万2126・2127番歌とかりうちの采

 万葉集巻十の秋雑歌に萩を詠んだ次の歌がある。二首、意がかよい合っていると思われる。

 秋萩は 雁に逢はずと 言へればか〈一に云ふ、言へれかも〉 声を聞きては 花に散りぬる〔秋萩子者於鴈不相常言有者香〈一云言有可聞〉音乎聞而者花尓散去流〕(万2126)
 秋さらば 妹に見せむと 植ゑし萩 露霜負ひて 散りにけるかも〔秋去者妹令視跡殖之芽子露霜負而散来毳〕(万2127)

 万2126番歌は、秋の萩は、雁に逢わないと世にいうからか(言うからかも)、雁の鳴く声を聞く頃になると、花のままに散ってしまうことよ、という歌で、秋萩と雁との取り合わせを否とする言説が世間に流布していて、だから花が盛りなのに散ってしまったことだなあ、と感慨に耽っているとされている。別案として、二句目の「鴈不相常」を「雁に逢はと」と訓み、雁と萩とを男女に擬人化し、雁に逢うのは嫌だ、けっして雁に逢うまいと秋萩が言っているからか、の意に解されることもある(注1)。歌の情趣としてどちらが優れているか議論されている。
 いずれの解釈にしても、秋萩と雁とが詠み合わされている点について理解は深まっていない。そういう謂れがあったのだという歌なのだとすればそのとおりかもしれないが、人々の間によく知られる言い伝えがあったとしたら他にも例が見られるはずであるが見られない。なかったからないのだろう。また、秋萩を主語として雁に逢うまいと言っていると仮構するのは難しい。植物のほとんどはその場を離れることができない。人間のように逃げることはできないのに擬人化したとは考えられない。
 四句目の「音乎聞而者」、「声を聞きては」は雁の鳴き声のことを言っている。その雁をそのまま二句目に遡って詠んでいるだけなら、修辞術として凡庸の誹りを逃れ得ない。それが最大の問題である。歌としての楽しみは言葉を掛けている点にあると考える。
 カリと聞いて思い浮かぶ言葉にかりうち、樗蒲がある。樗蒲は専用のサイコロ、すなわち、カリを振って盤上の駒を進めて競うボードゲームである(注2)双六すぐろく同様、さいころを振って駒を進めることになっている。どちらもさえ(またはサイ)と言うが、双六のさいころは六面体、かりうちで使うのは一面を削った棒状のものであった。賭け事にされるようになり、禁令がくり返し発せられている。捕亡令義解に「博戯は双六樗蒲の属なり。」とある。

カリ出土品(小田ほか2016.45頁)

 樗蒲采 陸詞に云はく、〓(扌偏に梟)〈音は軒、加利かり〉は〓(扌偏に梟)子、樗蒲の采の名なりといふ。(和名抄・雑芸具)
 樗蒲 兼名苑に云はく、樗蒲は一名に九采といふ。〈内典に樗蒲は賀利宇智かりうちと云ふ〉(和名抄・雑芸類)
 ……もののふの 八十やそともは かりの〔折木四哭之〕……(万948)
 さ鹿しかの 妻問ふ時に 月を良み 雁が音聞こゆ〔切木四之泣所聞〕 今し来らしも(万2131)
 双六采 楊氏漢語抄に頭子と云ふ。〈双六すぐろく乃佐以のさい、今案ふるに雑題双六詩に見ゆ〉(和名抄)
 一二の目 のみにはあらず 五六三 四さへありけり 双六のさえ〔双六乃佐叡〕(万3827)
 此処ここ銅牙石どうげじやくあり。形双六すぐろくさえに似たり。(播磨風土記・揖保郡)
 菅の根の ねもころごろに〔根毛一伏三向凝呂尓〕 へる ……(万3284)

 かりうちで使われる采、カリは、万葉集の借訓仮名「折木四」「切木四」として残されている。出た目に関しても万葉仮名として名が残っている。コロ(「一伏三起」(万2988)、「一伏三向」(万3284))はかりうちの采の目が●◯◯◯のように出た目、ツク(「三伏一向」(万1874))は●●●◯をいい、マニマニ(「諸伏」(万743))は●●●●のことをマニをいうからとされている(注3)
 ここで問題となっているのはカリという名である。カリのことをいう采は saye の音(注4)、冷たく凍ることをいう「え」と同音である。つまり、萩は秋が深まって冷たく凍るのに堪えず、花の咲いたまま、色の褪せぬままに散っていくことを言っている。そこへ同音の雁を持ち出し、渡り鳥の声が聞こえることをダブらせて表現してみせたのである。
 例を挙げる。

 ……我が衣手に 置く霜も え渡り〔氷丹左叡渡〕 降る雪も 凍り渡りぬ ……(万3281)

 同様に表現したい場合、万2126番歌の「秋萩子者於鴈不相常」は、「秋萩は 雁にへずと」と他動詞として訓むことがふさわしい。

 秋萩は 樗蒲采かりへずと 言へればか〈一に云ふ、言へれかも〉 声を聞きては 花に散りぬる〔秋萩子者於鴈不相常言有者香〈一云言有可聞〉音乎聞而者花尓散去流〕(万2126)
 秋萩はいくら太く成熟したとしても所詮はなよなよした枝で、かりうちの采であるカリにするには合わないと世にいうからか(言うからかも)、そのカリではないが、雁の鳴く声を聞く頃になると、萩の花はまだ花の色がついたままなのに散ってしまうことよ。

 次の万2127番歌は、秋になったら大好きな彼女に見せようとガーデニング(注5)をして植えた萩は、露霜(注6)をのせて散ってしまったなあ、という歌で、開花の頃の逢瀬を逃したことを嘆く歌とも、失恋を詠んだ歌とも取れるという。再掲する。

 秋さらば 妹に見せむと 植ゑし萩 露霜負ひて 散りにけるかも〔秋去者妹令視跡殖之芽子露霜負而散来毳〕(万2127)

 歌意の受け取り方としてそれでよいのだろうか。もしそれだけだったとしたら、直叙という以上に漫然と歌にしただけの作品ということにならないか。
 万葉集の編者は前の万2126番歌とともに採っている。「萩」が「冴え」に勝てないこと、堪えないことを基底にして言葉づかいがされているところを選んでいる。「露霜」で表したいのは、白い粒となって輝いているところである。冷たく凍ったサエ(冴)の粒である。かりうちの賽子、サエ(采)を掛けて歌に詠まれている。
 ここにこの歌の面目は躍如する。秋になったら見事な花をつけるだろうと思い、おそらくは春に植え付けている。春に投資して仕込んだわけだが、秋に結果を得ることはなかった。博打に負けたのである。「詠花」の題詞(万2094番歌の前)のもとにそのことを言っている。ただ花の様子を詠んでもおもしろくはない。あらかじめ想定したスケジュールのようには男女の間柄がうまく進展しなかったことを歌ってもありきたりである。かりうちという博打に失敗したことを男女の恋と萩の花の様子に歌い込んでしまったところが秀逸なのである。そのとき、歌は修辞ファーストのものとなっている。萩にかこつけた恋歌以上のものへと展開(転回)している。
 「詠花」の題材の花ははぎ(ギは乙類)である。ハギ(ギは乙類)は、ハ(葉、端、花)とギ(キ)(乙類)から成っている。キ(乙類)は木のことである。ハ(葉、端、花)とキ(木)は別物で、すぐに離れてしまうことを言葉の内に宿しているのがハギ(萩)である。その意を負っているのだから、いくらお金をかけてもうまくはいかない。賽の目がそうであるように思うようには転ばない。ハギという名によって最初からわかっていたことである(注7)

 秋さらば 妹に見せむと 植ゑし萩 露霜負ひて 散りにけるかも(万2127)
 秋になったら大好きな彼女に見せようと思って植えた萩は、冷え込んだ日に雁を目にするように、まるでかりうちの采(カリ)の目のような露霜の白い粒がつく。采の目が思うようには転ばないのと同じように期待どおりにはならずに花は散ってしまったということらしい。なぜといって、ハギはハ(葉、花)とキ(木)から成る言葉であり、両者は別々になる運命であることを示していて、その名を負っている限りにおいて、冷たく凍るサエの日を迎えたらかりうちの采のようにうまくは行かず、この企てがそもそも博打まがいであったことが明らかになったということだなあ。

(注)
(注1)萩は初秋から晩秋の花、雁は晩秋から初冬の鳥ということで、雁の声を聞くと萩は散り急ぐというのだと言われ、引退の花道がすでに上代、奈良時代に語られていたと敷衍する向きもある。退位して太上天皇となっていた方にも当て嵌まるとでもいうのだろうか。
(注2)近年、奈文研により盤の現物が突き止められ、朝鮮半島で行われている盤上ゲームの柶戯(ユンノリ)と酷似したものとして再現されている。なお、かりうち、樗蒲、柶戯、ユンノリ、六博の間には細かな違いがあり、中国から朝鮮半島、日本列島へと変遷するうち形に変化が起きてもなお旧のままの名称であったこともあったようである。早く喜多村節信、木村正辞、安藤正次らの考証がある。各ゲームを系譜中に位置づけようとした近年の試みに、清水2017.がある。
(注3)簡便な図解は垣見2016.、小田2023.に見られる。「諸伏まにまに」はかりうち用語によるものではないとする考え方もある。
(注4)奈良時代には発音上、母音が二つ重なることを避ける習慣があって、字音の sai が saye に転じているとされるが、和名抄に sai の形が見られ、楫(櫂)のことを kai と言っていた例がある。いずれにせよ、采のことをサエと呼ぶことはふつうにあった。
(注5)上野2024.136頁。
(注6)「露霜」については阿蘇2006.に詳論がある。文選の詩句等に関わる歌語とする説もあるが、歌の中でツユシモという言葉が表したいのは、寒冷によって白く結晶化している見た目のことであって典故ではない。
(注7)万葉集では萩が最も多く歌われる花である。細々した花を愛でていたと解する向きもあるが、感覚として理解されているのだろうか。萩はハ(葉、端、花)+ギ(キ)(木)という語構成であることがおもしろがられて歌の修辞に愛用された結果として数が多くなっている。この歌でも、園芸家に萩の花が好まれて植栽されたことを言っているのではなく、そんなことをする人はいなかったから事立てて言い募っているのである。上代に萩を植えるのは花が目的ではなく、せいぜい垣根とするためであった。初めからわかっていることを言うのにふさわしい設定としている。

(引用・参考文献)
阿蘇2006. 阿蘇瑞枝「万葉集の露霜私考」万葉七曜会編『論集上代文学 第二十八冊』笠間書院、2006年。
上野2024. 上野誠『感じる万葉集─雨はシクシクと降っていた─』KADOKAWA、令和6年。
小田ほか2016. 小田裕樹・芝康次郎・星野安治「一面を削った棒」『奈良文化財研究所紀要2016』奈良文化財研究所、2016年6月。奈良文化財研究所学術情報リポジトリ http://hdl.handle.net/11177/7048
小田2023. 小田裕樹「かりうち公式ルールができるまで」『なぶんけんブログ』2023年8月、https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2023/08/20230816.html(2025年11月10日閲覧)。
垣見2016. 垣見修司「『万葉集』と古代の遊戯─双六・打毬・かりうち─」河添房江・皆川雅樹編『唐物と東アジア─舶載品をめぐる文化交流史─(新装版)』勉誠出版、2016年。(同、アジア遊学147、2011年。)
清水2017. 清水康二『東アジア盤上遊戯史研究』(博士論文)2017年。明治大学学術成果リポジトリ http://hdl.handle.net/10291/19711
奈良文化財研究所「かりうち」プロジェクト、奈良文化財研究所ホームページ https://www.nabunken.go.jp/research/kariuchi.html(2025年11月10日閲覧)
増川2021. 増川宏一『遊戯Ⅱ』法政大学出版局、2021年。

加藤良平 2025.11.10初出

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