「にほ鳥の なづさひ来しを」(万2492番歌、人麻呂歌集)について

 柿本人麻呂歌集から出たとされる歌である。

 思ひにし 余りにしかば にほどりの なづさひしを 人見けむかも〔念余者丹穂鳥足沾来人見鴨〕(万2492)

 注釈書の現代語訳を拾う。
 思うにあまつたので、ニホ鳥のように足をぬらして來たのを、人が見たろうかなあ。(武田1956.458頁)
 心にあまって何とも仕方がなかったので、足をぬらしてやって来たのを、人が見ただろうか。(大系本186頁)
 思ふに餘つたので、鳰鳥のやうに足をぬらしてやつて來たのを、人が見たであらうかナア。(澤瀉1962.209頁)
 恋い慕って堪えられなかったので、鳰鳥が水につかるように苦しんで来たのを、人は見たろうか。(中西1981.38頁)
 思案に 余ったので (にほ鳥の) 苦労して来たを 誰かに見られはしなかったろうか(新編全集本200〜201頁)
 思いあまったので、カイツブリのように川を渡り水に濡れて来たのを、人が見はしなかっただろうか。(稲岡2006.181頁)
 思いに余ったので、水に潜ってをあさるかいつぶりのように、れねずみになって私は川を渡ってやって来たんだけれど、人がそれを目にしただろうか。(伊藤2009.51頁)
 思うにも思い余ってしまったので、水にもぐる鳰鳥のように難渋しながらやって来たのを、人は見たろうかなあ。(多田2009.334頁)
 思い余ってどうにもたまらなくなったので、カイツブリのように水に浸かりながらやって来たが、この私の姿を人が見たであろうかなあ。(阿蘇2010.233頁)
 思い余ったので、(にほ鳥の)苦労して来たのを人が見ただろうか。(新大系文庫本273頁)
 この歌は万2947番歌の左注にも現れている。

 思ふにし 余りにしかば すべをなみ われは言ひてき むべきものを〔念西余西鹿歯為便乎無美吾者五十日手寸応忌鬼尾〕(万2947)
 ……柿本朝臣人麻呂の歌集に云ふ、にほ鳥の なづさひ来しを 人見けむかも〔……柿本朝臣人麻呂歌集云尓保鳥之奈津柴比来乎人見鴨〕(注1)

 解釈において、ひと昔前は、野路の露を分けてきたとする説(武田祐吉氏)と川を渡ったとする説(澤瀉久孝氏)が並立していた。近年の専論では次のように捉えられている。

 恋しい思いに堪えきれなくなって、ながらく潜いでいた丹穂鳥がやがて水面に現れ出でて波に揺れてなづさふように、ながく胸の内に隠し続けた恋心は丹の穂のように色に出でて、とうとう足を枯らして河をなづさひ渡るという恋の冒険を犯して、あの子のもとに来てしまった。恋心を露わにしてやって来た私を、誰かが見はしなかったろうか。(松田2023.149~150頁)

 この訳では、最終的に恋人のところへ来た私が人目を気にしていることになる。しかし、「なづさひ」している様子、その無様なさまを見られなかったかと歌ったものではないか。
 実際がどうであったかではなく修辞の問題である。どうして「思ひにし 余りにしかば」が「にほ鳥」へと続いていくのか、また、どうして枕詞「にほ鳥の」は「なづさひ」にかかるのかである。
 それ以前のこととして、「なづさふ」の語義についても問われる。
 時代別国語大辞典では、「水にもまれる、浮かび漂う。」、「万葉の例のほとんどすべてがナヅサヒ=行ク・・(川を)ノボル・渡ル、というような例で、水に漬かり悩まされながら、その抵抗を排除して進む意と思われる。」(524~525頁)としている。
 松田氏は、內田1998.を一部採用し、上下に踊るような動きをすることを「なづさふ」の本義と見、難儀にあって苦労しながら進むのではないとしている。説明に当たって次の歌を挙げている。

 …… たら乳根ちねの 母のみことは 斎瓮いはひべを 前に据ゑ置きて 片手には 木綿ゆふ取り持ち 片手には にき細布たへまつり たひらけく まさきくませと 天地あめつちの 神祇かみみ いかならむ 歳の月日か つつじ花 にほへる君が にほ鳥の なづさひむと 立ちてて 待ちけむ人は ……(万443)(注2)

 母親が我が子の帰りを待つ様子を述べた箇所である。松田氏は、元気な姿で足取りも弾ませて故郷へ戻ってくることを願って待っているものと決めてしまっている。そして、「なづさふ」は上下運動に重きを置いた弾み歩み、踊るような動きのことと見ている。
 しかし、「つつじ花 にほへる君が にほ鳥の なづさひ来むと」の「つつじ花」や「にほ鳥」は、なかなか帰り着くことができないことを予感させるために使われた表現である。

 羊躑躅 陶隠居曰はく、羊躑躅〈擲直の二音、伊波都々之いはつつじ、一に云ふ毛知豆々之もちつつじ〉、羊、誤りて之れを食ひ、躑躅として死す、故に以て之れを名くといふ。(和名抄)

 ヒツジ(羊)はツツジ(躑躅)を食べると足に病を起こして死ぬとされ、その名があったと伝えられていた(注3)躑躅テキチヨクとは足が進まないことを言い、それを植物のツツジに当てている。つまり、万443番歌において、ツツジの花のような顔色をしていると表現しているのは、足の病気になって帰って来られないのではないかと思わせるための譬えなのである。足が悪くなれば、にほ鳥が上手に歩けないように、たとえ帰って来るとしてもその道行きは難儀なことになってしまうだろうと言っている。
 最終的にこの歌では、息子は帰って来なかった。全体の調子を整えるためにこのような言葉を挿入しており、テクニックとしてうまい方法であると評価されてよいだろう。
 「なづさふ」及びその関連語としては、「なづさふ」(万430・1016・3623・3625、記100)、「なづさひく」(万443・2492・2947イ・3691)、「なづさひのぼる」(万4011・4189)、「なづさひゆく」(万509・3627・4156)、「なづさひわたる」(万1750・2071)がある。多く仮名書きされるなか、義を表す用字「足沾」が二首(万2071・2492)で使われている。川辺や湖畔などで足が濡れると歩みがままならなくなるから、その義を記したものと思われる。

 …… の 枝のうらは 在衣ありきぬの 三重みへの子が ささがせる 瑞玉盞みづたまうきに 浮きしあぶら 落ちなづさひ〔淤知那豆佐比〕 みなこをろこをろに ……(記99)

 記歌謡では、杯に浮いた油が浮遊するように、枝から落ちた葉は水を漂うと言っている。葉に意思があるわけではなく、川の水に揉まれることを指している。

 みてぐらに ならましものを すべがみの 御手みてに取られて なづさはましを なづさはましを(神楽歌・幣)

 神楽歌では、お釈迦様の手のなかでもてあそばれるように、神の手のなかでもてあそばれてあちらへ行き、こちらへ来るというように、凡夫の愚かな思いを超越していることを指している。

 蹈 他交・徒到二反、践也、不弥奈豆佐不ふみなづさふ(新撰字鏡)

 新撰字鏡では、関連語としてフム、フミニジル、フミナヅサフの和訓が与えられている。フムは歩を確かにすること、フミニジルは足に力を入れて物を圧し潰し去ること、フミナヅサフは、例えば、憑依して不意に踊り出すことによって、足が不均一に動くことを指すようである。
 つまり、「なづさふ」は、時には独りよがりな自らの意思によって効率的に進むことができない歩みのことを指す言葉のようである。水のあるところのように足場が悪いと必ずそうなるため、「足沾」という字が当てられていると考えられる。

 …… しく川 なづさひのぼり〔奈頭左比泝〕 平瀬には 小網さでさし渡し ……(万4189)

 徒鵜飼をしていて川を上流の方へと遡って行くことを言っている。川岸や川の浅いところに入りながら歩を進めること、足元を気にしながら、踏み場を選びながらの行程であることを示している。

 夕されば 葦辺にさわき 明け来れば 沖になづさふ〔於伎尓奈都佐布〕 鴨すらも 妻とたぐひて ……(万3625)

 沖合で潮の流れや寄せ来る波にもまれながら鴨が進む様子を表している。まっすぐに、また、素早く進むことはできない。

 …… 朝凪あさなぎに 船出をせむと 船人も 水手かこも声呼び にほ鳥の なづさひ行けば〔奈豆左比由氣婆〕 家島は くもに見えぬ ……(万3627)

 朝の凪を見計らって船出をしようとして、船に乗る人も船頭も声をかけ合って、にほ鳥のように船出している。「なづさひ行」くは、船出してからすぐの陸地に近いところには岩礁が隠れている可能性が高いから、その様子をよく見て声を出して注意を促し、右へ左へと舵を切り櫂を操りながら慎重に進んでいくことを指している。喜び勇んで踊るように船を進めていたら、ほどなく破損、転覆、座礁、沈没に至るだろう。

 山のに 月かたぶけば いざりする 海人あま燈火ともしび 沖になづさふ〔於伎尓奈都佐布〕(万3623)

 海人は夜間の漁をしている。燈火を灯して目的地へひた走るのではなく、光に集まって来る習性を利用して漁をしている。網で獲ったら次はまた近くで網を下ろして揚げる。その繰り返しをしているから、陸地から見れば燈火は一向に進んでいないかと見紛うのであり、徒鵜飼で上流へ行くのに足場を確かながら進むこととよく似ていることになる。
 以上が「なづさふ」の語義である。
 それを踏まえたうえで当時の人の感覚のままに当該歌を読み返すと実は難しいところはない。
 「思ひにし 余りにしかば」が「にほ鳥」につづく点は、農村の風景を見ればすぐにわかることである。
 稲作をし、稔った稲を収穫する際、大量に獲れたら多すぎてすべてを蔵に収めることはできない。屋外で干しながら保存する方法として、刈り取った稲束を積み上げることが行われた。それをニホという。余ったらニホにするのは常識である。その義を借り、思い余ったときもニホに関連するようにしている。
 枕詞「にほ鳥の」は「なづさひ」にかかる。万葉集に三例(万443・2492・3627)見える。枕詞となっている理由については、足取りの不確かなところが「にほ鳥」、カイツブリに見られるからである。水上を行く場合、体の小さなカイツブリは波にもまれているように見える。ただし、実際はそうでもないことは潜水能力から知れ、体の大きさに対して脚を漕いだときの推進力はかなり強く、長時間潜っていて想像もしない遠くで再び水上へ現れることもよく目にする。カモ類とは違い、脚には蹼ではなく、ウ(鵜)のように弁足がついている。蹼でも地上歩行をするにはたどたどしいところがあるところ、弁足ではさらにぎこちなく、よちよち歩きのようになっている。だから、にほ鳥は「なづさひ」と密接に結びつくのである。
 これらは修辞として歌に付加されたものなのだが、修辞があるからこそ歌として成り立っているともいえる。文の骨格だけを捉えるべく散文にするなら、「思ひに余りしかば[吾]来し、人見けむかも」と味気ないもの言いになって、言葉づかいに趣きはなく、言語活動として低級のそしりを免れないのだが、そこに本意はない。

 思ひにし 余りにしかば にほどりの なづさひしを 人見けむかも(万2492)
 思い余って、余ったといえば稲が豊作だったら蔵に入りきらずにニホに積んでおくものだが、そのニホではないがニホ鳥が水辺を弁足で足取りぎこちなく歩くように、慣れない歩みをして時に道を間違えたりしてあなたのところへ来たのを、人は見てしまっただろうかなあ。

 ここで、逢うためにやってきた「吾」は、川を渡って来たかは問われない(注4)。歩くようにはできていないカイツブリの足で喩えることで、来訪することが常態ではない、おそらくは初回の訪問である様子を述べているものだからである。少しとぼけた風のある恋の歌として捉えられ、おおらかでほのぼのとした味わいを出していると評していいだろう。

(注)
(注1)この歌は巻第十二「正述心緒」の部立にあり、万2492番歌は巻第十一「寄物陳思」の部立にある。松田2023.は、文字表記における相違(「尓保鳥」と「丹穂鳥」、「奈津柴比」と「足沾」)によりそれぞれの部立に参入されているとしている。しかし、万2947番歌のそれは左注で紹介しているだけで本歌ではない。歌は口頭言語芸術である。文集ではなく歌集である万葉集は、内容を分類する際、文字列を重視して起点とすることはしなかったと思われる。松田氏の訳にある「丹の穂のように色に出でて」という意味合いも、文字面を字幕スーパーで目にすることがない限り、つまり、歌が歌である限り受け取ることはできない。
(注2)原文の「牛留鳥」をニホと訓む理由について牛言葉に求める説がある。第一は、牛に止まれと命じる時にニホと言ったのではないかとする推測である(全集本)。第二は、牛に荷を載せる「荷負ふ」に求め、niofu → nifo への転訛を捉えての推測である(竹生・西2010.)。これらは、万葉集の戯書と見るにはセンスが良くない。筆者は、牛が留まっていたら吐く息がとても臭く、あたりににほうことをもってニホを表すとしたと考える。きわめて万葉的な戯書である。
(注3)和名抄は平安時代の辞書であり、奈良時代にそう思われていたか確かめることはできないが、ヒツジ(羊)、ツツジ(躑躅)というとてもよく似た音の語を無関係に理解することの方がよほど難しい。万葉集でツツジの語が道行きにまつわって使われている例は七例(いはつつじ(万185・1188)、しらつつじ(万1694)、つつじはな(万443・3305・3309)、につつじ(万971))ある。それ以外は二例(しらつつじ(万434・1905))である。
(注4)従来の解釈では、逢いたさのあまり濡れることも厭わずに、徒歩で川を横切り渡ってきたことをにほ鳥に託して歌ったものと思われている。この解釈には矛盾がある。にほ鳥、カイツブリは潜水を非常に得意とする水鳥で、一度潜るとどこへ行ったか見失うほどである。人目に付くことなく逢いに来ている譬えになってしまい、恋の秘密の露呈を歌うことにはつながらない。
 恋の露呈を詠んだ歌には次のような絶唱がある。緊張感が違うのは趣旨が違うからである。

 人言ひとごとを しげ言痛こちたみ おのが世に いまだ渡らぬ 朝川渡る(万116)

(引用・参考文献)
阿蘇2010. 阿蘇瑞枝『萬葉集全歌講義 第六巻』笠間書院、2010年。
伊藤2009. 伊藤博訳注『新版万葉集 三 現代語訳付き』角川学芸出版(角川ソフィア文庫)、平成21年。
稲岡2006. 稲岡耕二『和歌文学大系3 萬葉集(三)』明治書院、平成18年。
內田1998. 內田賢德「古辞書の訓詁と万葉歌」『国語と国文学』第75号第5号、平成10年5月。
澤瀉1962. 澤瀉久孝『萬葉集注釈 巻第十一』中央公論社、昭和37年。
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、1967年。
新大系文庫本 佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『万葉集(三)』岩波書店(岩波文庫)、2014年。
新編全集本 小島憲之・木下正俊・東野治之校注・訳『新編日本古典文学全集8 万葉集➂』小学館、1995年。
大系本 高木市之助・五味智英・大野晋校注『日本古典文学大系6 萬葉集三』岩波書店、昭和35年。
武田19556. 武田祐吉『増訂萬葉集全註釈八』角川書店、昭和31年。
竹生・西2010. 竹生政資・西晃央「万葉集443番歌の「牛留鳥」の解釈について」『佐賀大学文化教育学部研究論文集』第15巻第1号、2010年8月。佐賀大学機関リポジトリ https://saga-u.repo.nii.ac.jp/records/19586
多田2009. 多田一臣『万葉集全解4』筑摩書房、2009年。
松田2023. 松田浩「景物としての枕詞「丹穂鳥」─人麻呂歌集二四九二番歌の文字表現をめぐって─」鉄野昌弘・奥村和美編『萬葉集研究 第四十二集』塙書房、令和5年。

加藤良平 2026.4.6初出

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