万葉集942番歌の「鵜にしもあれや 家念はざらむ」については、諸説乱れ、なかなか要領を得ていない。
玉藻苅る 辛荷の嶋に 嶋廻する 鵜にしもあれや 家念はざらむ(万943)(注1)〔玉藻苅辛荷乃嶋尓嶋廻為流水烏二四毛有哉家不念有六〕
上代語の文法から構文上の位置づけを確かめた解釈としては、佐佐木1999.に論考があり、佐佐木2001.でも踏襲され、簡潔に説明されている。
「鵜にしもあれや、家念はざらむ」は、これまでさまざまに議論されてきた表現だが、[ーやーむ]という構文は「腑甲斐ない自分の「現在」のあり方をじれったく思いつつそれをどうすることもできない、そのような文型」であるという指摘[木下2000.]……と、……[この歌]にかかわるつぎの諸点を考慮すれば、「鵜などではないのに、家を思わないだろうか(そんなことはない)」という意味の表現であると解さなければならない……。
ⅰ 反語表現の「あれや」が逆接的な関係で「家念はざらむ」をみちびくこと
ⅱ 「あれや」のもつ「係り」の統制力が「家念はざらむ」におよぶこと
ⅲ 上代に三例ある「思はずあらむ/思はざらむ」の用例がみな反語表現であること
ⅳ [ーやーずあらむ(ざらむ)]の構文に属する……[1343、一云・2792・続紀25詔]の三例がみな反語表現であること
つまり、「鵜にしもあれや」が反語であることはいうまでもないが、それにつづく「家念はざらむ」も同様に「や」の影響をうけて反語になっている、と解すべきものである。また、「家を思わないだろうか(そんなことはない)」という想定は「家を思うだろう」という想定だから、それは作者にとって不本意な事態である。不本意であるからこそ、みぎの指摘のように「じれったく思いつつそれをどうすることもできない」という心情を表明することになるのである。(佐佐木2001.159~160頁)
これにより、すべて解決されて然るべきところであるが、その後の注釈書でも不明な訳出が行われている。
玉藻を刈る辛荷の島で、島を廻りつつ魚を捕る鵜であるからであろうか、家を思わずにいられるとは。(稲岡2002.35頁)
美しい藻を刈る辛荷の島のめぐりを、餌を求めて回る鵜ででもあるというのか。鵜ではないから、どうして家を思わずにいられよう。(多田2009.346頁)
玉藻を刈る辛荷の島で、島を回って魚を捕る鵜だからだろうか、家を思わずにはいられるのは。(新大系文庫本161頁)(注2)
佐佐木氏が指摘するように、「ーやーずあらむ(ざらむ)」の構文から、まず「鵜にしもあれや」が反語であり、そのうえでさらに「家念はざらむ」も反語である。それなのに、現代語訳に、「鵜などではないのに、家を思わないだろうか(そんなことはない)」とだけ記されている。何を言っているのか結局わかっていない(注3)。
「鵜にしもあれや」は反語である。学校文法で強意の助詞とも言う取り立ての助詞シが入っている。なんと、鵜であるからだろうか、いやいや鵜ではないのに、の意味である。もう少し上代語に即して言えば、鵜(ウッ)!であるからだろうか、いやいや鵜(ウッ)!ではないのに、と言った方が似つかわしい。そもそも、鵜という鳥の名は、鵜飼に使うことから名づけられたと思われる。Cormorant は鵜飼用に飼育されて手なずけられ、環か紐で首を結わえつけられ、大きな魚を飲みこむことができず、漁師のもとに引きずられてはウッと吐き戻している。だからその名で呼ばれている。
「家念はざらむ」も反語である。家を思わないことであろうか、いやいや家を思うことであろう、の意味である。その両方の反語をきちんと伝えなければ正しい理解ではない。すなわち、鵜であると家を思うはずである。(私は)そんな鵜ではないのに、家を思わないだろうか、いやいやそんなことはなくて家を思うであろう、という意味である。

鵜であることが家を思うことと結びつけて考えられていた。その証拠は、鵜葺草葺不合命の逸話に残されている。鵜の羽で産屋の屋根を葺こうとして途中まで進めて行ったが最後まではできず、そこで子を産んでいる。鵜の羽はちょうど瓦葺きの屋根のように葺き下ろされており、甍のところだけ瓦状の羽が被さらない姿をしている。鵜飼に使役され、獲った大魚を飲み込むことができずに胸ばかり膨らませている。ムネが大きいから、甍いらかを葺くべき大棟のところへ注目が行く。そして、鵜という鳥は他の水鳥と違い、尾脂線からの脂で羽をケアすることがなく、水に濡れたらそのままびしゃびしゃになる。一仕事終えて陸にあがったら羽をばたつかせて乾かしている。釉薬などかけていなかった古代の屋根瓦は、濡れると灰色から黒色になるように変化していた。鵜は必ず家の瓦葺き屋根を連想させていた(注4)。
このことから、鵜であるのならきっと家を思わないことはないだろう、という前提が、上代に常識化していたことが判明する。cormorant は鵜飼用に飼育されていて、まるで家に帰ってくるように獲物を捕ったら必ず帰ってくる。その常識を踏まえ、この歌は歌われている。私はそんな鵜であるからだろうか、いやいやそんな鵜ではないけれど、家を思わずにいるであろうか、いやいや思うことであろう、の意である。この歌は山部赤人の作である。題詞に「辛荷の嶋を過ぎし時、山部宿禰赤人の作る歌一首〈并せて短歌〉」とある。「辛荷の島」に着想を得ている。「玉藻苅る」のカルはカラニを導くというよりも、カラニを強調するために思いついた語である。カラニからカラ(柄)が思い起こされ、鵜飼の鵜の首を結わう藁のカラのことが連想されて鵜が歌の主題に据えられている。「嶋廻」とあるのは、島を廻りながら鵜飼をするのではなく、鵜飼船の周りを鵜が廻ることから用いられている(注5)。船に載せられて沿岸の海上へ連れて行かれて漁をさせられている鵜にとっては、鵜飼船が島に当たる(注6)。カラニ(辛荷)の島だから正しい。漁をする鵜飼船は、漁を進めて獲物であふれかえるまで、カラニ(空荷)の船に当たる。より正確には、どんなにたくさん獲っても最後まで空荷の船である。船には鵜を入れていた鵜籠が置かれている。鵜飼の最中は出払っており、連れて帰るために空けておく。だからカラである。鵜は、鵜飼において、大魚を獲って来ては小魚が与えられて再び漁をする。漁師が納得するまで獲物を捕りきらなければ鵜飼漁は終わらない。鵜がそのことを自覚しているかどうかはわからないが、傍から見ていると、鵜は早く家に帰りたがっているかのようにせっせせっせと漁をこなしている。「嶋廻する鵜」という言い方は言い得て妙である。そのような様子に当てはめて赤人は人間の気持ちを言い表そうとしている。まことによくかなった比喩表現である。だから、カラニの歌が歌われている。カラニは、上代語で、おのずとそういうことになる、ちょっとしたことでそういうことだ、といった必然性を言い含めている。すなわち、語義の説明が歌の中に循環し、歌をもって語り尽くされるようになっている。無文字文化においては、言葉(音)の説明は言葉(音)によるしかなく、辞書の役割を果たすのに最も効果があるのは、ある発語を同時逐語的に自己言及してゆくことであった。AI(人工知能)的な即答が万葉歌の一面ということになる。
そんな鵜ではないけれど、まるでそんな鵜と同じように、言われたとおりに船をひたすら漕いでいる立場にあるのが、歌を歌っている山部赤人の立場である。彼が実際に水夫として働いていたわけではなかろうが、歌い手の視点は漕いでいる人たちとともにある。船長の言うことに逆らったりせず、鵜と同音の「諾」と従っている。「真楫貫き」とあり、船には多数のオールを取り付けている。赤人は、同調して漕いでいるたくさんの水夫の総意を歌っている。息を合わせてオールを揃えなければオールどうしがぶつかって役に立たない。それはまるで鵜飼いの鵜が、鵜匠の巧みな手綱さばきに従って絡まることがないのと同じである。水夫の立場に立つ赤人は、鵜飼に使われている鵜と同等であると感じていることを歌っている。だから、鵜が歌の主題としてとり上げられている。そして、そんな鵜では自分はないのに、鵜が家の屋根を表すような姿のことからも、自らの家のことを思うと言っている。早く帰りたい一心で、鵜飼の鵜さながらに船長の指示通りにウンと答えて一糸乱れず行動している。
万943番歌の「鵜にしもあれや 家念はざらむ」は二重反語構文であった。上代人の言葉づかいはまるで鵜匠の手綱さばきのように上手な多重構造を成している。現代人には理解しにくく感じられるのは、平板な言語生活しか知らないからである。万943番歌への無理解は、そんな事情を白日の下にさらしている。
(注)
(注1)この歌は、山部赤人の長歌と反歌三首から構成されている。周知のとおり、長歌につづく反歌は長歌と意味連関の強い短歌である。万942番歌の理解なくして万943番歌の理解には至らない。カラ(辛)、カレ(離)、カル(苅)の音連関は当然の結び付きがある。
辛荷の嶋を過ぎし時、山部宿禰赤人の作る歌一首〈并せて短歌〉
あぢさはふ 妹が目離れて 敷栲の 枕も纏かず 桜皮纏き 作れる舟に 真楫貫き 吾が漕ぎ来れば 淡路の 野嶋も過ぎ 印南つま 辛荷の嶋の 嶋の際ゆ 吾家を見れば 青山の そことも見えず 白雲も 千重になり来ぬ 漕ぎ廻むる 浦のことごと 行き隠る 嶋の崎々 隈も置かず 思ひそ吾が来る 旅の日長み(万942)
反歌三首
玉藻苅る 辛荷の嶋に 嶋廻する 鵜にしもあれや 家念はざらむ(万943)
嶋隠り 吾が榜ぎ来れば 羨しかも 大和へ上る 真熊野の船(万944)
風吹けば 浪か立たむと 伺候に 都太の細江に 浦隠り居り(万945)
(注2)稲岡2002.に「「鵜にしもあれや家思はざらむ」は、いっそ鵜ででもあればよいがという気持で言う。」(35頁)、新大系文庫本に「海鵜は、多くの場合、秋に飛来し、春に北へ帰る冬鳥。下二句は難解だが、旅の鵜に愁いの様子がないのを見て、鵜だからそうなので、私は望郷に苦しまないでおられないという気持の表現であろう。」(161頁)とある。理解できていない。
(注3)応神記、仁徳前紀の諺に、「海人なれや、己が物から泣く」とある。佐佐木2013.に論じられているが、核心までは至っていない。拙稿「記紀の諺「海人なれや、己が物から泣く」について」参照。
(注4)拙稿「鵜葺草葺不合命(鸕鷀草葺不合尊)の名義について」参照。瓦葺きの屋根は海神の宮に想定されており、竪穴式住居が多かった一般民家には見られないが、「家」を思わせないものはない。
(注5)野生に棲息する cormorant について、この歌においてのみ自然観察して歌に詠んでいるとは考えられない。なにしろその鳥は、ウ(鵜)というヤマトコトバに該当しない恐れがある。
(注6)湾内のように波の穏やかな海で、ボラ漁などのために鵜飼が行われていた。
(引用・参考文献)
稲岡2002. 稲岡耕二『和歌文学大系2 萬葉集(二)』明治書院、平成14年。
木下2000. 木下正俊「「斯くや嘆かむ」といふ語法」『万葉集論考』臨川書店、2000年。
佐佐木1999. 佐佐木隆『萬葉集と上代語』ひつじ書房、1999年。
佐佐木2001. 佐佐木隆『萬葉集構文論』勉誠出版、平成13年。
佐佐木2013. 佐佐木隆「海人なれや、己が物から泣く─上代語の表現─」『学習院大学研究年報』第60輯、2013年3月。学習院大学学術成果リポジトリ http://hdl.handle.net/10959/3792
新大系文庫本 佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『万葉集(二)』岩波書店(岩波文庫)、2013年。
多田2009. 多田一臣『万葉集全解2』筑摩書房、2009年。
加藤良平 2018.3.16初出