万葉集における「足柄」の船表現について

 万葉集巻十四に「足柄小舟」の歌がある。

 ももつ嶋 足柄あしがらぶね 歩行あるきおほみ 目こそるらめ 心はへど(万3367)

 一般に、「足柄小舟」は多くの島をあちこち漕ぎ廻る意と解されている。顕昭・袖中抄(1185~1190頃成立)に、「顕昭云、あしがらをふねハ相模乃あしがらの小舟也。相模防人が哥也。或人云、葦苅小舩アシガリヲフネ也。らとりと同音也。或人云、足軽アシガラを舟也。らとりと同音也。万葉にハあしがらをバあしがりともよめり。りとらと同音也。あしがりのはこねのゝろ、あしがりのわをかけ山、あしがりの山のこすげのすがまくら。敦隆にハルイ葦鴈アシガリとて此等をカリノ哥に入たり。」(国文学研究資料館・国書データベースhttps://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/200014702/485)とある。小回りの利く船足の軽さが特徴とも推測されている。そして、第三句を導く序詞となっていて、出歩くことが多くて、心には思っていても逢うことは少ないのでしょうと言っている歌と考えられている。
 この歌の作者について、女性の作とする説が根強い。近年の注釈書を見ても次のように訳されている。

 たくさんの島を足柄小舟が行くように、あの方は通う女性が多いので、わたしの所にはあまり来てくださらないのでしょう。心では思っていても。(稲岡2006.457頁)
 島、その島々を経めぐる足柄小舟は、海藻があちこち生えていて立ち廻らねばならぬ所が多いので、その海藻をせっせと刈っているわけよね。(こちらへの目はれてあちこち女を漁っているわけよね)。心の中では思いをかけてくれているんだろうけど。(伊藤1997.305頁)

 伊藤1997.の「海藻」と「目」との掛詞説は傾聴に値する。一方、男性作歌説もある。

 たくさんの島を行きめぐる足柄小舟のように、出歩くことが多いので、直接の目見えは疎遠になっているのだろう。心には思っているのだが。(多田2009.323頁)

 多田2009.は、「男の歌。女に逢えない言い訳。「歩き多み」に通う先の多いことをあてこする意があるとし、女の歌と解する説があるが、従えない。」(323頁)という。助動詞ラムには、発話者自身のことを推量する場合も見られる。混乱した状態にある自分のことを俯瞰して見るもう一人の自分がいることは、精神衛生上とても好ましいことである。同様の「らむ」の用例としては次のようなものがある。

 今更いまさらに いもに逢はめやと おもへかも ここだが胸 いぶせくあるらむ(万611)
 たらちしの 母が目見ずて おほほしく いづち向きてか が別るらむ(万887)
 広瀬川 袖つくばかり 浅きをや 心深めて へるらむ(万1381)
 あひおもはず あるものをかも すがの根の ねもころごろに 吾が念へるらむ(万3054)
 …… 天雲あまくもの 下なる人は のみかも 君に恋ふらむ ……(万3329)

 また、上代に見られるいわゆるミ語法は、「…ヲ~ミ」の形で原因理由を表すことが多く(注1)、「「Aは[BヲCミ]D」という構造として捉えられ、〈主節の主語Aが、Bに対してCという評価・判断を下したためにDのようにする(なる)〉という意味を表すものと考えられる。」(青木2016.208頁)とされている(注2)。本例は格助詞ヲを伴わない例であるが従うと、主語が、「歩行あるき」に対して「多」いという評価・判断を下したために「目こそ離る」のであろうという意味を表していることになる。「歩行」の主語は何か。譬えとしてあげられている「(百つ島)足柄小舟」である。伊藤1997.はそのままに訳しているが、一般には、第一句・第二句は譬えとして「~のように」と訳されている。「(百つ島)足柄小舟」のような存在は男性である。通い婚の時代の風習だから、譬えに用いられて適当である。だから、男性が乗っている「足柄小舟」は、「歩行」を多いと評価・判断し、なかなか逢えないのであろう、と言っているものと捉えられる(注3)。歌のすべての句が男性の側に立って歌われている。そのすべてを括弧で括って、「ということなのでしょうね」と女性から当てこすっていると考えるのは無理であろう。筆者は多田氏の考えに同調する。
 上代語のアルク(歩行)は、移動・進行の面に重点がある言葉とされている。「歩行」くものとして「(百つ島)足柄小舟」があげられている。足柄山から伐り出した木材が船に好都合であったとする解釈がされている。相模風土記逸文に、「足軽アシカラ山は、此山の杉の木をとりて舟につくるに、あしの軽き事、他のにて作れる舟にことなり。よりてあしから足軽の山とツケたりと云々。」とある。その程度の地名譚である。実際に用材の産地として知られていたものではなかろう。風土記(逸文)の地方説話にあるだけで、記紀にそのような記述は見られない。船足が速い高速艇のことを「足柄小舟」と特別に呼称していたと想定して検討するには無理がある。
 筆者は、「足柄小舟」をそのような調子のいい船とは考えない。船足が速ければ、真っ先に女性のもとへ来れるではないか。反対に、一直線に恋する相手のところへ向かうことのできない、肝心の用を足さない粗悪な舟のことと考える。舟の調子が悪いから、少し行っては島を伝うことになっている。「足柄小舟」を葦でできた葦船と捉えるなら、チチカカ湖でも葦船は実用に供している。記上、神代紀第四段一書第一のなかでは、「葦船」に「水蛭子ひるこ(蛭児)」を載せて流しやったと記されている。「歩行あるおほみ」なだけで、沈みそうになって命からがら島にたどり着いているというわけではない。つまり、船自体の素材として葦は特段否定されるものではないのだが、そうではなく、この「足柄小舟」は、推進力となるべき檝が葦の柄でできていてうまく漕げない船を指していると考える。そんな船だから、百もの島に漂着してしまうというのであろう。木のオールではなく「足柄」=アシガラ=葦柄であるなら、枯れた穂の部分を水面下に入れて漕いだということになる。もちろん、船はほとんど進まないし、まっすぐにも進まない。だから、百もの島を廻ると言っている。
 したがって、心の中では思っているのだけれど、なかなか逢いに来られないのは、自分に非があるのではなく乗り物に非があるのだと、男性が言い訳をしている歌であると理解される。乗物のせいで目指しているあなたのもとへなかなかたどり着けないのだと、冗談を言いながらごまかして語っている。そんな語り口だから自分のことについて推量の助動詞ラムが用いられている(注4)。歌の意に適い、文法的にも整合性が取れている。伊藤1997.の「海藻」と「目」との掛詞説は生きていると思われる。檝が岸辺の草、葦の柄でできている。葦の柄を海水に入れて漕ごうとすれば、たちまちにふやけて「海藻」の漂うような状態になりそうである。海藻が波間に漂うようになり、百もの島を廻るように進めないというように、イメージが交わり膨らんでいてわかりやすい。
 足柄と船とが関係あるとする歌が、巻三にある。

 ぶさて 足柄山に ふなり きつ たらふなを(万391)

 この歌については、船材としてではなく他の材として伐ってしまったから船に使えなくなったことの謂いとする説が優勢である(注5)。出だしの「鳥総」については、鳥の総状のものを作ってお供えにした信仰上の行為かとされている(注6)。そのとおりであろう。筆者はその際、鳥の総のように見えるから「鳥総」という語が成っていると考える。冠羽状に見えるもの、例えば葦の穂の残った柄を連想させる役割も果していて、アシガラという語を導いていると考える。そしてまた、「鳥総立て」をするような木の切株は、とても巨木であったろう。そんな大木を船材として大きなまま運んで来たのが目の前にあり、「あたら船木を」と嘆いている。刳船を造るために大きいまま運んでくることは大変である。せっかく運んできてくれたのだが、アシガラという名は漕ごうにも漕げないことを暗示してしまっている。縁起が悪いから船には造らない。海では遭難がつきものだから縁起を担がないわけにはいかない。凶事につながるようなことはできるだけ避けて通る。もったいないことである。このように理解するのが正しいと考える。
 もう一例、巻十四にある。

 足柄あしがりの 安伎奈あきなの山に ふねの しりかしもよ ここばがたに(万3431)

 この歌は、船をしりから引いて下ろしていくように、帰る夫の後を引っぱりたい、今度ここへはなかなか来ないだろうから、という意と解されている。「足柄の安伎奈の山」はどこのことか不詳である。後ろ髪が引かれるというように未練がたっぷりで、帰る夫を進みにくくしたいと歌っているのだろう。ならば地名も、進みにくい船を比喩に表すところがあれば効果的である。船が海や川から山に乗り上げて進むことはないし、ましてやその檝が葦の柄であればなおさらである。したがって、葦柄という、船にとって最悪の汚名を負った地名を持ち出している。「安伎奈の山」は、アキ(飽)+ナ(名)の意であろうか。アシガラという名に飽き飽きしているというように聞こえる。「引こ船」は山から引きずり下ろすという意味ではなく、川船の場合、ロープを使って岸で引いて遡上させていたように、山へ引き上げることを指していると考えられる。もちろん、そのようなことはする必要もないし、できもしない。ましてや先の尖った舳の方からではなく艫のほうを引きあげようとするなど、考えるだけでも可能性は限りなくゼロに近いのである。
 以上、船と関係する「足柄」の歌のイメージについて、万葉集の三つの歌で見た(注7)。上代には、アシガラと「名に負ふ」がために、船には不向きなもの、避けられるべきもの、そぐわないものと思われていた。

(注)
(注1)佐佐木2016.は、万葉集のミ語法の数四百三十六例のうち、原因・理由を提示する用法のものは四百七例あるとする。
(注2)村島2002.は、「「─ヲ─ミ」語法はある動作をとる主体に形式的に指示の他動作をとらせて、その時その人(物)に限った対象の状態を表す語法である。主体に対象の状態を指示させる形によって限定的な状況を表すのが基本で、それが二次的に思惟や原因と重なっていく。……現代語としては「主体には、AがBくて、動作。」の構文が意味の上で最も近く、実際多くの「─ヲ─ミ」語法をこの構文で統一的に理解することができる。その上で、二次的に思惟や原因理由と重なる場合には適宜反映させていくべきであろう。」(55頁)とする。筆者には疑問が残る。名詞節をほどいて省略を補った形で示された例をあげてみる。

 (我)命を惜しみ、玉藻刈りをす。(万24)
 (我)、人言ひとごとしげみ、朝川渡る。(万116)
 沖つ白浪、風を速み、高からし。(万294)
 霍公鳥(ほととぎす)、花を良み、鳴く。(万1483)
 葛、野を広み、延ふ。(万1483)
 雁が音、月を良み、聞こゆ。(万2131)
 秋萩、うら若み、露に枯れけり。(万2095)

 村島氏は、主体が人間ではなく動物や植物、景物になったら思惟認識の動作と認めがたいとし、擬人法と考えるのは無理であろうという。対して、内田1999.は、最後の例(「夕されば野辺の秋萩うら若み露に枯れけり秋待ちかてに」)について、「秋萩は、ここで有情のもののように、自身の枝先を若いと感受して、その若さを我が身に被って、夕方になるとまだ花の咲かぬ枝先を露に傷めてしまう。秋を待ちかねてそうなるのは、逆に言うと、いち早く秋を知るのでもある。作者はそれをいとおしみつつ愛玩している。」(168頁)と解説している。この解説は卓抜である。こういった機微を表すために、「ミ語法」は編み出されているのではないかと思われる。
 村島2002.に、「「─ヲ─ミ」語法独特の効果を直接反映する語法が現代に存在しない点にはなお留意すべき」(55頁)としながら、「駐車場に車を停めた。」といった連用修飾関係に因果関係を認めてしまうと無理が生じるという。けれども、現代語で、「(広くあいていた)駐車場に車を停めた。」という言辞においても、ほらごらん、と当該駐車場を指差しながら取締官に言い放つ時、入り口は開いていたし断り書きも目に入らず、スペースも有り余っていたから停車させたのだと抗弁することはままある。「にぃ」と力んで言うときには、助詞ニを因果関係として用いている。「ミ語法」を「統一的に理解」することばかり優先させることは、何のためにこの語法を上代の人は作り出したのか、に対する動体視力を失っていないだろうか。
 上の例で、万1483番歌と万2131番歌とで、ニュアンスに違いがある。万1483番歌は、ホトトギスが花を良いと評価して鳴いたと単なる擬人法で捉えることができるが、万2131番歌は、内田1999.による解釈でならなければ理解できない。すなわち、雁が音は月を良いと評価・判断して聞こえる、という表現は、雁の鳴き声はその鳴き声を響き渡らせて雁の鳴き声であることを美しく表そうとし、そのためにはその鳴いている雁の姿が人の目に映らなければならないと有情していて、夜でも月が明るく照らしている時をこそふさわしいと思って発しているから、月明かりのもとで聞こえてくるのである。叙景、詠物のために表現を工夫している。
(注3)青木2016.の〈主節の主語Aが、Bに対してCという評価・判断を下したためにDのようにする(なる)〉をそのまま当てはめると、主節の主語A=「(百つ島)足柄小舟」が、D=「目こそ離るらめ」のようになるが、船に目がついているかどうかといった東南アジアの例を持ち出す話ではない。「足柄小舟」は歌の作者である男が自らのことを譬えてみたのであって、そういった融通無碍の語り口に「ミ語法」は適うものであったかとも思われる。なにしろ、判断する主体は「足柄小舟」(「沖つ白浪」、「霍公鳥」、「葛」、「雁が音」、「秋萩」)など、当事者責任を負わせられない相手である。だからこそこの歌では、なんともひねくれたような言い訳に役立っており、その点に、原因理由を述べる、ないしは、こじつける語り口としてうまく表出している。
(注4)角川古語大辞典の「らむ」の項に、「現在する事象を述べる句を「らむ」で結び、その事象成立の理由などを述べる句を「らむ」が構文的に、あるいは連文的に包摂して、理由などを想定・推量する。」ものとして、「理由などを想定する句が順接の確定条件句として表現され、「らむ」止めの事象の句がそれを受ける帰結の句として続く。いわゆる「み」語法によって理由を想定するのも、この型に準じる。」(898頁)の例に、「うちなびく春を近みかぬばたまの今宵の月夜霞みたる良牟(らむ)」(万3831)をあげている。
(注5)澤瀉1958.に、「「船木に伐り木に伐りゆきつ」を船材に伐るべき木をたゞの用材に伐つて行つた、と訳する事はむりである。古義に「百千鳥モヽチドリ 千鳥者雖来チドリハクレド」(十六・三八七二)、「茅草苅チガヤカリ 草苅婆可尓カヤカリバカニ」(十六・三八八七)などの例をあげてゐるやうに、「舟木伐り木に伐り」といふ云ひ方は、上の句の語のくりかへしを略し、舟木として・・・伐つたと見るのが自然であらう。」(438~439頁、漢字の旧字体は改めた)とある。その上で別の場所へ持って行ってしまったとする説を唱えている。

左:「株祭(かぶまつり)之図」(とぶさたて、木曽式伐木運材図会・上巻、中部森林管理局ホームページhttp://www.rinya.maff.go.jp/chubu/koho/batuboku-zyoukan/zyoukan-pdf/zyoukan10.pdf)、右:道祖神に幣を捧げ祀る(志貴山縁起写、国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2574278/1/12をトリミング)

(注6)杣人は、樹木、特に大樹を、山神よりの下賜品と考えていたとされ、伐り倒した後、切株に末枝を刺し立てて奉謝とした。それが鳥総立てという儀式で、株祭りとも呼ばれている。万葉集にはほかに、「鳥総立て 船木伐るといふ 能登の嶋山 今日見れば だち繁しも 幾代かむびそ」(万4026)という例がある。原生林のようなところへ「船木」となる大木を求めに出掛けている。
(注7)「足柄」については、他に、「さか」と結びつく例が万3371・4423・4372番歌、「坂」と結びつく例が万1800番歌の題詞に見られる。東国との境界を示すと重んじられたとの説が唱えられている。ただし、万葉集歌の「御坂」八例(万1675・1800・3192一云・3371・4372・4402・4423・4424)のうち、他に地名を冠するのは「藤白の御坂」(万1675)のみで、「足柄の御坂」が突出している。「神の御坂」(万1800・4402)例から考えても、「足柄」=アシガラ=葦柄のためにぬさを想起させて旅立ちの折に捧げるのにふさわしい名所と認識されたのではないか。境界をよく表す言葉であると「足柄の御坂」は捉えられていたということである。

(引用・参考文献)
青木2016. 青木博史『日本語歴史統語論序説』ひつじ書房、2016年。
伊藤1997. 伊藤博『萬葉集釈注七』集英社、1997年。
稲岡2006. 稲岡耕二『和歌文学大系3 萬葉集(三)』明治書院、平成18年。
内田1999. 内田賢德「人麻呂歌集のミ語法」稲岡耕二編『声と文字─上代文学へのアプローチ─』塙書房、1999年。
澤瀉1958. 澤瀉久孝『萬葉集注釈巻第三』中央公論社、昭和33年。
角川古語大辞典 中村幸彦・岡見正雄・阪倉篤義編『角川古語大辞典 第五巻』角川書店、1999年。
佐佐木2016. 佐佐木隆『上代日本語構文史論考』おうふう、2016年。
多田2009. 多田一臣『萬葉集全解5』筑摩書房、2009年。
村島2002. 村島祥子「上代の「ヲ─ミ─」語法について」東京大学国語国文学会編『国語と国文学』第79巻第2号(通号939号)、平成14年2月。

加藤良平 2018.3.19初出