足可聞〕(万1711)
百にたどり至る八十、そのように数多い島のめぐりを漕いでは来たが、粟の小島はいくら見ても見飽きないことだ。(多田2009.355頁)
右の二首は、或は云ふ、柿本朝臣人麻呂の作。〔右二首或云柿本朝臣人麻呂作〕
最初の歌は四句目までが序で、「倉無の浜」という地名を導いていて、序の部分は歌の本意とは関係がなく、ただ地名を導き出したいがために設けられた技巧的な歌であるとされている(注1)。
歌を享受する側で見るならば、一見それで正しいことになるが、人麻呂はただ「倉無の浜」という地名に興趣を覚えてひたすらその名を導き出すためにどうでもいいことを述べ綴っているのだろうか(注2)。しかも、四句目までは五句目の地名「倉無の浜」を導いているのではなく、「倉」のみを導いていることになっている。五句目を導くからと言って四句目までの二十四音を使って、適当なこと、すなわち、他のストーリーで代替可能であることを歌っているということなのだろうか。
歌を作る側に立って考えれば、「倉無の浜」という地名に着想を得て作るということはよくあることである。歌のお題として「倉無の浜」が与えられ、それにふさわしい序を考案している。その点に注意しながら歌を見直すと、序の言葉には他の言い回しには代えがたい必然性が垣間見られる。
クラナシノハマ(倉無の浜)のクラナシとは、倉が無いということばかりでなく暗くないということも含意して聞こえる。となると、そこに配役として「吾妹子」を登場させるなら、彼女が着ている衣裳は暗くないものにしなければならない。そこでブラックやブルーではなく「赤裳」を着させている。アカモは色の明るい巻きスカートである。暗くない(注3)。
クラナシノハマ(倉無の浜)のハマは harbor の意であるが、同じくハマには破魔の意がある。破魔矢は近世後期以降、神社で配られる縁起物の飾りとして知られるが、もとは射礼に由来する子どもの遊び、浜弓のことである。藁を使って藁蓋のように丸く編んで真ん中に穴のあるものをハマと言い、それを転がして動く的に向けて矢を放って遊んだ(注4)。クラナシノハマという音から想起されることは、倉が無くてもかまわないハマのことである。倉には収穫した稲の穂、籾を納め、藁は入れない。浜弓を遊びたい子どもにとっては、刈り取った稲のうちで欲しいのは藁の方である。

……肥後にてハマ弓の事承りぬ、正月朔日より三日まで、児童これを射る事有レ之、其遊びの様、先づ藁を讃岐糸座のごとく拵へ、是をハマと名付く、弓は青竹のからふときを割て常の如く製し、箭も矢竹を切てさきをとがらしゆづり葉を矢羽ねとす、さて打むれて野原の広き所に至り、敵味方共に並び立て各々箭を持、其左と右の方に一人づゝ立居て、敵味方のハマを替る\/投る事なり、その投たるハマ、射手のはるか前をまろび通る所を射るに、箭を負ひながら遠くはしる事もあり、又射留めしもあり、或ひはあたらずして行過ぎ自らたをるゝもあり、其次第によりて敵味方の勝敗の定めあり、三日限りにて止ぬとなり、……(屋代弘賢・弘賢随筆 「ハマ弓」、国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/img/1271575)
愛しい彼女は赤いおべべを着てお田植え祭で田植えをした。稲刈りの時期を迎えて籾を俵に入れて倉に貯蔵することは大人のすること、子どもには関心がない。むしろ藁のところを使って的となるハマを作り、転がして弓の遊びをしようというのである。一句目の「吾妹子」も、この歌に隠れている主人公の子どもと同年代の幼い女の子のことを言っている。今日でも、女児が駆り出され、おままごとのようにお田植え祭は催行される。この二首は、子どもの遊びをモチーフにして歌われた歌であった。
(注)
(注1)四句目までが序詞である例として、阿蘇2009.は何の疑問もなく次の二例をあげている。
出でて見る 向かひの岡に 本繁く 咲きたる花の 成らずは止まじ(万1893、柿本朝臣人麻呂之歌集)
家を出るとすぐ目に入る向かい側の岡に、根元近くまで多数咲いている花のように、実を結ばないではおくまい。(阿蘇2009.393頁)
恋の成就を決意する歌であるという。四句目までを序とするとしたとき、五句目の「成らず」にかかるのか、「成らずは止まじ」にかかるのか、はっきりしていない。
多くの解説書では「本繁く 咲きたる花の」の句によって花木の株元部分でたくさん花が咲いていると考えているが、「向かひの岡に 本繁く」と前から読んでいけば、家を出て目の前に岡があり、その岡が立っている地面付近のことを「本」と言っているとわかる。岡の麓にぐるりと花木が植えてあって、それらがたくさん花をつけているというのである。すなわち、岡廻に花がすきまなく絶え間なく咲いているのだから、廻(ミは乙類)が実(ミは乙類)になるのは必然ではないかという洒落を歌にしている。つまり、序の部分の解釈が本旨「成らずは止まじ」を物語っているから導いていることになっているわけである。なぞなぞに戯れた作品であると理解できなければこの歌の真意には至ることはできない。
伊勢の海人の 朝な夕なに 潜くといふ 鮑の貝の 片思にして(万2798)
伊勢の海人が朝夕海に潜って採るという鮑の貝のように、私の恋は片思いであって……。(阿蘇2010.529頁)
イセはイ(五十)+セ(カメノテ)と聞こえる。和名抄に、「尨蹄子 崔禹食経に云はく、尨蹄子〈勢〉は貌、犬の蹄に似て石に付き生ずる者なりといふ。兼名苑注に云はく、石花〈或は華に作る〉は二三月に皆、紫の花を舒ばし、石に付きて生ず、故に以て名くといふ。」とあり、今いうカメノテのことである。甲殻類の節足動物で海岸の岩石に塊になって群棲し、食用にもなる。群棲しているからイ(五十)+セ(尨蹄子)という言い方に齟齬はない。カメノテは干潮時には鎧のように石灰片に身を覆っているが、潮が満ちれば複数の爪状の肢を出す。つまり、イセの海人は、まるでカメノテのように兜を被っていると言っていて、その古語はカヅクであり、海岸で水の中に潜ることも古語ではカヅクである。カヅク(潜)ことをしてカヅク(被)ことをしているカメノテのような形の鮑起こし用の爪を使って、吸着している岩から剥がし採っている。
鮑は一枚貝で、アハビの音にあるアハ同様、思い人には逢ずということになって、片思いであるのは必然だと言えるのである。
(注2)「地名への興味から、序の表現が喚び起こされた。」(多田2009.355頁)とし、次の例をあげている。
我が背子が 使ひ来むかと 出立の この松原を 今日か過ぎなむ(万1674)
わが背の君の使いが来るだろうかと門に出て立って待つ、その出立の浜のこの松原を今日は過ぎて行くのだろうか。(多田2009.337頁)
二句目までが「出立」を導く序になっている。「出で立つ」という意味には、人前に姿を見せること、例えば門まで出てることや、出発することがある。「過ぐ」という意味は本質に触れずにどんどん進んで行くことで、空間的にその場所を通って去ることや寄らずに通過すること、時間的にその範囲を経過してしまうことをいう。
歌の作者は、出立という地名のところの近くまでやって来て、興趣を覚えたからこの歌を作っているわけだが、その旅の一行は肝心の出立の本質には触れずじまいの行程を進む。出立というところに停留し、「松原」にちなんだ待つことをして門まで出てみるという体験を共有することはなく、旅路を急いでただ通り過ぎるばかり、出発するということにも当たらない。時間の過ごし方がせわしなく雑で、今日という日はただ過ぎて充実感は得られないだろうと批判的な感慨を述べているわけである。忙しくしていれば心は亡くなっている。自分の目の前の仕事しか考えられず、大事な人が今どう思っているのかという消息もおかまいなしという始末である。そういった感情的な膨らみを込めようとして歌の前半の序が語られている。内実を無視していては歌の情趣を味わうことはできない。
(注3)アカ(赤)という語はアカシ(赤し)の語幹で、アカシ(明し)と同根の言葉である。
(注4)ハマ弓は投げられたハマを射て競う正月の子供の遊びで、ハマ(藁を丸く讃岐円座状に編んだ的)を小弓で射たという。円座状のものをハマと呼ぶことは、寝殿造のなかで貴人が座臥するために一段高くする台のことを浜床と呼ぶのと同様である。奈良時代の庭園遺構には池泉があり、州浜が美しい。ハマ弓の起源、淵源については記録が乏しいために室町時代頃に成立したと見る向きもあるが、筆者は上代に遡ると考えている。以下に記す近世、近代の諸書や柳田国男氏、現代の齋藤しおり氏に考証がある。
伊勢貞丈・四季草・春草、国文学研究資料館・国書データベース https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/200000690/19~20?ln=ja
伊勢貞丈・安斎随筆、今泉定介編『故実叢書 安斎随筆二十二~二十四』吉川弘文館、明治32~39年。国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/771902/1/30
伊勢貞丈・貞丈雑記、今泉定介編『故実叢書貞丈雑記巻之一・二』吉川弘文館、明32~39年。国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/771945/1/24~25
喜多村信節・瓦礫雑考、日本随筆大成編輯部編『日本随筆大成 巻一』日本随筆大成刊行会、昭和2年。国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1914083/1/248~249
喜多村信節・嬉遊笑覧、喜多村信節『嬉遊笑覧』近藤活版所、明治30年。国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/992504/1/280~281
栗原信充・柳菴随筆・巻三(写)。国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2554065/1/52~54
武家名目抄、今泉定介編『故実叢書 歳時部 巻二十四』吉川弘文館、明治32~39年。国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/771988/1/6
山﨑美成・麓の花、岸上操編内藤耻叟・小宮山綏介標註『近古文芸温知叢書 第拾二編』博文館。明治24~44年。国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088126/1/117~118
中山太郎編『諸国風俗問状答 校註』東洋堂、昭和17年。国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1460055
川崎千虎「破魔弓考」『新少年』第2号、新少年社、1896年2月。
久月総本店編『三五乃志留辺』久月総本店、1935年。
酒井欣『日本遊戯史』建設社、昭和9年。国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1466299/1/369~371
酒井欣『童戯』玄光社、昭和19年。
橋本敏夫「破魔弓について」『科学と芸術』第2巻第1号、白日荘、昭和9年1月。
真下喜太郎『歳時記脚註』六興商会出版部、昭和17年。
柳田国男「浜弓考」『柳田國男全集16』筑摩書房(ちくま文庫)、1990年。
齋藤しおり「ハマの遊戯とハマ弓」『國學院大學大学院文学研究科論集』第33号、2006年3月。
(引用・参考文献)
阿蘇2009. 阿蘇瑞枝『萬葉集全歌講義 第5巻』笠間書院、2009年。
阿蘇2010. 阿蘇瑞枝『萬葉集全歌講義 第6巻』笠間書院、2010年。
多田2009. 多田一臣『万葉集全解3』筑摩書房、2009年。
加藤良平 2026.11.2初出