万葉集2433番歌「如数書吾命」とウケヒについて

 万葉集2433番歌は原文に「水上如數書吾命妹相受日鶴鴨」とある。多くの注釈書に次のように訓んでいるが異説もある。

 水の上に 数書く如き 吾が命 いもに逢はむと うけひつるかも(万2433)

 二~三句目についてはいろいろと工夫されている。
 カズカクゴトキ ワガイノチ(古訓、土屋1969.、古典大系、中西1981.、新編古典全集、伊藤1997.、新古典大系、多田2009.、阿蘇2010.)
 カズカクゴトキ ワガイノチヲ(古訓、窪田1951.、武田1956.、澤瀉1962.、大島2005.)
 カズカクゴトク ワガイノチ(童蒙抄、柳沢1992.)
 カズカクゴトク ワガイノチヲ(稲岡1998.)
 カズカクガゴト ワガイノチ(古訓)
 カズカクガゴト ワガイノチヲ(古訓)

 二句目をカズカクゴトキと訓めば連体修飾となって続くワガイノチにかかり、カズカクゴトク、カズカクガゴトと訓めば結句のウケヒツルカモにかかることが可能になる。三句目にヲを添えるかどうかについては順接に解するか逆説に解するかの違いである(注1)。諸注釈書の現代語訳は次のとおりである。

 水の上に数を書く如き、はかない命であるのを、妹に会はうと心に誓つたことである。(土屋1969.77頁)
 水の上に数を書くようにはかないわが命でありながら、妹に必ず逢おうとウケヒをし誓ったことである。(古典大系 175頁)
 水の上に数を書くと、はかなく消えてしまう。そのようなわが命も、妻に逢おうとうけいをしたことだ。(中西1981.28頁)
 水の上に 数を書くように はかないわたしの命だが あのに逢おうと 神に祈誓した(新編古典全集 187頁)
 水の上に数を書くようなはかない我が命、そんな身でありながら、あの子にきっと逢おうと、私は誓いを立てて神様にお祈りをしている。(伊藤1997.101頁)
 水の上に数を書くようにはかない我が命ではあるが、妹に逢おうと神に長久を祈った。(新古典大系 26頁)
 水の上に数を書くようにはかなく消えるわが命だが、あの子に逢おうと神に長久を祈ったことだ。(多田2009.307頁)
 水の上に数を書くようにはかないわたしの命であるが、いとしいあの娘に逢いたいと思って、神に願い祈ったことですよ。(阿蘇2010.161頁)
 水の上に数を記すが如く消え易い我が命であるのに、それを、妹に逢おうと思つて、神に祈つて誓ひを立てたことである。(窪田1951.69頁)
 水の上に数を書くようなわたしの命だのに、妻に逢おうと誓いを立てたことだなあ。(武田1956.421頁)
 水の上に数を書くやうな、はかない私の命であるが、妹に逢はうと神に[ママ]を立てて祈つたことよ。(澤瀉1962.132頁)
 水の上に数を書くような、取るに足らない私の命ではあるが、あの娘に逢おうと神に祈ったことであるよ。(大島2005.103頁)
 水の上に数を書くように、しても甲斐のないまま、私の命をあの娘に逢おうとして祈誓していることだ(柳沢1992.96頁)
 水の上に数を書くように、甲斐もなくわが命を、あのに逢おうとうけひをしたことよ。(稲岡1998.226頁)

 いずれの解釈においても、「水の上に数書く」ことを実際の水面上のことと考えている。荷田春満・萬葉集童蒙抄に、「水上にものを書きては、跡形も無くしるし無きもの也。此歌も命をかけて妹に逢はんと祈りても、験し無きと云事をよせて詠めると聞ゆる也」(国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1913114/1/119、漢字の旧字体は改めた)、武田祐吉・萬葉集新解に、「数書くとは、一本二本と云ふやうに数を刻するを云ふので、数字を書く意味ではない。」(国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1146624/1/188、漢字の旧字体は改めた)と、字や絵を書くか掻き刻むかの違いはあっても、書くことのできない譬えとしているとする(注2)。また、契沖・萬葉代匠記(精撰本)に、「涅槃経云、 ノ身無 ニ シテ ニ ルコト セ シ ト ト ト トノ、亦 シ クニ ニ テ ケハ ヒテ フカ。」(国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/979064/1/140、漢字の旧字体は改めた)とあることを引き、それを典故とする歌かとも探られている。いずれにせよ、しても仕方がないこと、徒労であることの譬えとして表していると考えられている(注3)。本当にそうだろうか。
 カク(書)という言葉については、掻、懸などと記されるカクと同根の語であるとされている。語彙としてはそのとおりであるが、万2433番歌の用字に「書」とある。万葉集では題詞や左注に多くの「書」字が用いられ、「一書」、「或書」のようなフミの意に多く用いられている。万1016番歌左注には「書白紙」とあり、文字を筆を使って墨でカク意に用いられている。歌中の「書」字は他に万1344番歌にある。

 とり住む 卯名手うなて神社もりの すがの根を きぬに書き付け〔衣尓書付〕 せむもがも(万1344)

 角川古語大辞典に、「か・く【書・畫】動カ四 ①筆などの道具を用いて手を動かし、可視的な形を表し出す行為をいう。手の動きを主としていう場合と、結果として形あるものが出来上がることをいう場合とがある。文字ばかりでなく絵についても用い、……万一三四四……のように彩色にも用いる。」(712頁)と説明されている。筆を使って字や絵をカク場合、「書」字を用いたと考えられる。万葉集の歌中では、「畫(画)」字はヱと訓む例に限られる(万131・3225・4327)。カクには「掻」(万123・136・167・562・741・973・993・1233・1756・1807・2230・2575・2614(3)・2808・2903・3270・3279)、「削」(万2408)が使われている。「掻」や「削」字は爪で引っ掻くようなような、また、足を掻くように激しく動かす「足掻あがく」ような場合に用いられている。筆墨以前の表記法は掻いて傷をつけることであった。万葉集において「書」字は、字や画をかくことに限った用字法であると整理されよう。
 つまり、「書」は「掻」とはニュアンスを違えるものとして書記されている可能性があるのである。万2433番歌にある「水の上に数書く」は、「水」という字「の上に数書く」ことかもしれない。万葉集中では戯書とされる表記が行われ、「山上復有山」(万1787)で「いで」を表している(注4)。「出」を「山上復有山」と書いたのには典故がある。玉台新詠・巻十・古絶句四首・其一に、「藁砧今何在 山上復有山 何当大刀頭 破鏡飛上天」とある。それによっている。ヤマトの人のオリジナルの発想ではない。文字クイズのレベルで考えるとかなり高度である。それが有りなのだから、「水の上に数書く」も、「水」の上に「二」という数を表す字を書いたという戯書のことを言っていても不思議はない。「永」字になる。
 「水上如数書」が「水」+「二」→「永」とであるとするのは程度の低い書き取りの練習である。「水」字に二本線を書き加えるなどということはくだらない話に思われるかもしれない。しかし、発想として、万2433番歌に登場していることには必然性が認められる。文字を学び始めた黎明期のこととしても大いにあり得る。
 本歌は、人麻呂歌集から出たものであるとされている。「寄物陳思」のうち、「寄川」歌群七首の最後に位置している。

 宇治川の 瀬々のしき波 しくしくに 妹は心に 乗りにけるかも(万2427)
 ちはや人 宇治の渡りの 瀬を早み 逢はずこそあれ 後も我が妻(万2428)
 はしきやし 逢はぬ子ゆゑに いたづらに 宇治川の瀬に すそ濡らしつ(万2429)
 宇治川の 水泡みなわさか巻き 行く水の 事かへらずそ 思ひめてし(万2430)
 鴨川の のちしづけく 後も逢はむ 妹には我は 今ならずとも(万2431)
 ことに出でて 言はばゆゆしみ 山川の たぎつ心を かへたりけり(万2432)
 水の上に 数書く如き 吾が命 妹に逢はむと 祈ひつるかも(万2433)

 原文に「是川」とあるのはウヂカハと訓み宇治川のことである。万2427~2430番歌は宇治川を歌っている。万2431番歌は鴨川である。万2432番歌は普通名詞で山川を歌っている。対して、万2433番歌がはたして川のことかと問われると、水のことしか語っていない。池や沼、海や湖の水、盥に汲んだ水でもかまわないのに「寄川」の範疇に含められていて何の疑問も持たれていない。理由は一つしかない。「川」という文字が三本線で書かれている点である。今、「水」という字に二本線を加えて「永」という字に成ることを言っている。「水上如数書」が「寄川」歌群に属する本質的な理由である。
 稲岡2011.は、二句目を「数書く如き」と訓む通説を批判し、「「数書く如く」と訓み「うけひつるかも」の連用修飾句とすれば、恋歌のレトリックにふさわしくなる。人麻呂はそのつもりで、この歌を「寄川」の一首に配列したはずであったろう。」(146頁)と結語しているが、根拠は薄弱である。「水」という字「の上に数書く」ことで「永」い「命」のことを言っている。
 万葉集の歌の中で形容を冠した「いのち」という語は、タマキハルやウツセミノといった枕詞以外、「永き命」(万217・3082〔長命〕、万704〔永命〕)、「留め得ぬ命」(万461〔留不得〕)、「もろき命」(万902〔微命〕)、「短き命」(万975〔短命〕・3744〔美自可伎伊能知〕)、「(朝霜の/朝露の)やすき命」(万1375〔消安命〕・1804〔銷易杵寿〕)、「いはふ命」(万2403〔斎命〕)、「知らざる命」(万2406〔不知有命〕)、「常盤なる命」(万2444〔常石有命〕)、「れる命」(万2756〔借有命〕)、「生けらじ命」(万2905〔不生有命〕)、「生かむ命」(万2913〔将生命〕)、「死なむ命」(万2920〔終命〕・3811〔将死命〕)、「朝露の命」(万3040〔旦露之命〕)、「あがふ命」(万3201〔贖命〕)、「たゆたふ命」(万3896〔多由多敷命〕)、「露の命」(万3933〔都由能伊乃知〕)、「しき命」(万4211〔惜命〕)、「とせの命」(万4470〔知等世能伊乃知〕)といった例が見られる。また、命を永いとする形容は卑近である。

 大君の 御寿みいのちは長く〔御壽者長久〕(万147)
 …… たく縄の 長き命を〔長命乎〕 ……(万217)
 たく縄の 永き命を〔永命乎〕 ……(万704)
 …… 命をもとな 永くりせむ〔命本名 永欲為〕 ……(万2358)
 …… おのが命を 長く欲りすれ〔己命乎 長欲為礼〕(万2868)
 我が命の 長く欲しけく〔我命之 長欲家口〕 ……(万2943)
 …… 玉の緒の 長き命の〔長命之〕 ……(万3082)
 うつせみの 命を長く〔命乎長〕 ……(万3292)

 歌の解釈はコペルニクス的転回を来す。

 水の上に 数書く如き 吾が命 いもに逢はむと うけひつるかも(万2433)
 「水」の上に数を書いたように「永」い私の命。これは、彼女に逢おうとウケヒをしてしまったことだからかなあ。

 ウケヒは、古代の卜占の一種である。あらかじめAB二つの事態を予測し、眼前の事態でAが起れば問題としている事態はA´であり、Bが起ればB´であると前もって定めて公表しておき、眼前の事態を見てどうなのかを判断することであった(注5)。前言しておくのが決まりである。この場合、どのように前言してウケヒを行ったのか示されていないが、二つのケースが考えられる。第一に、彼女に逢えるならば自分の命は永いはず、彼女に逢えないのならば自分はもうすぐ死ぬという前言を行った場合である。第二に、彼女に逢えるのであれば自分の命は短命で、彼女に逢えないのならば自分の命は永いという前言を行った場合である。どちらであるかといえば後者であろう。その理由は二つある。
 逢えるなら短命で、逢えないなら永く生きさらばえるという言い方は、命懸けで彼女に逢いたいとする気持ちの表れとしてふさわしい。死んでもいいから彼女に逢いたいと願っている。しかし、彼女は自分に目もくれなかった。片思いであった。むざむざと無駄な人生を永らえている。歌として歌意がよく理解できる。反対に、彼女に逢えたら長生きするという前言は、それがかなって今、共白髪で余生を過ごしているという歌になる。現実にそういうことがあってもかまわないが、そのようなハッピーな老後の話は古代的発想に生まれるべくもない。多くの人の心に訴えかける力はなく、歌として成立しない。
 稲岡1998.が、「「妹に逢えるものならば、わが命を活かし給え、もし逢えないものならば、わが命を死なしめ給え」というウケヒをしたとすれば、この歌のような嘆きが発せられることになろう。」、「命をかけてうけひをしたつもりなのに、手ごたえがなく、生きていても逢えぬ状態が続くので、それを「水の上に数書く如く」だと嘆いたのであろう。」(228頁)とするのは、ウケヒの意味を軽んじた設定である。そのようなウケヒをしたとするなら、それに従って逢えないのだったら自ら命を絶たなければならないことになる。また、阿蘇2010.に、「ウケヒは命をかけることを必要としない。」(162頁)ことは実情としてはそのとおりだったかもしれないが、そうなるとどうして命の話にして歌っているのか訳がわからなくなる。命を賭けて、勝ってではなく負けて、命が永くなっている。
 そう言い切れるのは、命をかけてまで彼女に逢いたいと言われるほど憧れられる女性はごくごく少数に限られるからである。一人の女性を複数の男性が奪い合うときライバル心を燃やして命懸けになることはあろうが、ウケヒとは別の文脈で別の歌い方になる(注6)
 それ以上に重要な理由として、女性と逢うこと(「あひ」・「目合まぐはひ」(記上))と寿命とが関係する考え方は記紀の伝承に脈づいて存在しており、当時の人たちの常識としてあった。コノハナノサクヤビメ(木花之佐久夜毘売)の話である。ニニギノミコト(邇邇芸命)はオホヤマツミ(大山津見神)から、その娘、姉のイハナガヒメ(石長比売)と妹のコノハナノサクヤビメの二人を、百取ももとりつくゑしろの物を添えて差し出されている。しかし、姉は醜かったので送り返して、美人のコノハナノサクヤビメとだけ契りを交わした。そのことに対して、オホヤマツミが二人差し出した理由を述べている。イハナガヒメを召し使ったら御子の命は雪が降り風が吹いても石のようにときわに堅く動かずいらっしゃり、コノハナノサクヤビメを召し使ったら木の花の咲くように栄えていらっしゃるだろうと、ウケヒをした末に奉ったのだと述べている。コノハナノサクヤビメだけを留めたからには、御子の寿命は木の花がすぐ散ってしまうように短くあられることでしょう、と結論づけている。寿命と関係する女性の話がウケヒの話として言い伝えられている。万2433番歌は、涅槃経が典故ではなく、この言い伝えが典故である。

 是に、あま津日高日子番能邇邇芸能つひこひこほのににぎのみこかささきにして、かほよき美人をとめに遇ひたまふ。しかくして、「むすめぞ」と問ひたまふに、答へて白さく、「大山おほやま見神みのかみむすめ、名はかむ阿多都比売あたつひめ、亦の名は木花このはな之佐久夜毘売のさくやびめと謂ふ」とまをす。又、「いまし兄弟はらから有りや」と問ひたまふに、答へて白さく、「我が姉、石長いはなが比売ひめ在り」とまをす。爾くして詔りたまはく、「吾、汝と目合まぐはひせむと欲ふは奈何いかに」とのりたまへば、「白さじ。僕が父、大山津見神ぞ白さむ」と答へ白す。故、其の父、大山津見神に乞ひに遣はす時に、大きに歓喜よろこびて、其の姉、石長比売をへ、百取ももとりつくゑしろの物を持たしめて、奉り出す。故、爾くして、其の姉はいと凶醜みにくきに因りて、見かしこみて返し送り、唯に其のおと木花之佐久夜毘売を留めて、ひと宿あひたまふ。
 爾くして、大山津見神、石長比売を返すに因りて、大きに恥ぢて、白し送りて言はく、「我が女、ふたりを並べて立て奉りしゆゑは、石長比売を使はば、天つ神の御子の命は、雪り風吹くとも、恒にいはの如くに、ときはかたはに動かずさむ。亦、木花之佐久夜毘売を使はば、の花の栄ゆるが如く栄え坐さむとうけひて、貢進たてまつりき。く石長比売を返らしめて、独り木花之佐久夜毘売を留むるが故に、天つ神の御子の御寿みいのちは、木の花のあまひのみ坐さむ」といふ。故、是を以て今に至るまで、天皇命すめらみことたち御命みいのちは長くあらぬぞ。(記上)(注7)

 万2433番歌はとても豊富な情報量を持った歌である。言い伝えどおりにウケヒをした。美人のコノハナノサクヤビメと結ばれていたら短命で、ブスのイハナガヒメとなら長命なのである。今、歌の歌い手は「永」命である。現実世界において、ブスと結婚して永い命を続けているらしい。もちろん、奥さんにそんなことを歌っていると知れたら大変である。だから、「水の上に数書く」などと言って「永」を表そうとしている。伝承をもとにした歌が作られ、暗号化して書記された歌が万2433番歌であった。
 万葉集において典故とされ得る事項は、古くから本邦において語り継がれてきた伝承である。唐突に、海外から伝わったかに見える思想の、些末な断片によって歌が歌われるとは考え難い。一人よがりに歌を歌うことはないからである。聞く相手が理解できなければ歌はコミュニケーションツールでないことになる。山上憶良の中国かぶれの歌には、内容が理解できるように長い前文がついていてきちんと説明が加えられている。理解されない歌は筆記されることもないのである。人麻呂歌集に出たものかとされている万2433番歌は、限られた知識人のサロンでの歌謡、例えば当時の漢詩のようなものではなく、ほとんど文字も知らず、かわら版もテレビやラジオ、インターネットなどを知らない聴衆に受け入れられて残っているものである。どうして題詞も左注もないままに理解されているのか。人々の理解の基となる共通認識、常識の上に成り立っている歌だからである。上代の人々にとって当たり前のことである常識の多くは、今日、記紀に記されたことで残されている言い伝えに負っていたと考えられる。

(注)
(注1)大島2005.参照。
(注2)管見にしてそうでない見解を見ない。
(注3)柳沢1992.参照。
(注4)万葉集における戯書の例としては、数字の組み合わせによるもの(「二二」、「重二」、「十六しし」、「八十一くく」)、擬声によるもの(「牛鳴」、「馬声」、「蜂音」、「喚犬」、「追馬」、「喚鶏つつ」、「神楽声ささ」)、遊戯用語によるもの(「三向一伏つく」、「一伏三起ころ」、「折木四かり」)、義訓のうち捻ったもの(「羲之てし」、「大王てし」、「毛人髪こちたし」、「少熱ぬる」)といった分類がされてあげられている。ここで問題とする「山上復有山」によって「出」を表すといった字形分析にしたがった例は他に見られない。
(注5)ウケヒをウケヒ本来の義とするか、イノリ(祈)の意に転義したものとするかによって解釈は大きく異なる。通説では、ウケヒをイノリの意として解釈しているものが多い。本来の義で解釈が成り立つならば、わざわざウケヒという言葉を選んでいるのだからそれが正しいだろう。
(注6)「如己もころ」(万1809)の歌のような例が見られる。
(注7)神代紀第九段一書第二にこの話とよく似た話が載るが、そこではウケヒの話型とはせず、「とごひ」としている。ウケフとトゴフ(呪詛)、ホク(寿言)との語義の関係については、内田1988.参照。

(引用文献)
阿蘇2010. 阿蘇瑞枝『萬葉集全歌講義 第6巻(巻第十一・巻第十二)』笠間書院、2010年。
稲岡1998. 稲岡耕二『萬葉集全注 巻第十一』有斐閣、平成10年。
稲岡2011. 稲岡耕二『人麻呂の工房』塙書房、2011年。
伊藤1997. 伊藤博『萬葉集釈注 六』集英社、1997年。
内田1988. 内田賢徳「ウケヒの論理とその周辺─語義的考察─」『萬葉』第128号、昭和63年2月。萬葉学会ホームページ https://manyoug.jp/memoir/1988
大島2005. 大島信生「万葉集、巻十一・二四三三歌(人麻呂歌集)の解釈をめぐって─「如数書吾命」の訓─」『皇学館大学神道研究所紀要』第21輯、平成17年3月。
澤瀉1962. 澤瀉久孝『萬葉集注釈 巻第十一』中央公論社、昭和37年。
角川古語大辞典 中村幸彦・岡見正雄・阪倉篤義編『角川古語大辞典 第一巻』角川書店、1982年。
窪田1951. 窪田空穂『萬葉集評釈 第八巻(巻第十一)』東京堂、昭和26年。
古典大系 高木市之助・五味智英・大野晋校注『日本古典文学大系6 萬葉集三』岩波書店、昭和35年。
新古典大系 佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『新日本古典文学大系3 萬葉集三』岩波書店、2002年。
新編古典全集 小島憲之・木下正俊・東野治之校注・訳『新編日本古典文学全集8 萬葉集③』小学館、1995年。
武田1956. 武田祐吉『増訂萬葉集全注釈八 巻十 巻十一(上)』角川書店、昭和31年。
多田2009. 多田一臣『万葉集全解4』筑摩書房、2009年。
土屋1969. 土屋文明『萬葉集私注 六』筑摩書房、昭和44年。
中西1981. 中西進『万葉集全訳注原文付(三)』講談社(講談社文庫)、1981年。
柳沢1992. 柳沢朗「「水上如数書」という比喩について」『信州短期大学研究紀要』第4巻第2号、1992年12月。

加藤良平 2018.12.14初出