今日、十月の古語、カムナヅキ(カミナヅキ)については、神無月のことという中世の俗解が流布している。平安後期の藤原清輔・奥義抄に、「天下のもろもろの神、出雲国にゆきて、こと国に神なきが故にかみなし月といふをあやまれり」(都留文科大学デジタル化資料https://www.tsuru.ac.jp/soshiki/17/257.html「清輔奥義抄 上 二」(16/32)に適宜、漢字、句点を施した)という説が載る。巷間では、出雲では十月のことを神在月というのだとまことしやかに囁かれている。しかし、古代の文献にそのような記述は見られない。時代別国語大辞典は、「神=ナ=月としてナを古い連体格助詞とみる説がふつうである。十月に神を祭る習俗が古代朝鮮にあり、また秋の収穫の後に行なわれるカガヒ(嬥歌会)などとも関連させて、十月に神を祭る風習があったとするのである。」(224頁)とする。しかし、養老令・神祇令には、十月にあたる孟冬に祭祀の規定はない。収穫祭関連は、九月にあたる季秋の神嘗祭、十一月にあたる仲冬の相嘗祭、大嘗祭に定められている。カムナヅキ(カミナヅキ)のカム、カミを神の意と捉えることは疑問とせざるを得ない。
万葉集には、「十月」を歌う歌が五首ある。
十月 時雨に逢へる 黄葉の 吹かば散りなむ 風のまにまに(万1590)
九月の 時雨の雨の 山霧の いぶせき吾が胸 誰を見ば息まむ 〈一は云ふ、十月 時雨の雨降り〉(万2263)
十月 時雨の雨に 濡れつつか 君が行くらむ 宿か借るらむ(万3213)
十月 雨間も置かず 零りにせば いづれの里の 宿か借らまし(万3214)
十月 時雨の常か わが背子が 屋戸の黄葉 散りぬべく見ゆ(万4259)
十月は冬の始めの月で、時雨の季節で、黄葉の時でもある。九月にも同様の表現がある。俗説や通説の、神の出雲行きや神祭りと関連する歌は一つもない。仮名書きの例がなく、ミの音の甲乙は知られない。虚心坦懐に見れば、十月と神(ミは乙類)とを結びつける証拠はひとつもないから、カミナヅキは髪、上、守などカミ(ミは甲類)との関わりも検討すべきである。万4259番歌に「屋戸」とあり、問答歌の万3213・3214番歌には宿を借りる話が出ている。一般に雨宿りの話とされるが、ヤド(宿・屋外・屋門)は、家のある所やその周辺、家、また、宿泊施設のことである。ヤドと季節とは関係がなさそうなのに、わざわざ何度も登場しているのには何か深い因縁があるに違いない。すなわち、これらの歌の妙味は、十月のカミナヅキが、ヤドカリの古名、カミナ(ミの甲類)とかかっている点である。カミナはカムナ、カウナともいった。和名抄に、「寄居子 本草に云はく、寄居子〈加美奈、俗に仮に蟹蜷二字を用ゐる〉は貌、蜘蛛に似る者なりといふ。」とある。
カミナとは、カニ(蟹)+ミナ(蜷、ミは甲類)の約とされる。ミナはタニシやカワニナなど、淡水生の巻貝をいう。和名抄に、「河貝子 同[崔禹]食経に云はく、河貝子〈美奈、俗に蜷の字を用ゐるは非ざるなり、音は拳、連蜷虫の屈む貌なり〉は、殻の上、黒く小さく狭く長くして人の身に似たる者なりといふ。」とある。中国で蜷の字は、虫のかがまりうねるさまを指す。地名の「南淵」に「蜷淵」と当てた例があり、枕詞「御食向かふ」が「南淵山」に掛っているのは、蜷が酒の肴とされたからである。延喜式・内膳司の諸国貢進御贄の旬料、大和国吉野御厨の項に、「但し蜷并に伊具比魚煮凝等、得る随に加進せよ。」とある。
また、枕詞「蜷の腸」は万葉集中に五例あり、すべて「か黒き髪」、「か黒し髪」に掛っている。
…… 蜷の腸 か黒き髪に 何時の間か 霜の降りけむ ……(万804)
天にある 姫菅原の 草な刈りそね 蜷の腸 か黒き髪に 芥し着くも(万1277)
…… 蜷の腸 か黒き髪に 真木綿持ち あざさ結ひ垂れ ……(万3295)
鴨じもの 浮寝をすれば 蜷の腸 か黒き髪に 露そ置きにける(万3649)
…… にほひ寄る 子らが同年輩には 蜷の腸 か黒し髪を ま櫛もち ここにかき垂れ 取り束ね 揚げても纏きみ 解き乱り 童児に成しみ ……(万3791)
このかかり方の説明として、蜷の腸は青黒い色をしているから、また、食べるときに焼くと黒くなるからという説があるが、いかがなものであろうか。カミナ(蟹蜷)は、巻貝の頭にヤドカリが入っている。ミナノワタ(蜷腸)は、巻貝の頭に巻貝が入っているということである。すなわち、ヤドカリのカミナとは、カミ(髪)+ナ(無)、髪が無いので帽子か冠か鬘を被っていることに当たり、反対に、中身も蜷であるミナノワタは、髪の毛が黒々ふさふさに生えていることに相当する。したがって、ミナノワタは「か黒き髪」、「か黒し髪」を導くのである。
以上から、十月を表すカミナヅキのミは甲類であり、上代には蟹蜷月と聞こえていた。無論、これは、カミナヅキ(カムナヅキ)の語源ではない。ヤドカリ、ないし、禿げ頭と十月との関係は、秋の名月の照り輝きを譬えたものとしても大いなる洒落である。枕詞のような言葉遊びに興じていた万葉人の心性を知るにはとても重要なことである。言葉の研究には、どのように思ってその言葉を使っていたかだけが求められる。
十月を髪+無+月とする洒落に基づいて、次の歌も作られていると考えられる。
白雲の たなびく国の 青雲の 向伏す国の 天雲の 下なる人は 吾のみかも 君に恋ふらむ 吾のみかも 君に恋ふれば 天地に 言葉を満てて 恋ふれかも 胸の病みたる 思へかも 意の痛き 吾が恋ぞ 日に異に益る 何時はしも 恋ひぬ時とは あらねども この九月を わが背子が 偲ひにせよと 千世にも 偲ひ渡れと 万代に 語り継がへと 始めてし この九月の 過ぎまくを いたもすべ無み あらたまの 月のかはれば 為むすべの たどきを知らに 石が根の 凝しき道の 石床の 根延へる門に 朝には 出で座て嘆き 夕には 入り座恋ひつつ ぬばたまの 黒髪敷きて 人の寐る 味寐は寝ずに 大船の ゆくらゆくらに 思ひつつ 吾が寐る夜らは 数みも敢へぬかも(万3329)
巻十三の挽歌の部立に載る。慣用的な表現ばかり頻出する冗漫な歌である。「為むすべの」以下の後半部分は万3274番歌とほとんど同じであり、それには反歌がつけられて相聞の歌とされている。しかるに、慣用的でない「九月」が唐突にも二回出てくる。通説では、亡くなった彼氏との思い出の出来事が九月にあったからとされている。しかし、特別な思い出となることがあるなら、それを歌えばいいのであるがそれがない。ない以上、「九月」を修辞的に使っていると考えなければならない。誰もが理解でき、納得する歌として歌われ、伝えられたのであろうからである。
九月が過ぎて月が替わると十月になる。十月は髪無月である。九月ですらできないのだから、黒髪を敷いて寝ると表現される共寝などまったく絶望的になるであろう。また、幾夜過ぎたか月を数もうと見上げると、やはり髪無月である。月読壮士とも擬人化される月の姿が禿げ坊主である。髪型を変えようにも変えられず、毎日満月に照り輝くことになっている。これでは月の形から日にちを数えることができない。すなわち、時間の停止である。そんな別れの絶対性とは、離別ではなく死別であり、恋の歌ではなく挽歌である。その部立に収められている。
万葉時代には、十月をカムナヅキと言い、その語を髪無月の謂いだと思って楽しんで使っていたのであった。
(引用・参考文献)
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、1967年。
東1935. 東光治『万葉動物考』人文書院、昭和10年。
加藤良平 2013.3.9初出