万葉集巻三の万249番歌は、「柿本朝臣人麻呂の羇旅の歌八首」(注1)の最初の歌である。「宣」という字があって「のる(告・宣)」の意であろうとされているが、いかんせん字数が足りずに難訓とされている。
三津埼浪矣恐隠江乃舟公宣奴嶋尓
御津の崎 波を恐み 隠江の 舟公宣奴嶋尓(万249)
この下二句について誤写を認めない形で、「舟公宣奴嶋尓」(岸本由豆流・萬葉集攷證、国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2570341/161)、「舟公はしも宣りぬ島みに」(武田1955.114頁)、「舟なる君は宣らす野島に」(大濱1956.63頁)、「船なる君は「奴島に」と宣る」(井手1993.44頁)、「船なる君は野島にと宣る」(伊藤2009.165頁)、「船なる君は宣らす野島に」(多田2009.229頁)といった試訓が行われている。
「のる(告・宣)」
万葉集に、「のる(告・宣)」と訓まれる例は、ノラク、ノラスといった変化形を含めれば五十例ほどある。仮名書きの場合以外は確かではないものの、そう訓まれると定説化している数である。動詞「のる」の形のものとしては「名」にまつわる例が非常に多く、二十一例(万1・1727・2139・2407・2441・2497・2531・2639・2696・2700・2747・3076・3077・3080・3177・3336・3339・3374・3488・3730・4011)を数える。また、海藻ホンダワラの古語、ナノリソと絡めて用いられる例が四例(万362・363・509・3076)あるのも顕著である。それ以外には、占いと関係する例が三例(万109・2506・2507)見られ、「のる(告・宣)」の本来の義と関連するからとも考えられている(注2)。他に九例(万1302・1303・1318・1740・1800・3285・3336・3425・3730)あるが、そのうち以下の三例では、「問へば(ど)」→「告る(らず)」、「告る(らず)」→「告る(りつ)」といった対応関係の下で用いられている。
…… 国問へば 国をも告らず 家問へば 家をも云はず ……(万1800)
…… 家問へば 家をも告らず 名を問へど 家だにも告らず ……(万3336)
恐みと 告らずありしを み越路の 手向に立ちて 妹が名告りつ(万3730)
これらの事情から考えると、「のる(告・宣)」という言葉は、発言するかしないかという前提条件を含めて捉えた言葉であると認められる。
「舟公」
「舟公」を「船なる君」と訓む例は、「舟人」を「船なる人は」(万1996)と訓む例を当てにしている(注3)。ただし、万葉集中、「舟人」(万1225)、「船人」(万283・1228・3627・4150)は、「布奈妣等」(万3349・3643・3658)同様、フナヒトと訓まれて圧倒的に多い。「舟人」を「船なる人」と訓みにくいとなると、万249番歌の「舟公」も「船なる君」とは訓みにくく、フナギミと訓まれるべきなのだろう。日本国語大辞典に「ふなぎみ」は、「①船長(ふなおさ)。②船中の主君。その船旅の長である人。……③水上の私娼。ふなまんじゅう。」(977頁)とあって、②には土佐日記の例をあげている。「舟公」を「船なる君」と訓む説でも、②の意と解して通釈を考えている。「「船なる君」が「野島」を指して「ヌシマ」と宣られたそのことばを、そのまま歌にして、「奴島」と書いたと解する方向もあるかと思う」(井手1993.50頁)とある。しかし、そうなると、船にいますしかるべき主君は、波浪を警戒して波の多少とも穏やかな江(注4)に入れてしのいでいる船において、ヌシマニと言っていることになり、はたして何を宣告しているかということになる。
筆者は、「舟公」について、②の船をチャーターしている偉い人のことではなく、①の船長、船頭のことを言っていると考える。当面の課題は、波浪警報下において何とか難破せずにおさめることである(注5)。だから「隠江」に漂っている。碇を下ろして動かないようにしていたのであろうが、風がきつくてままならず、船長は水夫に檄を飛ばしている。船長が船員に対して命令調で言っていることを「のる(告・宣)」という言葉で戯れ表している。強い口調で絶対服従を命じているからであり、「のる(告・宣)」という言葉が持つ意味合いから言葉は繰り返されていると考えられる。
船長の宣り言
三津埼浪矣恐隠江乃舟公宣奴嶋尓
御津の崎 波を畏み 隠江の 舟公宣りぬ 島に島にと(万249)
船長は慌てている。波が荒いから恐がって隠江に待機してみたものの、風が強くて碇が利かず流されていく。このままでは島に激突して船は壊れる。水夫よ、棹(注6)を持って島にぶつからないように支えよ、早くしろ、ほら島が近づいて来たぞ、たいへんだ、たいへんだ、島にぶつかる、島にぶつかる、と叫んでいる(注7)。海を行く船の航行において、船長、船頭が「のる(告・宣)」ほどのことは一大事である。たかが船長の地位にすぎないのだから、「出発、進行」の合図は「のる(告・宣)」ことには当たらないだろう。「のる(告・宣)」という表現が適当なのは、乗組員に対して宣告に等しい発声が緊急事態において号令されている時で、ものすごい勢いで命令していて、そのとき言葉はくり返されて発せられているものと思われる。船長が「のる(告・宣)」ことをしている状況は言葉自体で感覚としてわかることだから、原文筆記において「嶋尓」と略述してもくり返されていることは自明だったと見て取れる。
(注)
(注1)原文に「柿本朝臣人麿羈旅歌八首」とあり、「羈」は「羇」に通じるとして「羇旅」とすることが多いので従った。
(注2)『万葉ことば事典』に、「「のる」は本来、神の発話・託宣を意味する語と考えられ、その関連で……神意を表す「占」と結びついた用例も多くみることができる。記紀では、
大坂に 遇ふや嬢子(少女を 道問へば 直には告らず 当芸麻道(当麻道を告る (記七七・紀六四)
の重出歌に用例があり、ここにも託宣的な意味合いがよみとれる。「祝詞」「法」「詔」などの派生語も多い。」(325頁、この項、土佐秀里)とある。
(注3)秋雑歌
七夕
天漢水左閇而照舟竟舟人妹等所見寸哉
天の川 水さへに照る 船泊てて 船なる人は 妹と見えきや(万1996)
ただし、この歌には脱字説があり、「天漢水左閇而」は「天漢水底左閇而」とする鹿持雅澄・万葉集古義(国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1217218/44)の説がある。
能登河之水底并尓光及尓三笠乃山者咲来鴨
能登川の 水底さへに 照るまでに 御笠の山は 咲きにけるかも(万1861)
これに倣って次のようにも訓まれている。
天の川 水底さへに 照らす船 泊てし船人 妹に見えきや(万1996)
(注4)大浦1999.に、「万葉集において「コモリ+名詞」の形の連合表現には「隠り江」の他に
隠国の(枕詞) 隠り津 隠り妻 隠り処 隠り沼
などがあるが、いずれも下にくる名詞の表すものが、ひっそりと奥まったところにあり、人目につきにくいことを表しており、下にくる名詞の示すものに隠れる(「妻に隠れる」「沼に隠れる」など)意を持つと考えられるものはない。……「隠り江」は「入江の」の意で「舟」を修飾する連体修飾語となると考えるのが穏当である。」(226頁)とある。「隠り江」を波穏やかな入江でありつつ荒波を避けて隠れるところとする解釈は、二重の理解で疑問というのであるが、そうであろうか。
「隠り妻」は、人目に立たないところに妻が隠れているから人目につかないし、「隠り沼」は、沼が人目に立たないところに所在するから人目につかないのである。そのとき、当該の妻は他の男の手の付かない自分だけの妻であり続け、沼には開発の手が及ばずに水田に化けることもない。「隠り国」は「泊瀬」に掛かる枕詞である。国が隠れていてどうするのか疑問に思うかもしれないが、山懐に隠れていることで首都防衛に抜かりがなく、一方、そこは比較的標高の高いところに位置するから出撃する際には下り坂を進むことができ、すばやく騎乗して馳せ出る拠点たり得ている。ハツセという地名についてハッと馳せ出るところとおもしろがっている。二重の意味を含み持つことにこそ表現の特徴を認めるべき言葉づかいである。
(注5)稲岡1973.も、波浪に対しては一度発進したら他の島に上陸することは想定しにくいと考えている。ただし、その試訓は原文を誤写と見て、「宿る敏馬に〔宿美奴馬尓〕」としている。
(注6)棹の表現がないと考えるのは浅はかである。「宣りぬ」と言っている。ノは乙類である。同じノリ(ノは乙類)に海苔がある。「時に、浜浦の上に多に海苔〈俗、乃理と云ふ。〉を乾せりき。是に由りて能理波麻の村と名づく。」(常陸風土記・信太郡)と見える。ムラサキノリ、トリサカノリ、ヲコノリ、アマノリ、フノリなど種々ある。また、万葉歌ではホンダワラのことをいうナノリソ(ノ・ソは乙類)とも併用されていた。和名抄に、「莫鳴菜 本朝式に云はく、莫鳴菜〈奈々利曽〉といふ。楊氏漢語抄に云はく、神馬藻〈奈能利曽、今案ふるに本文未だ詳らかならず、但し、神馬は騎莫きの義とかむがふ〉といふ。」、允恭紀十一年三月条に、「故、時人、浜藻を号けて奈能利曾毛と謂ふ。」とある。食用だけでなく、藻塩焼きに利用された海藻ともされている。棹の先に鎌のついたものを使って採取していたと考えられ、地域によりメカリガマ、ワカメガマ、メノハガマなどと呼ばれている。ノリに棹は必定だと思われている。
(注7)「島に」上陸させろということは考えられない。航行において陸地を見ながら沖を進むときは安心していられるが、近づきすぎると思わぬ暗礁にぶつかって船は大破する危険がある。波が荒いときに無理して「島に」近づくことはない。
(引用・参考文献)
井手1993. 井手至『遊文録 萬葉集篇一』和泉書院、1993年。
伊藤2009. 伊藤博訳注『新版 万葉集一 現代語訳付き』角川学芸出版(角川ソフィア文庫)、平成21年。
稲岡1973. 稲岡耕二「万葉びとにおける旅」『国文学 解釈と教材の研究』第18巻第9号、学燈社、1973年7月。
大浦1999. 大浦誠士「羈旅歌八首」神野志隆光・坂本信幸編『セミナー万葉の歌人と作品 第二巻 柿本人麻呂(一)』和泉書院、1999年。
大濱1956. 大濱嚴比古「「舟公宣奴島爾」私訓─萬葉集結句中間切についての考察─」『山邊道』第2号、天理大学国語国文学会、1956年1月。天理大学学術情報リポジトリ https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/2870/
武田1955. 武田祐吉『萬葉集全講 上』明治書院、昭和30年。
多田2009. 多田一臣訳注『万葉集全解1』筑摩書房、2009年。
田辺2014. 田辺悟『磯』法政大学出版局、2014年。
日本国語大辞典 日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版 第十一巻』小学館、2001年。
『万葉ことば事典』 青木生子・橋本達雄監修、青木周平・神田典城・西條勉・佐佐木隆・寺田恵子・壬生幸子編『万葉ことば事典』大和書房、2001年。
宮下1974. 宮下章『海藻』法政大学出版局、1974年。
加藤良平 2021.8.12初出