「あれど」は動詞「あり」の已然形に接続助詞「ど」が付いた形である。「ど」は逆接の接続助詞だから、その前で言っていることと後で言っていることが対比されつつ逆の関係、逆の評価を受けるものと考えられる。ところが、単純にアルケレドモと訳しきれない例がある。
そこで、「あれど」を連語として認め、…もそうでないとは言わないが、しかしそれは別としても、ともかくとして、の意と考える説がある。しかし、ともかく、とにかく、の意に解するのは文構造を無視した意訳に過ぎるとし、そうではないが、以下に対比するような状態ではないが、の意と考える説もある(注1)。
該当すると指摘されている例は、万葉集では次の四首である。
妹とありし 時はあれども 別れては 衣手寒き ものにそありける〔妹等安里之時者安礼杼毛和可礼弖波許呂母弖佐牟伎母能尓曽安里家流〕(万3591)
故郷の 明日香はあれど あをによし 奈良の明日香を 見らくし良しも〔古郷之飛鳥者雖有青丹吉平城之明日香乎見樂思好裳〕(万992)
筑波嶺の 新桑繭の 衣はあれど 君が御衣し あやに着欲しも〔筑波祢乃尓比具波麻欲能伎奴波安礼杼伎美我美家思志安夜尓伎保思母〕(万3350)
玉櫛笥 覆ひを安み 明けて去なば 君が名はあれど 吾が名し惜しも〔玉匣覆乎安美開而行者君名者雖有吾名之惜毛〕(万93)
阿蘇2006.によれば、これらの「あれども」は現代語の「ともかくとして」(岩波古語辞典)の表現に当たるものとし、「いとしい妻と共にいた時はともかく(……妻と共にいた時は寒さもたいしたことはなかったが)」、「故郷の明日香はともかく(……明日香を見るのも悪くないが)」、「筑波嶺の新桑繭の衣はともかく(……新桑繭の衣も悪くはないが)」、「あなたの名はともかく(……名が傷ついてもたいしたことはないでしょう)」のような意味と理解すべき表現であるという(注2)。
筆者は、このように「あれど」(「あれども」)を連語として特別に考える必要はなく、程度の差こそあれ上に掲げた辞書の意訳は誤解を含んでいて歌の本意を伝えることにならないと考える。
妹とありし 時はあれども 別れては 衣手寒き ものにそありける(万3591)
この歌は遣新羅使の歌の一つである。「あれども」の前と後とを対比させている。彼女と一緒にいたときは衣の袖は寒くはなかったが、別れて来ている今は衣の袖は寒いものだなあ、という意味である。難しいものではない。袖を枕に共寝をしていればぬくもりを感じられて寒くなかったが、一人寝をする今はそこに彼女はいないから寒い、という意を歌っている。「衣手」にこだわって寒いと言っている理由はそこにある。足元が寒い、おなかが冷える、ではなくて、「妹」が不在になった「衣手」が寒いと言っている。一緒にいられなくて寂しいと言うための比喩である。
故郷の 明日香はあれど あをによし 奈良の明日香を 見らくし良しも(万992)
題詞に、「大伴坂上郎女詠二元興寺之里一謌一首」とある。「奈良の明日香」とは、平城京の元興寺付近を呼んだ地名である。元興寺はもと蘇我馬子の建てた法興寺、いわゆる飛鳥寺で、それを平城遷都後に平城京左京四条五条の七坊へ移したものである。この歌を、「故郷の明日香」はともかく、今、「奈良の明日香」を見るのはいいんじゃないか、という意であるとする解釈は、歌本来の持つおもしろさを理解したものとなっていない。
「あれど」を使うのには、その前と後とを対比することに重点がある。同じアスカという名を負った二つの地を対比している。故郷のと奈良のとをである。それは地理的な対比だけでなく、時間的な対比でもある。フルサトとわざわざ言っているのは、そこが古いところ、故京であるということで、今の都と対比している。アスカと言いながら時間の観念を詠んでいるのだから、明日 tomorrow という概念を呼び覚まそうとして使っているのである。明日見るのだったら、過去の都の明日香を見るのではなくて、未来につながる都の明日香を見ることこそが良いことだ、という言い回しである。つまり、明日香には、故郷の明日香というのがあるけれど、アスという名を負う地なら「あをによし奈良の明日香」を見ることこそが良いことだなあ、という歌である。
筑波嶺の 新桑繭の 衣はあれど 君が御衣し あやに着欲しも(万3350)
筑波の嶺の近くで新しく育てた繭で作った衣はそれはそれで悪くはないが、それはともかくとして、あなたが下さる衣を着たい、という意であると解されている。この歌が持つおもしろさに気づいていない。
衣服を恋人から贈られるとは、二人の関係が確かなものになったことを意味する。つまり、この歌では、歌い手の女のほうから求婚していることになる。
「あれど」は、その前後を対比するために使われている。「筑波嶺の新桑繭の衣」と「君が御衣」とが対比されている。そして、対比の構図のなかで強調する言葉は暗黙の裡に置かれている。「あやに」である。ひどく、むしょうに、の意を表す「あやに」(注3)という副詞をわざわざ使っている。
「筑波嶺の新桑繭の衣」は絹製の衣服である。庶民が身に着けていたとは思われない。「……新桑繭の衣はあれど」と無茶な見栄を張っている。言葉遊びとして歌に詠みこんでいるのであって、それは、「綾(注4)に」作られていた。現実にそうであったということではなく、歌のおこないとして戯れられている。
つまり、この歌は、筑波の嶺の近くで新しく開墾して育てた桑の葉を餌にして養蚕をして、その蚕が作った繭から糸を取って「綾に」織り上げた衣はあるけれど、私の技量からしたら当たり前に織り上げられて手もとにあるけれど、そんなものより、あなたのお着物を「あやに」着たい、結婚してちょうだい、と歌っている。三句目までは序詞ということになる。
玉櫛笥 覆ひを安み 明けて去なば 君が名はあれど 吾が名し惜しも〔玉匣覆乎安美開而行者君名者雖有吾名之惜毛〕(万93)
題詞に、「内大臣藤原卿娉二鏡王女一時、鏡王女贈二内大臣一歌一首」とある。歌の中の「君が名」は内大臣のこと、「吾が名」は鏡王女のことである。二重に文脈を絡めた高等テクニックの修辞が行われている。大意は、「玉櫛笥」と呼ばれる箱は丸いから、蓋をするのに角を合わせる必要もなく覆うのは容易だからと、開けておくように夜が明けてからお帰りになったら、あなたの御名の内大臣のウチ、内側は見られてもかまわないでしょうけれど、私の名の鏡王女のカガミはそうとばかりは言えません。なぜといって鏡は使い終わったら箱にきちんとしまっておくのが模範、鑑ですから、名前を体現し損なったことになってしまいます。ですから、蓋を開けたままにしておくことは惜しまれることです。夜が明けてからお帰りになったら、あなたは夜這いしていることが世に知れ渡ってしまってもかまわないでしょうけれど、噂が立ってうるさくなるのは私には惜しいことであるということを兼ねて申し述べていることでございます(注5)(注6)。
これまで何がわかっていなかったか。洒落がわかっていなかった。歌はただべらべらと喋っているのとは違う。うまいこと言えると思いつかなければ、声を大にして歌うことなどなかったであろう。何かを伝えるのに言葉巧みであるということもさることながら、ただ言葉巧みであるというそのことをもってして万葉集の歌は成立していたとも捉えられる。頓智、洒落、地口など、言葉遊びのレベルにあるのが万葉集の歌である。文字に書いて渡して伝えていたのではなく、聴衆を意識して声に出して歌ったものであった。「万葉歌人」という概念は、話芸の、それもその歌に完結する微視的な側面の強い、今で言えばオヤジギャグと同類の、口達者な言葉の操り手として捉え返さなければならないのかもしれない。
(注)
(注1)ともかくとして、の意として掲げる辞書に、岩波古語辞典(76頁)、新明解古語辞典(55頁)があり、そうではないが、の意として掲げる辞書に、小学館古語大辞典(82頁)がある。前者は伝統的な解釈であって、余意を残す言い回しであると澤瀉久隆氏は説いている。後者は佐伯梅友氏の説に拠っている。
(注2)263頁。
(注3)次のような用例がある。「…… 真玉手 玉手さし枕き 股長に 寝は寝さむを あやに な恋ひ聞こし 八千矛の 神の命 事の 語り言も 此をば」(記3)。
(注4)上代語の綾は、現在綾織と呼ばれる技法の、経糸が緯糸を二、三本をこえて交差し、表面に斜めの線を浮き出させているもののほか、綾織組織を地にしながら部分部分に模様を織り出した、紋織といえるものも含めて言っていた。
(注5)拙稿「藤原卿と鏡王女の贈答歌」参照。
(注6)先行研究では、もう一首、例がとられている。
みちのくは いづくはあれど 塩釜の 浦漕ぐ舟の 綱手かなしも(古今集1088、巻20・東歌)
解釈として、陸奥は、ほかの所はともかくとして、塩釜の浦を漕ぐ舟を陸上から引き綱で引いていく様子は、しみじみと心にしみることだ、あるいは、陸奥は、他のどこもおもしろくはないが、塩釜の浦を漕ぐ舟を陸上から引き綱で引いていく様子は、しみじみと心にしみることだ、などの意であるとされている。
古今集の歌がどのような人たちによって作られたか、作者の言葉に対する感覚がどのようなものであったか、筆者は門外漢である。それでも言えることは、「いづくはあれど」という言い回しは少し奇異なのではないかという点である。「いづく」は代名詞で、何処、の意、「く」は場所を示す。陸奥はどうかというと、何処、というのはあるけれど、云々、という言い方をしている。それを、陸奥のいいところは何処かと挙げるとするといろいろあるけれど、塩釜の浦を漕ぐ舟についている綱手縄を以てそこが一番いとおしい、のような意に膨らませて解釈している。そういう印象を醸し出そうとして言葉が置かれている。
いま少し言葉の音に忠実に考えるなら、陸奥はどうかというと、イヅクと挙げられるところがあるけれど、塩釜の浦を漕ぐ舟についている綱手縄がいとおしい、の意として解されなければならない。塩釜が陸奥の名所として歌われているのではなく、塩釜の浦を漕ぐ舟についている綱手縄がいとおしいと歌われている。
舟を操るために、楫や櫂、艪などで漕ぐばかりでなく、川底や岸を突いて進む竿も用いられ、また、川を遡上するときなどにはロープを渡して陸上にいる人がそれを引いて動かすことがあった。この歌の場合、漕ぐ方法と綱手を使う方法が明示されている。すなわち、出航するときは漕ぎ、帰着するときは綱手を引くのである。イヅ(出)は漕ぐ、ツク(着)は綱と役割分担してともにある。だから、イヅ+ツク→イヅクの歌として歌われている。
(引用・参考文献)
阿蘇2006. 阿蘇瑞枝『万葉集全歌講義 第一巻』笠間書院、2006年。
岩波古語辞典 大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波古語辞典 補訂版』岩波書店、1990年。
新明解古語辞典 金田一春彦・三省堂編修所編『新明解古語辞典 補注版 第二版』三省堂、昭和49年。
小学館古語大辞典 中田祝夫・和田利政・北原保雄編『古語大辞典』小学館、1983年。
澤瀉1953. 澤瀉久隆「萬葉集講話 六」『萬葉』第8号、昭和28年1月。52~54頁。萬葉学会ホームページ https://manyoug.jp/memoir/1953
大濱1955. 大濱嚴比古「いもとありしときはあれども」『萬葉』第15号、昭和30年4月。萬葉学会ホームページ https://manyoug.jp/memoir/1955
佐伯1938. 佐伯梅友「みちのくはいづくはあれど」『萬葉語研究』文学社、昭和13年。
加藤良平 2023.10.2初出