万葉集に「鞘」という言葉の出てくる歌は三首、長歌、旋頭歌、短歌にそれぞれある。
大君の 命畏み 見れど飽かぬ 平城山越えて 真木積む 泉の河の 速き瀬を 竿さし渡り ちはやぶる 宇治の渡の 激つ瀬を 見つつ渡りて 近江道の 相坂山に 手向して 吾が越え行けば 楽浪の 志賀の韓崎 幸くあらば また還り見む 道の隈 八十隈ごとに 嘆きつつ 吾が過ぎ行けば いや遠に 里離り来ぬ いや高に 山も越え来ぬ 剣刀 鞘ゆ抜き出でて〔鞘従抜出而〕 伊香胡山 如何にか吾が為む 行方知らずて(万3240)
剣 鞘ゆ納野に〔従鞘納野迩〕 葛引く吾妹 ま袖持ち 着せてむとかも 夏草刈るも(万1272)
人言を 繁みか君の 二鞘の〔二鞘之〕 家を隔りて 恋ひつつをらむ(万685)
鞘は、刀剣などの刃身を保護する目的で作られた筒状のものである。新撰字鏡に、鞘、鞞、琫の字を載せ、また、和名抄に、「剣鞘 郭璞方言注に云はく、鞞〈音は俾〉は剣の鞘なりといふ。唐韻に云はく、鞘〈私妙反、佐夜〉は刀室なりといふ。」とある。長歌には、その鞘におさめるツルギタチという言葉が載る。ツルギタチとは、(1)剣の大刀の意、(2)枕詞、に大別される。枕詞は、(a)身に副ふ、(b)磨(研)ぐ、(c)名、汝(己)、(d)太子、(e)石床別、などにかかるとされる。諸説を総合すると、片刀を「刀」といい、両刃(双刃)を「剣」という。「大刀(太刀)」は物を断(裁)つからタチといい、刀剣類の総称である。剣はそれに内包される下位概念で「剣の大刀」ともいうが、ツルギとタチはしばしば混用されている。
枕詞のかかり方の理由としては、古代の官人は昼間外出するときには腰に取り佩き、夜に帰宅すると緒を解いて床の辺に置いたから「身に副ふ」にかかるのだとされている。また、「名」にかかるのは、刃との関連であるとか、「剣大刀」を佩くほどの名のある身分を示すからであるともされている。これらの関係からか、上の長歌と旋頭歌について、剣(大刀)を男性、その鞘を女性のシンボルとして、セックスの描写の比喩と指摘する意見がある。例えば、万3240番の長歌は、中国の伝奇小説、遊仙窟の表現を下地にすると指摘されている。
この歌の続き方は、「剣大刀鞘ゆ抜き出て厳シ」(古義説「イ撃ク」から「伊香胡山」へ、更に「伊香胡山」のイカから同音の「如何に」へと続くが、通説の「厳シ」の続き方は疑はしい。むしろ「鞘ゆ抜き出て如何」と続き、その同音として、道行き歌の常套手段である固有名詞の「詠み込み」、即ち「イカゴ山」を中に挟んだのではなからうか。これは、遊仙窟の主人公と十娘との刀子をめぐる性的な「意」をもつ場面の詩「渠今抜出後、空鞘欲二如何一」(君今し抜き出し後は、むなしき鞘を如何にせむ。十娘詠レ鞘)から思ひついたとみては如何。この長歌は既成作品を綴り合はせた末技的な技巧をほどこし、あそび的な色調を帯びる。この歌の反歌(三二四一)の左注「但此短歌者、或書云、穂積朝臣老配二於佐渡一之時、作歌者也」をかりに長歌に及ぼしたとしても、この長歌は老の配流の養老六年 (722)を遡らないものと思はれ、むしろこの長歌のすがたよりみれば、以後のものとみるべきかも知れない……。何れにしても、最も遅い遊仙窟伝来時の一説(養老二年)と牴触するものではない。(小島1964.1023~1024頁、漢字の旧字体は改めた)(注1)
万1272番の旋頭歌は、底本とする西本願寺本の一・二句目「釼従鞘納野迩」について、「従」を「後」の誤りと見る説があり広まっている。「釼後」を「剣の後」と訓み、「納野(入野)」という地名を導くための序詞とするのである。新編全集本(②238頁)、新大系本((二)159頁)、古典集成本((二)239頁)に採られている。吉田2008.も同じく訓み、「タチとサヤは、それぞれ男性、女性の比喩である。タチ(劔)は「立つ」の掛詞、サヤの相関語。地名「納野」に行為「入る」を掛け、「クズ引く」に女の媚態を暗示する。」(110頁)と、リアル・セクシャルな表現であるという(注2)。
しかし、上二首を見ると、剣を鞘から抜くのと入れるのとの相違がある。剣と鞘の関係の、わずか二例しかない用例において、形容すべきとする生殖器の動作が逆になっている。また、長歌のそれは、イカゴの音を導く序詞として引かれている。性的表現と見なす必要性はない。反歌の万3241番歌の左注に、「右の二首、但し、此の短歌は、或書に云はく、穂積朝臣老の佐渡に配されし時に作る歌なりといふ。」とあり、道行きとみられる平城山、泉川、宇治の渡、近江路、相坂山、志賀の韓崎といった地名が見られる。「伊香胡山」も琵琶湖岸の山と比定されており、吉野のような仙郷のニュアンスはない。また、梨を剥くのに刀子は使うが、両刃の剣では指のほうまで損じてしまう。小島1964.の主張するような「既成作品を綴り合はせた末技的な技巧」や「あそび的な色調」とする捉え方は、遊仙窟を当てはめなければ聞いただけでは生まれてこない。遊仙窟が伝来していたかどうかが問題ではなく、遊仙窟が大勢の人々に当然持つべき教養として、言い換えれば常識となっていなければ、それを知らない人にはわからず馬耳東風の歌になってしまう。素直に考えて、配流に際して歌われる歌意に、セックスも梨も仙郷も詠み込むとは考えられない。漢籍との関連を指摘するのは衒学にして牽強付会の説と言わざるを得ない。
万1272番歌は、「這ふ葛の 引かば寄り来ね 心なほなほに」(万3364或本)の例から、「クズ引く」を女の媚態と考えられないことはない。だから、呼びかけ形式の旋頭歌前半の、呼びかけの部分を露骨な性表現であると見ることも不可能なことではない。けれども、剣や鞘という語句の意味は、地名の「納野」を導いて吸収されてしまっている。しかも、それに応じた後半はいっさい卑猥さを感じさせない。中断された猥談が歌の眼目となるとは考えられない。葛については次のような歌もある。
霍公鳥 鳴く声聞くや 卯の花の 咲き散る岳に 田葛引く少女(万1942)
クズの蔓から繊維を取る作業をする姿を歌っている。夜のお勤めにこだわる必要はない。さらに、万685番の短歌にある「二鞘の」は「隔つ」にかかる枕詞かとされている。鞘を分かつように家が分かれている。鞘を家に譬えているから、二人の男女はともに剣(大刀)に当たる。剣(大刀)と鞘とが、男性、女性の性器を表しているとの仮説には、三例中一例が反例として存在している。
なにより、万1272番歌について、現在優勢な訓であるタチノシリ サヤニイリノニの部分は原文を意改したものである。西本願寺本や元暦校本にある「釼従鞘納野迩」のまま、大系本萬葉集(二)239頁や、中西1980.124頁などでは、ツルギタチ サヤユイリノニと訓んでいる。万葉集中の「従」の字は、訓み方にもよるが、上代の助詞ユが百十五例、ヨリ(ヨは甲類)が七十八例、他に「侍従」でサモラフと訓むのが二例を数える。○○ユと訓むうち、「○○従」の形が八十六例、「従レ○」、「従二○○一」の形が二十九例見られる。助詞のユは、時代別国語大辞典に、「①動作の行なわれるところ・経過するところをあらわす。ⓐ場所の場合。」(777頁)として次の例をあげている。
巻向の 痛足の川ゆ 往く水の 絶ゆる事無く またかへり見む(万1100)
昨夜こそは 児ろとさ寝しか 雲の上ゆ 鳴きゆく鶴の ま遠く思ほゆ(万3522)
黄葉の 散らふ山辺ゆ 漕ぐ船の にほひに愛でて 出でて来にけり(万3704)
英語の前置詞 at や in や on などに当たる。上代語のユは、現代語のヨリ、カラに当たる from や since の意に限られない。再掲する。
剣 鞘ゆ納野に〔従鞘納野迩〕 葛引く吾妹 ま袖持ち 着せてむとかも 夏草刈るも(万1272)
大刀のなかでの剣の特徴は両刃である点にある。片方にしか刃のついていない片刀とは異なる。刀身の両側に刃がついている。「片」の対語は「真」である。下の句は、片袖ではなく「両袖」のついた着物を作ろうと言っている。材料は葛の繊維である。その葛を採取している。クズはマメ科の植物で、莢を作ってそこに実入りする。莢に実が入ることに、鞘に刀身が入ることを掛けている。だからわざわざ葛の採集の歌のなかで両刃の剣を登場させている。作者は、イリノという地名と植物のクズの生態を巧みに詠み併せようとした。そもそものサヤ(鞘=莢)という言葉の始源をも表そうとするかのようである(注3)
振り返って、万3240番の長歌において、剣大刀がイカゴをなぜ導いているかに検討する。大系本は、「剣はイカキ(厳威なる)ものであるから、同音のイカゴ山にかかる。」((三)344頁)、新大系本は、「剣の霊威を「いかし」と形容した。「厳矛、此には伊箇之倍虚(いかしほこ)と云ふ」(日本書紀・舒明天皇即位前紀訓注)。」((三)235頁)とする。剣はイカシタチという意とするのであろう。当らずと雖も遠からずである。大刀のなかでの剣(つるぎ、つるぎたち)の特徴は両刃にあった。両刃の剣の鋒先は、尖頭で切れ味が鋭い。鋒先の譬えにかます切っ先という言葉がある。カマスという魚は頭が尖り、歯が鋭い。一瞬にして口を開けて噛みつく。その点をよく捉えた命名だろう。

また、カマスという言葉には、叺と書く袋がある。蒲簀の意で、孝徳紀大化五年三月条では「綿二褁」と助数詞になっている。この叺は春にとれるイカナゴを入れて運んだ。イカナゴは小さく、何の子かわからない「如何子」の意であるところ、カマスに入れられて来るからカマスゴと洒落て呼ばれていた。魚のカマスもイカナゴもともに細長く、縦に筋目が入りながら銀白色に輝いている。そういったつながりから、剣大刀はイカゴを導く。魚のカマスという字は、魳に作る。上代に有名な剣に「韴霊」がある。切れ味の鋭いと有名である。字形も掛けて考えられていた、ないしはそういう字を創作していた(注4)。
万葉集の「鞘の歌」三首は、ヤマトコトバをもって素直に読んでわかるものであるし、わかるものとしてなければそもそも歌として歌われていなかったであろう。
(注)
(注1)遊仙窟(国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1194481/1/43~44)参照。ナイフを借りて梨を剥きたいという掛け合いの場面である。主人公張郎の、「惜しむ可し尖頭の物 終日皮中に在り(可惜尖頭物 終日在皮中)」との問いかけに、仙女の十娘は、「……渠今抜き出し後は 空しき鞘を如何にする(渠今抜出後 空鞘欲如何)」と答えている。この「刀子」、「今し抜き出し後は」、「空しき鞘を如何にせむ」と、万葉長歌の「剣刀」、「鞘ゆ抜き出でて」、「如何にかわが為む」という語句とが照応しているから、遊仙窟の相当に性的な場面を踏まえているのではないかとしている。校注・訳に小島氏の加わる新編全集本や、曽倉2005.も踏襲する。
もし仮に、言葉の続き方に漢籍の世俗小説の知識を必要としているとしたら、ヤマトコトバはすでにクレオールであったとする大議論を展開しなければならない。しかし、そこまで見据えた議論とはなっていない。出典論研究は、言葉の理解を深めもし浅めもする両刃の剣である。
(注2)吉田2008.の議論に、この旋頭歌の前の三句を男からの呼びかけ、後の三句を女が答えた文のリライトとして考えている。「「片歌」を交わす男女の対話を、一首の歌に纏めようとされた」(107頁)という。「変則な対話」としているが、「対話」の範疇に入るものではない。
(注3)岩波古語辞典に、「さや【鞘・莢】」(589頁)と、何の疑問もなく同一項にしている。
(注4)拙稿「神武紀の「韴霊(ふつのみたま)」について」参照。
(引用・参考文献)
岩波古語辞典 大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波古語辞典 補訂版』岩波書店、1990年。
小島1964. 小島憲之『上代日本文学と中国文学─出典論を中心とする比較文学的考察─ 中』塙書房、昭和39年。
古典集成本 青木生子・井出至・伊藤博・清水克彦・橋元四郎校注『新潮日本古典集成 萬葉集(二)』新潮社、昭和53年。
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、1967年。
新大系本 佐竹昭広・山田英雄・大谷雅夫・山崎福之・工藤力男校注『新日本古典文学大系2・3 萬葉集(二)・(三)』岩波書店、2000年、2002年。
新編全集本 小島憲之・木下正俊・東野治之校注・訳『新編日本古典文学全集7・8 萬葉集②・③』小学館、1995年。
曽倉2005. 曽倉岑『万葉集全注 巻第十三』有斐閣、2005年。
大系本 高木市之助・五味智英・大野晋校注『日本古典文学大系5・6 萬葉集(二)・(三)』岩波書店、昭和34・35年。
中西1980. 中西進『万葉集 全訳注原文付(二)』講談社(講談社文庫)、1980年。
吉田2008. 吉田金彦『誤解された万葉語』勉誠出版、2008年。
加藤良平 2024.6.30改稿初出