安積山の歌(万3807)
保坂秀子「『万葉集』の『陸奥国』─巻十六・三八〇七番歌から─」『古代文学』第64号、2025年3月。
保坂氏は安積山の歌の左注にある「緩怠」に注目している。宣命にある言葉で、国司が緩怠であるとは、陸奥国に天皇の声が届いていないことを意味しているという。具体的にどのような状況を指しているのか特に指摘はないが、「前采女」は都の風流や都が考える天皇の声と、それらの伝わらない陸奥国との間で通訳的役割を担う特殊な存在となって歌を詠み、左注に記される所作をとっていると見ている。陸奥国ではアイヌ語が公用されていたとでも言うのだろうか。
保坂氏の議論では、万3807番歌の歌詞が必然的に求められているとは考えられておらず、歌を採ったものが万葉集であるのに、歌は二の次の扱いで検討が進められている。
左注に対する向き合い方、歌自体に対する解釈、また、諸氏の指摘にあるとおり、文学研究は歴史的事実(と現在思われている事柄)を探求するためにあるのではなく、適切な距離感を保つことが求められる、など、クリアすべき課題は多い。「王意不レ悦、怒色顕レ面。雖レ設二飲饌一、不レ肯二宴楽一。」とあったら、天皇の声が陸奥に届いていないといった漠然とした不満ではなく、宴楽に不備がある、わけても酒食に問題ありとして怒り出したととるのが常識なのではないか。昨今は肌感覚を措いて研究とすることが多く、本論文もその例に漏れず迷路に入り込んでいる。
壬生部について & 万葉集3617番歌の「蝉」はツクツクボウシである説
山﨑健太「 「遣新羅使人」歌群を考える 夏と秋の「ひぐらし」を通して『古代文学』第64号、2025年3月。
山﨑氏は、万葉集の遣新羅使人歌群に現れる「ひぐらし」という言葉について、昆虫のセミの仲間の一種 Tanna japonensis を示す名だと捉え、「歌語」と定めている。そして、夏の景物と秋の景物の例では働きが異なるとし、歌の配列が「歌語」の意味するところを決めていて、歌語、景物はテキストが語って見せているものにすぎないからその持つ様式性は万葉集の外側に自明に存在するのではないとしている。
なまの言葉に対する感覚が鈍麻している。「ひぐらし」は冬や春には現れないからそれらの季節の歌にはないのは当たり前のこと、また、「ひぐらし」というヤマトコトバはヒグラシという音を持っていて、それを耳にした人々は日が暮れることだと直感し、その意を含めて表現することが機知だと思って歌に作っている。日が暮れるとはどういうことかといえば、夕方になって日没により暗くなって陰となること(万2157・3589・3620・3655)であったり、また、長い時間が経過してしまって季節が移ろうこと(万1479・2231)でもあり、ひいては「時」という言葉に関連すること(万1964・1982・3951)であると捉えられて、歌の修辞の文句として使われている。
誰でもわかることを誰でもわかるように歌に表している。逆に、必ずしもわかるとは言えないこと、誤解を招きかねないことは、言葉として通用しないことになるから差し控えられた。通じ合うために言葉というものはある。難しいことなどない。
令和の出典、万葉集巻五「梅花歌三十二首」の「序」について─「令」が「零」を含意することを中心に─
丸山裕美子「「梅花の宴」の史的意義─『万葉集』と律令制─」鉄野昌弘・奥村和美編『萬葉集研究 第四十四集』塙書房、令和7年。
丸山氏は万葉集巻五「梅花歌三十二首」について、大伴旅人が招集した西海道管内の国司たちの政治的な集まりの後に行われた宴で作られたものであるとし、律令制国家のなかで生まれた文学であると位置づけている。政治的な宴であっても文化的な価値は揺るがないとしながらも、歌の中身については一切触れていない。史学の立場からは容認されているかもしれないが、万葉集は歌を集めたものであり、続日本紀と同じ編纂姿勢・意図をもって編まれたものではない。律令制のなかで役職を持った人たちの会合があれば政治的だと考えることは自然なことだが、その日行われた宴の席での歌会もすべからく政治的なものかどうかは決められないし、何をもって文化的な価値というのかも論じるべき課題なのではないか。G7夕食会で外務大臣がピアノを弾いたとして、政治的な性格、あるいは文化的な性格について問うには、その曲目や出来栄えも含めたうえで考察しなければならないだろう。
「梅花歌」については、元号「令和」の出典とされて俄かに脚光を浴び、なんら新知見も得られないまま蒙昧な解釈に追随しているのが現状だが、なぞなぞ的なお題を出して集まった人たちが答える形で行われた歌会のあり方についてこそ検討に値する。その文化的価値とは現代の尺度を当て嵌めて評価することではなく、当時の人たちのものの考え方、思考の癖のようなものがどのようなものであったかを探ることによってのみ見えてくることである。近代に起こった歴史学の視座とは相容れない。
加藤良平 2025.6.28初出