醜(しこ)の醜草(しこぐさ)─離絶数年を経て大伴大嬢に贈る歌─

  大伴宿禰家持の坂上家さかのうへのいへ大嬢おほをとめに贈る歌二首〈さかり絶ゆること数年あまたとしにして、また会ひて相聞往来わうらいせり〉〔大伴宿祢家持贈坂上家大嬢謌二首〈離絶數年復會相聞徃来〉〕(注1)
 忘れ草 下紐したひもに けたれど しこ醜草しこぐさ ことにしありけり〔萱草吾下紐尓著有跡鬼乃志許草事二思安利家理〕(万727)
 人もなき 国もあらぬか わぎ妹子もこと たづさきて たぐひてらむ〔人毛無国母有粳吾妹児与携行而副而将座〕(万728)

 大伴坂上大嬢は大伴家持の従妹に当たり妻に迎えている。家持の任地、越中に住んだこともある。早くから知っていたもののしばらく離れており、再会して相聞の歌をやりとりした、と題詞に書いてある。「相聞」は相手の様子を尋ね、便りをしあうこと、「往来」は歌や便りを贈答することである。ここから二人の歌の贈答が万755番歌まで続く。「離絶数年」とあるのを何か喧嘩でもしたのかと詮索するよりも、従妹なのだから幼いころから顔なじみで旧知の仲であったと捉える方が自然である。家持が大嬢に贈った天平五年(733)頃の作と思われる万408・1448番歌のなでしこの歌、また、配列からみて同時期と考えられている万581〜584番の大嬢による報贈歌が残されている。その後、少し事情があって離れていて、天平十一年(739)九月には大嬢が秋稲蘰を家持に贈った時の歌のやりとり(万1624〜1636)をし、相聞往来の関係が再開していることが確実視されている。すなわち、万727・728番歌は天平十一年の作(注2)であり、万葉集の記録上は歌のやりとりが六年ほどなかったことになっている。
 多田2009.は次のように現代語訳している。

 あなたへの思いを断とうと忘れ草を私の下紐に付けたのだが、役立たずのいまいましい草め。忘れ草とは言葉だけのことだった。(万727)
 邪魔する人のだれもいない国はないものか。あなたと手を取り合って行って、寄り添っていようものを。(万728)(153~154頁)

 家持の生年は未詳ながら養老二年(718)に生まれたと推定されており、天平十年(738)に内舎人(万1591左注)、延暦四年(785)に死(続紀)んだことがわかっている。天平十八年(746)には越中守に任ぜられている。「離絶数年」の後に天平十一年八月に竹田庄にいる坂上郎女の招きに応じていて(万1619・1620)、その場で「復会」した模様である。
 その間に何があったか。天平六年(734)に無位内舎人として出仕したと考えられており、笠女郎ほか多くの女性との間で相聞歌を作るようになっている。また、天平十一年(739)六〜七月に「亡妾悲傷歌」を詠んでいることから妻を娶っていて、大嬢以外の女性に関心が移っていたとする見方が優勢のようである。
 一つ念頭に置かなければならない点は、相聞歌のやりとりをしているからと言って、それが実際に恋愛感情を反映したものかどうかはわからないということである。相聞に擬して思いを婉曲的に表すことも常道であった(注3)。したがって、大嬢との間で歌のやりとりの記録がないからと言って、男女の恋愛関係が冷えていたことの状況証拠とするには当たらないのである。「離絶数年」は実際を述べていても、それが何年なのかは推測以上にはならない。わかるのは、どういう意味かは別にして「離絶」していた時期があり、会う機会があった後には相聞往来したということだけである。
 万728番歌において「人もなき国」を希求している。「人もなき国」という言い方について、他人のいない国へ行けば煩わしい噂、中傷、好奇の目に悩まされることもなくて済むから、という意であるとするのが通説になっている。けれども、「人言ひとごと」という言葉を使わずに「人」という言葉を使っている。誰も人のいない国へ行って楽しいのか、また、そもそも人のいないところは国なのか、といった疑問が浮かぶ。それに対する回答は意外に容易い。天平七年(735)から天然痘が流行している。感染症の波はしばらく続き、天平九年(737)には藤原四兄弟が亡くなっている。ようやく収まりを見せてきた頃になって、坂上郎女は宮仕えしている家持を竹田庄に招いたということらしい。出仕したての頃はてんやわんやで余裕がなかった。慣れてきたと思った矢先、感染症が蔓延してしまった。人~人感染することは肌感覚としてわかっていただろう。相手が大切だったら互いに会わないのが正解というものである(注4)。題詞下の脚注にあるように「離絶数年」を過ごした理由がほの見える。むろん、推測の域を出ない説であるが、それでも歌意の理解には役立つところがある。
 万727番歌は、大嬢のことを忘れようと忘れ草をパンツの紐に付けたが、全然役に立たずに思いは募る一方だった、の意と解される。これまでの解釈は少し見直されなければならない。
 「忘れ草」はノカンゾウのことをいうとされている。和名抄に、「萓草 兼名苑に云はく、萓草は一名に忘憂といふ。〈萓の音は喧、漢語抄に和須礼久佐わすれぐさと云ふ〉」とある。「忘れ草」の効き目があるなら、恋愛感情において相手に対して執着がなくなり、忘れてしまうことを言い表すのに使いたい。他の女性に気が移ってしまうということになる。実際、家持は妾と結婚していたわけだが、本妻は別であるという思いがあったらしい。一般に、この歌の使い方では、忘れ草の漢方薬的おまじないは効かなかったことにされている。だが、この部分の言い回しはそうではない。「忘れ草」は「しこ醜草しこぐさ」であったとしている。シコ(醜)という言葉は、頑強な、といった意味に用いられている(注5)
 忘れ草をパンツの紐に付けていたら、パンツの紐を解くこと自体を忘れさせるほどに強力な「しこ醜草しこぐさ」であったから、全然浮気をすることはなかった、一途に大嬢のことを思い続けていた、と言っているのである。「ことにしありけり」について、通説では名ばかりのことであったと解されているが、「し」は強意である。まことに言葉どおりであった、の意のはずなのである(注6)ことことと同根の語である。名前ばかりで現実と食い違う時、こと(=こと)であるとは言わない。「忘れ草」をパンツの紐に付けていたら、言葉どおり脱ぐことを忘れ、まるで男子の貞操帯として機能していた、ずっと大嬢一筋に思い続けてきたと言い張っている。
 次の歌にある「しこ醜草しこぐさ」も同様に解釈される。

 忘れ草 垣もしみみに 植ゑたれど しこ醜草しこぐさ なほ恋ひにけり〔萱草垣毛繁森雖殖有鬼之志許草猶恋尓家利〕(万3062)
 忘れ草というのだからと垣根に密生して植えてみたところ、まことに頑強な草で、門扉にからみついて開けることができなくなって他の女性の進入を拒んでしまい、あなたのことをなおも恋い焦がれていたことだ。

 本当に相手のことを忘れたいのなら、「忘れ草」(萓草)はすりつぶして頭にでも塗っておいたり、煎じて喫飲したことだろう。万3062番歌のように植栽するとしても垣ではなく、招き入れた女性客に見せようと中庭の苑に植えて大切に育てれば忘れることができただろう。もちろん、それでは歌の修辞にならない(注7)から歌に歌われることはない。

 忘れ草 下紐したひもに けたれど しこ醜草しこぐさ ことにしありけり(万727)
 あなたのことを忘れようと思って忘れ草をパンツの下紐に付けて息子をいいように操ろうとしたのだけれども、その力は頑強で馬鹿正直にも下紐を解いてパンツを脱ぐこと自体を忘れさせるものだったため、あなたのことを忘れることはなかった。忘れ草はまことに言葉どおりのものだった。

 人もなき 国もあらぬか わぎ妹子もこと たづさきて たぐひてらむ(万728)
 誰も人がいない国はないかなあ。そこなら天然痘の感染の心配はいらないから、あなたと手を取り合って行って、二人寄り添って睦んでいたい(注8)

(注)
(注1)「離絶數年復會相聞徃来」は伝本により、「離」を「雖」、「復」を「後」とする異同がある。桂本、紀州本に上のようにあり、元暦校本には「離絶數年後會相聞徃来」とある。本論のとおりの離絶事情であったなら、互いに納得のうえ時間を決めて離絶していたことになる。当該歌以降、家持と大嬢との相聞贈答和歌が、万729~755番までくり返されているから、「復」は「後」が正しかった可能性も低くはない。
(注2)小野2010.の年譜(島田伸一郎氏担当)による。伊藤1975.は、天平九年頃と推定し、鈴木2002.もその頃としている。鈴木氏は、坂上大嬢が氏女うじめとして宮廷に仕えることになったために「離絶数年」となったのではないかと推測している。引木1974.は天平十二年説をとっている。万462番歌題詞の、「十一年己卯の夏六月に、大伴宿禰家持のみまかりしをみなめ悲傷かなしびて作る歌一首」とある「亡妾」、前妻の存在をもって坂上大嬢とは「離絶数年」であったとする考えを述べている。ただし、古代、多妻であることは忌まれていない。離絶の要因としては他に、大嬢の母、坂上郎女の意向によって離れていたとする説や家持が大嬢は幼くて物足りないと思って離れていたとする説、年頃になったから住居を別にしたとする説などがある。小野寺1978.参照。筆者は離絶の因由について考えていない。万727番歌の前にある題詞脚注に見える「離絶数年」は、その歌が歌われた時までが結果的に「離絶数年」であったこと以上のことを語らないからである。
(注3)「相聞歌」に真実を伝えるか、疑似的に作られたものかを問う姿勢は、レトリックを凝らすことで体を成す「歌」というものの実相から離れてしまうのではないか。
(注4)「離絶」以前に坂上大嬢のほうから贈ったとされる歌四首が録されている。歌の配列から時期を定めようとする見方もあるが、巻四の構成はよくわからない。もし天然痘の流行を嫌って会わないようにしようと互いに約したとして万571~584番歌を見ると、そんなこともあろうかという歌に思えてはくるが憶測にすぎない。会わずとも歌のやりとりをしていたら、歌を伝えに来る人がいてその人が感染を媒介しかねないから止めようというのである。天然痘は飛沫感染、接触感染する。歌を声に出して伝えていたからリスクは高い。

  大伴の坂上家の大娘おほむすめの大伴宿禰家持に報へ贈る歌四首
 生きてあらば 見まくも知らず 何しかも 死なむよ妹と いめに見えつる(万581)
 大夫ますらをも かく恋ひけるを わやの 恋ふる心に たぐひあらめやも(万582)
 月草の 移ろひやすく 思へかも 我が思ふ人の ことも告げぬ(万583)
 春日山 朝立つ雲の ぬ日なく 見まくの欲しき 君にもあるかも(万584)

(注5)大系本萬葉集は、「シコは強・頑の意。転じて、愚鈍の意を表わし、罵倒に用いることが多い。」(306頁)としており、この考えは多く踏襲されているが誤解であろう。
(注6)類歌として次の例があげられている。

 住吉すみのえに くといふ道に 昨日きのふ見し 恋忘こひわすがひ ことにしありけり(万1149)
 手に取るが からに忘ると 海人あまの言ひし 恋忘こひわすがひ ことにしありけり(万1197)

 通説とは異なり、この道を道なりに行くと住吉へ着くという道で昨日、恋忘れ貝を見たが、恋忘れ貝というだけのことはあった。手に取るとそれでもって忘れられると海人が言っていた恋忘れ貝は、まったくそのとおりだった。という意味である。
 歌に出てくるスミノエとアマには共通項がある。スミは須弥すみ、すなわちしゆせんのこと、アマはあまのことである。須弥山は仏教が構想している世界観で、大海に囲まれた世界の中心に聳える山をいう。そこへ通じる道が「住吉すみのえに行くといふ道」であるととぼけている。仏道の道にあれば、実際はともあれ色欲から解放されたことになる。世俗にあって悩んでいた恋のことは自動的に消えてなくなる。尼僧を意味するあまも同様である。実際がどうかではなく、観念としてそういうことにしている。おもしろい着想だから歌に詠んで楽しんでいる。万葉集における言葉づかいは言葉遊びとして卓越している。拙稿「万葉集の「恋忘れ貝」と「忘れ貝」─「言にしありけり」とともに─」参照。
(注7)人は、文章(短歌形式なら五・七・五・七・七)にするとき、当たり前のことは言わない。書かない。作らない。朝起きて、ご飯を食べて、学校へ行き、授業を受けて、家へ帰って、お風呂に入り、寝ました。という文章を作文の宿題で提出しても評価されない。
(注8)これらの歌は家持が大嬢に贈った歌だが、歌は口に出して歌われたもので、周囲にいた人も耳にし、それはいわば噂となって広まりを見せたものであったろう。それで構わないと覚悟を決めて家持は歌っているわけだが、思わぬ余波を招いたのではないかと推測する。「ことにしありけり」、言葉どおりであることを家持は望む性向があるらしいよ、「人もなき国もあらぬか」、たとえ人がいないような国でもあったらいいなと思っているらしいよ、ということになれば、彼は自身でそう言っていたのだから、希望がかなう官職に就けてあげよう、ということになったようである。遠国の事情は中央ではよくわからないから、ひょっとすると「人もなき国」かもしれない。家持は越中守を皮切りに、因幡守、薩摩守、相模守、伊勢守と諸国の国司を務め、その他、地方長官も歴任している。

(引用・参考文献)
伊藤1975. 伊藤博『萬葉集の歌人と作品 下 古代和歌史研究4』塙書房、昭和50年。
小野2010. 島田伸一郎担当「家持の全生涯─その年譜─」小野寛編著『万葉集をつくった大伴家持大事典』笠間書房、2010年。
小野寺1978. 小野寺静子「大伴家持と坂上大嬢」伊藤博・稲岡耕二編『万葉集を学ぶ 第三集(万葉集 巻第三・四)』有斐閣、昭和53年。
木下1983. 木下正俊『萬葉集全注 巻第四』有斐閣、昭和58年。
鈴木2002. 鈴木武晴「坂上大嬢との恋の歌─「離絶数年」をめぐって─」『セミナー万葉の歌人と作品 第八巻 大伴家持(一)』和泉書院、2002年。
大系本萬葉集 高木市之助・五味智英・大野晋校注・訳『日本古典文学大系 萬葉集一』岩波書店、昭和32年。
多田2009. 多田一臣『万葉集全解2』筑摩書房、2009年。
引木1974. 引木倛侑「萱草小考」『古代文学』13号、昭和49年3月。古代文学会ホームページ
https://kodaibungakukai.sakura.ne.jp/wp/zassi_top/zassi_soumokuji/zassi_11-20#toc8

加藤良平 2025.7.27初出

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