万葉集で「荒垣」という語が登場する歌は次の二首である。
里人の 言縁妻を 荒垣の 外にや我が見む 憎くあらなくに(万2562)〔里人之言縁妻乎荒垣之外也吾将見悪有名國〕
金門田を 荒垣間ゆ見 日が照れば 雨を待とのす 君をと待とも(万3561)〔可奈刀田乎安良我伎麻由美比賀刀礼婆阿米乎万刀能須伎美乎等麻刀母〕
万2562番歌の「外」字は、ヨソと訓む説とホカと訓む説がある(注1)。万3561番歌の「安良我伎麻由美」字は、「荒垣間ゆ見」(伊藤2009.381頁)と訓む説のほか、「荒掻きま斎み」(中西1981.285頁)と訓む説もある。
「荒垣」という語については、万葉集には他に「葦垣」、「青垣」、「斎垣」、「岩垣」、「高垣」、「間垣」、「瑞垣」といった用例から、それは粗雑に作られた垣のことではないかと考えられている。ただし、「垣」に冠する形容はさまざまである。修辞は前後関係からいかようにも導かれるもので、同じものを別の言い方をすることもあって歌を賑わせる。日本国語大辞典第二版には、「荒垣」の項で、「①柱と貫(ぬき)の間隔をあらくまばらに作った垣根。……②とくに、清浄なものとして神社などの外側に設けられた目のあらい垣根。」(612頁)という語釈が記されている。①の例に万2562番歌ばかりでなく、催馬楽の「関の安良可支」ほかを載せる。神社の垣のことは、「斎垣」、「瑞垣」、「荒垣」といろいろに言われている。
関所の「荒垣」と神社の「荒垣」は設置されるところ、機能面においてよく似ている。関所の場合、通るところが決められてそこで通行手形を改めたり、税を納めたりして通過する。神社の場合も通るところは決められていて、鳥居の下で一礼してからくぐって進むことになっている。それ以外のところから出入りしてはいけなくて、そのための柵となるのが「荒垣」であると理解される。
通るところは、「門(トは甲類)」である。そこには「戸(トは甲類)」が付けられていることもあった。The ❝ト❞ とはそういうものである。夜間は門戸を閉ざして通れないようにする。江戸時代の町にも木戸番がいて、夜になると閉ざして治安が守られていた。次の例で、防人に出かける男を家族が見送りに来ているのは村の門のところである。
防人に 立ちし朝明の 金門出に 手放れ惜しみ 泣きし児らはも(万3569)〔佐伎母理尓多知之安佐氣乃可奈刀〓〔亻偏に弖〕尓手婆奈礼乎思美奈吉思兒良婆母〕
古事記の歌謡にも「金門」は出てくる。大前小前宿禰大臣の屋敷の周囲を軍勢が取り囲んだ時の歌である。
大前 小前宿禰が 金門蔭 斯く寄り来ね 雨立ち止めむ(記80)〔意富麻弊袁麻弊須久泥賀加那斗加宜加久余理許泥阿米多知夜米牟〕
カナトという語は金属で扉や柱を堅め飾ることを示すかとされるが、金属製の鎧戸は遺跡として発掘した例がない。似た音の「鉗」が拘束具を表すから、鍵をかけることと関係があるのかもしれない。門戸の場合も、鍵をかけるものならその部分に金属を用いることが生じる。閂の場合、通して支えるためには閂鎹に金属を要する。戸は開き戸だったから、落とし猿を止めるためにも金属製の鎹を付けることで力づくでは壊されないようにしていることが多かった。
そのように鍵のかかるものを「金門」と称したとすると、万3561番歌の「金門田」とは、鍵かけて守るような門を持った田の謂いであると知れる。一説のように「荒掻きま斎み」と訓んで田植え前のこと(注2)と解すると、第五句の「君をと待とも」の「君」が未だ生まれざる以前になってしまい違和感が生ずる。「荒垣間ゆ見」は稲の成長の様子を門の横の「荒垣」の隙間から見守るということになってわかりやすい。「君」の生育にはその親兄弟が携わるから、上手に適齢期になるのを祈り見ているということになる。
そこで、万2562番歌の「外」は「と(トは甲類)」と訓むべきであるとわかる(注3)。字余りも解消する。万葉集中、「外」字はヨソ、ホカ、ト(ド)と訓まれている。
里人の 言縁妻を 荒垣の 外にや我が見む 憎くあらなくに(万2562)
里の人々が噂で私にお似合いだとまるで妻のように言い立てている女性を、まわりに荒垣をめぐらせて閉ざされた門戸の外から私は見るのでしょうか、憎からず思っているのに。

これまで、「外」字をヨソ、ホカと訓んでいた。いずれも、噂が立てられてかえって近づきがたくなってしまったことを残念がる歌として捉えられてきた(注4)。噂 v.s. 気持ちの葛藤のようなことが歌われていると解されていた。そうではなく、格差社会における恋愛事情についての歌であり、ずっと現実味を帯びている。村の人たちは自分と幼馴染の彼女とはお似合いだと言っていて、もはや妻になっているも同然の睦まじい間柄である。ならばさっさと一緒になればいいのであるが、彼女のほうに良い縁談が持ち上がった。裕福な家の御曹司が彼女のことを見初めたのである。その屋敷は豪勢で、周囲に垣がめぐらされ、門構えも立派である。里人レベルには手出しができない。指をくわえて屋敷の中を窺うことになるのだろうか。
絵巻物に描かれている垣根として大雑把に作られて間垣と呼ばれているもののうち、横桟を、あるいは貫に作られているのではないかと思われるものがある。それがいま俎上に載せている万葉集の「荒垣」であろう。神社の「斎垣」、「瑞垣」とは、守るべきものが異なってはいるものの、貫に作られる例がある。民家の間垣に神社のそれのように朱に塗られることはないが、〈垣─門〉関係としては同じである。もはや枕詞と考える必要はない。

謂わんとしている比喩表現は巧みである。恋敵は屋敷に荒垣をめぐらせている。門(戸)を有する資産家である。外から見ることになるのだろうか、と大いなる疑念を呟いている。好きだったのになあ、というのである。
(注)
(注1)「外」字は、多くヨソと訓まれる以外にホカと訓む説もある。この二つの訓みについてすでに契沖は指摘している。初稿本にヨソと訓み、「いひさはかれていとゝちかよりかたきなり。きらはしくおもふゆへによそに見るにはあらすとことはるなり」、精撰本にホカと訓み、「外也ヲハホカニヤト読へシ。……言縁妻ナル二依テ弥近ヨリカタケレハ、嫌ハシウ思フ意ハアラネトセム方ナク垣ノ外ヨリヨソメニヤ見ムトヨメルナリ。垣穂成人コトヽ読タレハ荒垣之外也ト云ヘルニ其意モコロルヘシ」(国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/979064/167、漢字の旧字体は改めた)としている。
「荒垣の」を枕詞とするかしないかの違いを言い立てる議論があるが、よくわからない場合、「枕詞」ということにしておこうとする安易な精神があって芳しくない。岩波古語辞典に、「あらがき【粗垣・荒垣】神社などの外まわりにめぐらす目の荒い垣。」として「―の【粗垣の】〔枕詞〕神社の垣の内に入り難い意から、「ほか」にかかる。」(66頁)とある。
(注2)「荒掻き」は言葉的には田起しのことが想定される。田起しした後、水を入れて代搔きをする。代掻きしないでいてお田植え娘、早乙女が斎戒に入るというのはおかしい。田を均さないままに田植えをしても期待した収穫は望めない。代掻きの重要性については、河野1994.参照。
(注3)万葉集に「葦垣のほか」と訓む例があり、垣は隔てるものだから同じであろうとそれに倣って「荒垣のほか」と続け訓もうとする。これは言葉に対する感性が浅い。どうしてそこに「荒垣」となくて「葦垣」とあり、どうしてそこに「葦垣」となくて「荒垣」とあるのか検討されなくてはならない。拙稿「万葉集の「葦垣」の歌について」参照。
岩波古語辞典に、「ホカは中心点からはずれた端の方の所の意。奈良・平安時代には類義語ヨソは、自分とは距離のある、無関係、無縁な位置関係をいう。また、ト(外)は、ここまでが自分の領域だとする区切りの向うの場所をいう。奈良・平安時代にはウチ(内)・トが対義語であった」 (1190頁)とある。また、ナカについては、「原義は層をなすもの、並立するもの、長さのあるものなどを三つに分け、その両端ではない中間にあたる所の意。」(966頁)とあり、その対義語はホカなのであろう。
(注4)大浦2003.は、「「里人の言寄せ」というのだから共同体の「人言」によって保証された、公認の間柄にある妻のことである。つまり、人言が二人の関係の障害としてあるのではなく、二人の関係を保証するものとして歌われているわけである。」(170頁)、「恋の噂が共同体の人々の口にのぼったとき、事態は当人たちの意志や願望を離れて、運命・必然の力によって、一つの結末に向かって進み始めるのである。その結末とは、恋の破局という悲劇である場合もあれば、結婚という恋の終焉である場合もある。」(177頁)としている。当該歌から一般論を述べているようでいながら当該歌の各論に当たるものではない。
(引用・参考文献)
阿蘇1995. 阿蘇瑞枝「葦垣のホカに嘆かふ」『萬葉の風土・文学 犬養孝博士米寿記念論集』塙書房、1995年。
伊藤2009. 伊藤博訳注『万葉集三 現代語訳付き』角川学芸出版(角川ソフィア文庫)、平成21年。
岩波古語辞典 大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波古語辞典 補訂版』岩波書店、1990年。
大浦2003. 大浦誠士「万葉集の恋歌と禁忌─「人目・人言」をめぐって─」上野誠・大石泰夫編『万葉民俗学を学ぶ人のために』世界思想社、2003年。
河野1994. 河野通明『日本農耕具史の基礎的研究』和泉書院、1994年。
中西1981. 中西進『万葉集 全訳注原文付(三)』講談社(講談社文庫)、1981年。
日本国語大辞典第二版 日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞書編集部編『日本国語大辞典 第二版 第一巻』小学館、2000年。
廣岡2020. 廣岡義隆『萬葉形成通論』和泉書院、2020年。
加藤良平 2021.7.12初出