景行記のはじめのほうに、天皇が息子の大碓命を使者として地方の美麗な姉妹を献上に与らせる記事がある。しかし、大碓命は自分のものとしてしまい、代わりの姉妹を選んできて名を詐称させ、天皇のもとへと送り届けた。天皇はそれと知っていたから貢上された姉妹に手をつけなかったという話である。
於是天皇聞看*定三野*国造之祖大根王之女名兄比売弟比売二嬢子其容姿麗美而遣其御子大碓命以喚上故其所遣大碓命勿召上而即己自婚其二嬢子更求他女人詐名其嬢女而貢上於是天皇知其他女恒令経長服*亦勿婚而惣*也故其大碓命娶兄比売生子押黒之兄日子王〈此者三野之宇泥須和気之祖〉亦娶弟比売生子押黒弟日子王〈此者牟宜都君等之祖〉(景行記、国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1184138/1/27~28参照、問題となる字に*印を付した)
上にあげた真福寺本を校本とする原文のうち、「聞者」を「聞看」、「三町」を「三野」に校訂している。また、「長服」は「長眼」や「長肥」と改められることが多い(注1)が、「長服」で意が通じる。「而惣」の「惣」は中華大字典に「揔」の譌字とされているが、康煕字典に「惣 《集韻》作弄切、音總。倥傯也。亦作愡。」とある。ここでは「惚」の通字と考え「惣」のままとした(注2)。
大意は次のとおりである。天皇は三野国造の祖とされる大根王の娘二人が美人だと聞いて、息子の大碓命を遣わして召し上げようとしたが、大碓命は天皇に差し出さず自分のものにしてしまった。そして、別の女性を探してきて天皇が求めていた女性であると偽り名づけて天皇に献上した。天皇は、貢上された女性が三野国造の祖の大根王の娘、兄比売と弟比売ではなく他の女性だと気づいていた。気づいていたから共寝することもなくほったらかしにした、というものである(注3)。
以後の段落で、大碓命が朝夕の食事会に出て来ない話になる。大碓命が兄比売と弟比売を自分のものにしてしまってバツが悪いから出て来なかったのだとする見方も出てくる。けれども、大碓命は女性に溺れて出て来なかったともとれるし、とり立てて伏線とすべものとして把握していなければ理解できないことでもない(注4)。
天皇は大碓命に対して非を咎める素振りはない。なりすましをしようとした女性に対して無視するような態度に出ただけである。それが、「恒令経長服、亦勿婚而惣也。」ということである。
女性たちは自分たちが三野国造の祖である大根王の娘であると偽りを述べた。氏姓をごまかしていることになるから盟神探湯の対象ともなるだろう。天皇は、ここでは女性たちの言い分を承けてその言葉どおりに相手をしている。三野という国はどういうところか。ミノというからには三つの野がある地形だろう。水がかりの悪い台地が三方から迫っていて、それらの野を挟んで川が流れている。そのような地形を上空から見れば「人」という字に見える。その三野の国造の祖として崇められる人の名がオホネ(大根)というのであれば、それは御骨をありがたがっている人たちだと理解される。大根王は亡くなられたのだから、その娘たちは喪に服さなければならない。養老令では親の死には期間一年の喪と定められている(注5)。
凡服紀者、為二君、父母、及夫、本主一一年。祖父母、養父母、五月。曾祖父母、外祖父母、伯叔姑、妻、兄弟姉妹、夫之父母、嫡子、三月。高祖父母、舅姨、嫡母、継母、継父同居、異父兄弟姉妹、衆子、嫡孫、一月。衆孫、従父兄弟姉妹、兄弟子、七日。(養老令・喪葬令)
服紀とは服喪期間のことで、儀礼や礼記に記される中国の五服制度に倣って制定されたものである(注6)。ここで用いられている「服」は服喪の意、古事記の「恒令経長服」の「長服」はその長期に亘ることを言っている。ああかわいそうに、お父様を亡くされたのですね、十分時間をかけて喪に服してくださいね、と天皇は対処している。
ここで問題となるのは、この「服」を何と訓んだらよいかである。「服」には服従のように、したがう、の意がある。意味としては喪にしたがうこととして成り立つ。喪に服するというときの音は、古くブクと言われた。喪葬令もブクと読まれている。ここで「服」という字は掛詞のように機能している。喪に服するとき、特定の服を着ていたからである。「素服」といい、白い麻製の簡素な服を着て喪中にある佇まいとしていた。日本書紀に用例がある。
難波津に泊りて、則ち皆、素服きる。(泊二于難波津一、則皆素服之。)(允恭紀四十二年正月)
是に、大鷦鷯尊、素服たてまつりて、発哀かなしびたまひて、哭したまふこと甚だ慟ぎたり。(於レ是、大鷦鷯尊素服。為二之発哀一。哭之甚慟。)(仁徳前紀)
下々の者が身につける場合はアサノキヌと言い、麻の衣の意、天皇のような高位の人の場合はアサノミソと呼び、麻の御衣の意である。ここでは大根王の娘に扮した女性二人が身につけているからアサノキヌとされるものを着ることになる。その意を確かに表すためには、「恒令経長服。」は「恒に令むレ経二長く服を一。」と読み、「服」は喪にシタガフことでもあり、それがアサノキヌを着ることでもあるように取ればよいのである。
駄洒落話である。大根、つまり、ダイコンの娘だというからそうしている。和名抄に、「葍 爾雅注に云はく、葍〈音は福、於保禰、俗に大根の二字を用ゐる〉は根、正白にして之れを食ふべしといふ。兼名苑に萊菔〈上の音は来〉と云ふ。本草に蘆菔〈音は服〉と云ふ。孟詵食経に蘿菔〈上の音は羅、今案ふるに萊菔、蘆菔、蘿菔は皆並に葍の通称なり〉と云ふ。」とある。音フク(ブク)の蔬菜である。漢字で「菔」とも書いたという。喪に服して素服を着るべき理由はすでに人名の形で提示されていたわけである。大根の色の「正白」とは「素服」を身にまとったものと見立てられ、そこを食べるように断られている。色のついてない白い喪服のことが強調される人物設定であった。
大根は収穫に鍬を用いて掘る。ゆえに、「亦勿婚而惣也。」の「惣」=「惚」もホルと訓むのが正しい。結婚することはなく惚る状態にあった、放心状態になって何もしなかった、ということである(注7)。
怳々惚々、似夢似悟。(沙門勝道歴山瑩玄珠碑并序、コは存疑。国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1911194/1/9)
気力衰へ邁ぎて、老い耄れ虚け羸れたり。(顕宗紀二年九月)
於是天皇知其他女恒令経長服亦勿婚而惣也
是に天皇、其の他し女なるを知りて、恒に長く服を経しめ、亦、婚ふこと勿くして惣れるぞ。
ここで天皇は、それが別人の女であると知っていたので、(三野の国造の元祖、大根王の御骨を尊ぶ姿勢を貫かせるために)常に長い喪に服するようにさせ、また、結婚することはなくて(大根の娘だけに掘るならぬ)惚る状態になっていた、関心を失ってぼんやりしていた、当初は喚し上げて後宮に入れようと欲ることをして求めていたのになあ。
三野国造の祖である大根王の娘だと言われたからそれにふさわしくなるように応えたという頓智話であった。口頭の話を聞いておもしろいから口伝てに伝えていっていた。そして、太安万侶の時点でそのおもしろさを後世に残すべく書記しようとし、漢字一字の中にその義を多重に盛り込むような技を使っている。上代の人たちの言語能力の高さには驚かされる。
(注)
(注1)兼永筆本は「肥」、度会延佳・鼇頭古事記は「眼」とする。新編全集本古事記は「眼」は当たらないとして「暇」とする。
(注2)本居宣長・古事記伝は「憁」の俗字である「愡」の異体字、通用字とする。
(注3)それ以外の解釈をする専論の新説を呈示する。
是に天皇、其の他し女の恒に長き暇を経しむるを知り、また婚さずて愡みましき。
「天皇は、其の別の女がいつも長い期間にわたって会わないようにさせていることを知り、また自ら婚すこともなく悩んでいらっしゃった。」(松本2007.10頁)
是に天皇、其の他し女なるを知りて恒に長き肥を経、亦、婚ふこと勿くして惚ましむ。(「肥」をウトンズル意ととれないか。)
「天皇は(礼を重んじない)大碓命をそしり、また(大碓命に言いくるめられていた)他女と婚することもなく、大碓命を苦しめた」(烏谷2025.121頁)
(注4)筆者は、古事記を一つの「作品」として定めようとする立場に立たない。古事記の元ネタは口頭で行われていた話(咄・噺・譚)であり、いわばオムニバス風にまとめていった結果が古事記であって、その書記化されたものを今日読んでいるものと考えている。頭のなかで話を整理することはあったとしても、文章にしてから推敲されたものではないと見る。基本的に一話完結で、主人公の物語としてストーリーを辿っていく講談調の語り口ではなく、オチのある落語がそれぞれに語られ連なるものだろう。一話ごとに表れる言葉のあや、機知ある洒落にこそ関心が向いている。
(注5)烏谷2025.は、養老令にある「服紀(忌)」の「服」に「令」や「使」は表記されないとして斥けているが、「他女」はオホネとは本来無関係で服喪に当たらないものが、そう名乗ったからには名に負う形で服さなければならないと強いているのであって、使役形で記す所以である。
(注6)「服」をブク(ス)と音読みされたのは、制度として大陸の風習をまるごと受け入れたものだと認識されていたからではないか。ヤマトコトバ的理解にあって、喪服を着用することと服喪規定を果たすこととは同義だから一つの字で表されているのだと捉えたということである。
(注7)ホル(惚)という言葉は、老化現象や強力なストレスがかかって放心状態になることを指し、異性に対して夢中になる、うっとりする意に用いられるのは室町後期以降であるという。
(引用文献)
烏谷2025. 烏谷知子「景行記の問題「長服」「長肥」から大御葬歌へ─倭建命への哀惜と畏怖─」『上代文学の基層表現』花鳥社、2025年。
新編全集本古事記 山口佳紀・神野志隆光校注・訳『新編日本古典文学全集1 古事記』小学館、1997年。
松本2007. 松本直樹「景行記の一文「天皇知其他女恒令経長眼(暇)亦勿婚而惚也」の訓みと解釈─古事記景行天皇条の構想に及ぶ─」『早稲田大学教育学部 学術研究(国語・国文学編)』第55号、2007年2月。
加藤良平 2025.7.7初出