記の歌謡に、コトノカタゴトモコヲバ(事の 語り言も 此をば)という慣用表現がある。記2~4歌謡は「神語歌」、記100~102歌謡は「天語歌」と命名されており、それらの名称と関連させてこの言辞が何を表すかについて解説されてきたもののいまだ定説を得ていない。本稿では、「事の 語り言も 此をば」という語り口については、その表現のツボである「此」に焦点を当てて検討する。記2・3歌謡では、イシタフヤアマハセヅカヒ(いしたふや 海人/天-馳使)という冠辞のある例も見られ、この語についても意見が割れているので後段で付言する。
八千矛の 神の命は 八島国 妻枕きかねて 遠々し 高志の国に 賢し女を 有りと聞かして 麗し女を 有りと聞こして さ婚ひに 有り立たし 婚ひに 有り通はせ 大刀が緒も いまだ解かずて 襲衣をも いまだ解かねば 嬢子の 寝すや板戸を 押そぶらひ 我が立たせれば 引こづらひ 我が立たせれば 青山に 鵼は鳴きぬ さ野つ鳥 雉は響む 庭つ鳥 鶏は鳴く 心痛くも 鳴くなる鳥か 此の鳥も 打ち止めこせね いしたふや 海人馳使 事の 語り言も 此をば(記2)
八千矛の 神の命 ぬえ草の 女にしあれば 我が心 浦渚の鳥ぞ 今こそば 我鳥にあらめ 後は 汝鳥にあらむを 命は な殺せたまひそ いしたふや 海人馳使 事の 語り言も 此をば
青山に 日が隠らば ぬばたまの 夜は出でなむ 朝日の 笑み栄え来て 栲綱の 白き腕 沫雪の 若やる胸を そ叩き 叩き愛がり 真玉手 玉手さし枕き 股長に 寝は寝さむを あやに な恋ひ聞こし 八千矛の 神の命 事の 語り言も 此をば(記3)
ぬばたまの 黒き御衣を ま具さに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも 此れは適はず 辺つ波 そに脱き棄て 鴗鳥の 青き御衣を ま具さに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも 此も適はず 辺つ波 そに脱き棄て 山方に 蒔きし あたたね舂き 染め木が汁に 染衣を ま具さに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも 此し宜し 愛子やの 妹の命 群鳥の 我が群れ去なば 引け鳥の 我が引け去なば 泣かじとは 汝は言ふとも 山処の 一本薄 項傾し 汝が泣かさまく 朝雨の ぎりに立たむぞ 若草の 妻の命 事の 語り言も 此をば(記4)
纏向の 日代の宮は 朝日の 日照る宮 夕日の 日影る宮 竹の根の 根垂る宮 木の根の 根延ふ宮 八百土よし い築きの宮 真木栄く 檜の御門 新嘗屋に 生ひ立てる 百足る 槻が枝は 上つ枝は 天を負へり 中つ枝は 東を負へり 下枝は 鄙を負へり 上つ枝の 枝の末葉は 中つ枝に 落ち触らばへ 中つ枝の 枝の末葉は 下つ枝に 落ち触らばへ 下枝の 枝の末葉は 蟻衣の 三重の子が 捧がせる 瑞玉盞に 浮きし脂 落ちなづさひ 水こをろこをろに 是しも あやに恐し 高光る 日の御子 事の 語り言も 此をば(記100)
倭の 此の高市に 小高る 市の高処 新嘗屋に 生ひ立てる 葉広 斎つ真椿 其が葉の 広り坐し 其の花の 照り坐す 高光る 日の御子に 豊御酒 献らせ 事の 語り言も 此をば(記101)
ももしきの 大宮人は 鶉鳥 領巾取り懸けて 鶺鴒 尾行き合へ 庭雀 うずすまり居て 今日もかも 酒水漬くらし 高光る 日の宮人 事の 語り言も 此をば(記102)
コトノカタリゴトモコヲバのコをめぐって
記2・3・4歌謡で歌っているのは、八千矛神と沼河日売である。ともにとても長い歌を歌っている。その長い歌の末尾で「事の 語り言も 此をば」と締めくくられている。橋本1986.は、「歌全体を一つの物として提示」(211頁)したものが「此」であるとする。指示詞の「此」は直近を指し、ここでは、いま歌にして歌ってきたその歌のことを言っていることになる(注1)。その際、「事の 語り言も 此をば」という修飾語句が挿入されている。事の次第、事情について、もし「語り言」として言うと仮定すると、その場合でもいま歌ってきた歌のようなものになるぞ、という意味である。記2歌謡なら、「此」が「八千矛の 神の命は …… 此の鳥も 打ち止めこせね」と同時に「いしたふや 海人/天馳使 事の語り言」にも当たっていて、二重に指し示していることになる。そのことは、実は「此」という言葉の意味合いを正確に写し取るものである。
「事の語り言」については、コトという語に事と言の二種を考えて殊更に述べ立てられることも多い。しかし、本来、コトとは、事柄でもあり言葉でもある。言葉は事柄をまさしくそのとおりに伝えるために編み出されており、同時に、言葉で発することでそのとおりの事柄になるように努めていた。言=事であるとする、ないしはそう志向する、というものの考え方に依っている。そうしないと無文字の社会は野放図になる。当時、言霊と呼ばれたのは、ヤマトコトバの同音異義語を含めて言=事であるとする原則に従うがために、不思議な影響力を持つと感じられたゆえであった。わざわざここで「事の語り言」としている。カタル(語)という動詞について、大野1968.は「語幹 kata は kötö と交替する。Kötö は「事」である。」(580頁)、岩波古語辞典は「カタはカタドリ(象)のカタ、型のカタと同根。」(303頁)、白川1995.は「形を与えて構成することをいう。」(232頁)と解している。当該の事柄について一定の形式を持った言葉に直したことを「語の語り言」と言っている。そういう「語の語り言」をしたとしても「此」のようなものだと、歌った最後に付け足して確認しているのである。
歌謡が終わってからの地の文で、当該の歌(物語)について、「神語」、「天語歌」と呼んでいる。これらの言葉が何を表すかも、神が人に語り歌う、人が神に語り歌うという正反対の立場に意見が分かれている。けれども、そもそも、神が人に語り歌う状況があったかよくわからない。「神語」と呼んでいるところを見れば、祝詞という形式はいかにも「語の語り言」としてマッチしている。型に合わせた言葉のつらなりであり、時々カシコミカシコミと定型句を差し挟みながら歌うように奏上している。といって、それを人が神に語り歌うことかといえば、そういう想定でというだけである。
形式に則っていくと言葉のつらなりが順調に進む。それが事柄を言葉で「語る」ということである。言葉に即してみれば、X1という言葉は自動的にX2という言葉を呼び起こすように思われ、さらにX2という言葉はX3という言葉を呼び起こすというように、Xnという言葉はXn+1という言葉を呼び起こしていくとするならば、事の次第を述べるのはたとえ長くなろうとも口が自然とそう動いていくから楽なことであり確かなことでもあって、事の次第を語るという事の次第は語っている言葉の中に内包されていることになる。むろん、長いから、ひょっとしたら細部には違いが生まれて「一書に曰はく」風の別伝が生まれているかもしれないが、全体として見て間違いではないし、外れてもいない。だから、「事の語り言も此をば」と言っている。
モは不確実性を示す助詞である(注2)。伝言ゲームに見られるように、伝達された内容は元のものと同じであるとは言えても、一言半句同じであるとまでは保証しきれないところがある。ところが、なかには暗記がとても得意な人がいて100%間違いがないこともあり得る。それがアマハセヅカヒであり、信頼の置ける使者として誉れ高いものだったのだろう。そこで、今べらべらと喋った長い文言について、本当のことだと念を押して強調したいがために取ってつけたように言い付けている。彼らを以てして事を説く言葉も、今歌い上げたのと同じようなものだと言っている。
指示詞のコについては議論が深められている。小田2015.に、「古代語の指示代名詞は「こ・そ・か」であるが、「か」「かれ」の確例は上代文献中、『万葉集』に各1例みえるだけである。(用例……[万4045・3565])。日本語の指示代名詞は、本来コとソの2系列だったと考えられる(山田孝雄1954.[『奈良朝文法史』宝文館出版])……。そして、コ系の指示代名詞は直示、……ソ系の指示代名詞は非直示を表した……。」(624頁)とある。指示代名詞コの用例に次のものが引かれている。
ひとり居て 物思ふ夕に 霍公鳥 此ゆ鳴き渡る〔従此間鳴渡〕 心しあるらし(万1476)
この歌については特に異論をはさむ余地もなく平明に説かれている。伊藤1996.に、次のようにある。
一首は、独り坐って物思いにふけっている夜に、時鳥がここを通って鳴き渡っていく。思いやりの心があってのことらしい。の意。私の物思いを慰めてくれるつもりで鳴き過ぎてゆくらしいというのである。この時鳥の声は一声なのであろう。「心しあるらし」はやや理屈っぽいが、時鳥の駆ける空の彼方に耳を傾ける作者の姿勢は窺われる。(514頁)
一声ホトトギスが鳴いたとされている。どこで鳴いたのかといえば「此」で、「ゆ」は通過地を示す助詞である。具体的に何をしたかといえば「鳴き渡る」をした。すると、鳴いたのはコであり、渡ったからユとなっているということとなる。伊藤氏の説明はしっくり来ない。一声鳴いたのではなく、鳴きながら作者が居るところを通り過ぎていったということではないのか。
指示詞コの用法として、現場に現前する「物」を指示していたり、歌の歌われている現場を指示すると考えられている。李2002.に、「上代語の「コ系」指示詞の基本形「コ」の用法は、いずれも正にその表現の現場において現前する対象を指示している意味において、現場に直結するものと言える。」(130頁)と解説されている。
万1476番歌でコと指示し、いまここにあるまさに当該の事柄をとり上げて言い表している理由は何か。換骨奪胎して散文化してみると次のように書くことができる。
ひとり居て物思ふ夕に、霍公鳥鳴き渡る。心しあるらし。
このように、コユを除いた表現でも、ホトトギスの鳴き声が聞こえて心の慰めになったと語ることができている。ホトトギスが近くを通ったことを言っているとしても、聞こえているのだから真近を鳴いて行ったことはわかるはずである。コユはなくても意を尽くしている。万葉集の他の例も示しておく。
卯の花の 過ぎば惜しみか 霍公鳥 雨間も置かず 此ゆ鳴き渡る〔従此間喧渡〕(万1491)
誰聞きつ 此ゆ鳴き渡る〔従此間鳴渡〕 雁がねの 嬬呼ぶ声の 羨しくもあるか(万1562)
雨晴れの 雲に副ひて 霍公鳥 春日を指して 此ゆ鳴き渡る〔従此鳴度〕(万1959)
聞きつやと 君が問はせる 霍公鳥 しののに濡れて 此ゆ鳴き渡る〔従此鳴綿類〕(万1977)
霍公鳥 厭ふ時なし 菖蒲 蘰にせむ日 此ゆ鳴き渡れ〔従此鳴度礼/許由奈伎和多礼〕(万1955/4035)
妹に恋ひ 寐ねぬ朝明に 鴛鴦の 此ゆかく渡る〔従是此度〕 妹が使か(万2491)
慰めて 今夜は寝なむ 明日よりは 恋ひかも行かむ 此ゆ別れなば〔従此間別者〕(万1728)
直に来ず 此ゆ巨勢道から〔自此巨勢道柄〕 岩橋踏み なづみぞ吾が来し 恋ひてすべなみ(万3257)
直に行かず 此ゆ巨勢道から〔此従巨勢道柄〕 石瀬踏み 求めそ吾が来し 恋ひてすべなみ(万3320)
コユと差し挟んで慣用表現となっている。記歌謡の「事の語り言もコをば」のコも慣用表現である。例えば記2歌謡は、「八千矛の 神の命は 八島国 …… 此の鳥も 打ち止めこせね」と歌ってきて、その歌を承けて「いしたふや海人/天馳使、事の語り言の如し」と言って「此をば」を略したとしても内容的には同じことになる。指示詞を使うことで現場感を強め、ライブで歌っている点を強調していることになる。
詞章として型式立てられ、「神語」(記2~4)、「天語歌」(記100~102)であると明記されている。「事の 語り言も 此をば」と常套句で締めくくられる歌の名称である。名称の意味については諸説あるが、詳細については(注8)に触れるにとどめる。いずれにせよ長い歌であるという共通性がある。その長い歌の本文を承けてコといい、事柄を正確に語る言葉も左様でございましょう、と言っている。正真正銘の伝承もきっとこのようなことでございますと言い添えている。
わざわざコとして指示する意味は再帰的に提示する点にある。再帰させることは、ただ再帰させることだけで、それ自体を際立たせて強調の意を示すこととなる。英語の再帰代名詞は、その点をよく表している。
I have a pen by myself.
この例では、リハビリ中の患者が手の麻痺が癒えて独力でペンを握っているという意味にも、また、支給された物ではなく自前のペンを持っているという表現にもなろう。
She was beauty itself.
彼女は本当に美しかった、ということを、美そのものであると大げさに表現して語っている。
History is itself.
歴史は繰り返す、と訳される例文である。一面の真理を突く皮肉な訳である。歴史とは事柄の経過に沿って時間を追いかけて話にすることである。時間はいつでも経過して行っているから、話しているうちにそれはただちに歴史になり、確実に真を語っていることになる。
美という概念それ自体を強調したり、時間の経過が続くことをそれ自体であると言いくるめてしまっている。まるで循環論法を正当化するように、言説がメタ言語を絡めとりながら行われている。
ヤマトコトバの上代語のコについても再帰する点で同じである。コととり上げることそれだけで、必然的に強意、強調の意を発揮している。「事の 語り言も 此をば」という決まり文句の指示詞のコは、再帰させることで強意の意を含んでいるであろうし、だからわざわざ倒置形で最後に「此をば」と言い放つ形となっている。
「此ゆ鳴き渡る」の場合も同様である。万葉集中で、類例のうちホトトギスの鳴き渡る例が六例、カリガネが一例、ヲシドリが一例となっている。「此ゆ鳴き渡る」鳥の種類にホトトギスがより選択的に選ばれている。ホトトギスの鳴き声について、万葉集に次のような例がある。
暁に 名告り鳴くなる 霍公鳥 いやめづらしく 思ほゆるかも(万4084)
卯の花の ともにし鳴けば 霍公鳥 いやめづらしも 名告り鳴くなへ(万4091)
自分の名を名乗って鳴いた捉えている。ホトトギスはホトトキなどと鳴いていると聞き做したのである(注3)。鳴き声が名前になっていて再帰語と言うにぴったりである。上代の人の機知、思考の性向としてこのような言葉づかいは好まれている。「此ゆ鳴き渡る」という言い回しとホトトギスとは親和する関係にある。
Unhappy myself, I understood what he meant.(私自身不幸だったので、彼の言うことがわかった。)
不幸な彼の境遇と似通うことがあったから彼の言っている意味がわかったのである。同じように万1476番歌に見える「此ゆ鳴き渡る」という慣用表現は、独居して悲しくナク(泣)存在としての自らと、ホトトギスの鳴くこととを重ね合わせた歌の表現である。自分が泣きたい気持ちであることを鳥が代弁するかのように、自分がいま居るコ(此間)を経由して鳴いて渡っていく。その感情と場所の交差地点が現在地コである。
万葉集の用字に「此間」とある。この点について、現在の注釈書では中国六朝時代の俗語的表現として片づけられている。そうではなく、万葉人が六朝時代の用字法をどういう気持ちでとり入れたか、それが問題である。「此間」とあれば、時間的な意味合いがあるのではないかと想定されるのに、直示を表すコ、非直示を表すソに、「指示代名詞がコとソとの2対立だった時代には、空間的・時間的遠近による指示代名詞の使い分けはなされていなかった。」(小田2015.624頁)のがヤマトコトバの事情である。比較対照する意味、つまり、空間・時間の意味で「間」という字が解されていたわけではなかった。「間」は文字どおり、アヒダ、マの意と捉えられる。直示行為とは、まさに手で取って浮かび上がらせることである。他と峻別して他を排除して、いまここに現前しているものばかりにスポットライトを当てて注目させている。まわりには何かがあり、いつかがある。そのまわりについては無視して忽然と浮かび上がらせるわけである。むろん、光の当たらない陰の部分に左右や先後が控えていて、そのアヒダ、マに位置していることは暗黙のうちに了解している。だから経由を表すユという助詞を伴っていて理解される。
以上をまとめる。指示詞コは、再帰性を表して、現況の優位性のためにいろいろ言い含める言葉として成り立っている。生々しさを強調するために言わずもがなの指示をしている。それがコである。自分が所在する現場において現前する対象は、元来は特に指示するも何もない。わかりきっている。現場、現前するものを直示することは、必然的に循環的な再帰性を帯びる。結果として意図的に他の人に伝える形となる。枠組みを構えて括弧で括り、他の人にも了解できるようにする。初めて聞いた人でもコとあれば、話し手の目の前にあること、あるものとフレームづけが行われる。自分の手元に意識がハタと回帰して、それだけで脈絡が発生し理解することができる。裏返して言えば、いま・ここにいる自分、という自己意識の芽生えを発露するのに、コという指示詞は、好むと好まざるとにかかわらずよくマッチしているのである。その点、コはうぬ惚れの指示詞と呼ぶことができるのかもしれない。記4歌謡中の、「此をも適はず」、「此し宜し」の用例は、まさにその意にかなっている。青い衣や染め衣を身にまとった時の自分の姿を見て感想を述べている。鏡に写った像を自分のものとみなして良し悪しを判断している。自分の姿を自分の目で見て良いか悪いか決められるのは自己の意識があるからである(注4)。反対に、いま・ここにいる自分が定かでなくなった時に発する言葉は、「ここはどこ? 私は誰?」である。現存在の焦点がコである。
アマハセヅカヒとは
次に、アマハセヅカヒについて検討する。今日まで、アマハセヅカヒは天馳使か海人馳使か議論が二分している。その前のイシタフヤは枕詞であるとする点はみな賛同しているが、アマハセヅカヒという言葉が定まらないので掛かり方もわからないままである。天馳使に掛かると見て、イ(強意の接頭辞)+シタフ(慕ふ)+ヤ(間投助詞)と考える説、海人馳使に掛かると見て、イ+シタ(下)+フ(経)+ヤと考えて海人を導いているとする説が提出されている。また、このイシタフヤアマハセヅカヒを歌詞のなかに組み入れるか、それともコトノカタリゴトモコヲバの序と考えるかという問題もある。
本居宣長・古事記伝では、「言通はす使を、虚空飛鳥に譬へていへるにや、」(国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/933884/1/8)と天馳使説をとっている。折口信夫・古代研究・国文学篇では、「海人部の上流子弟で、神祇官に召された者が、海部駈使丁であり、」(国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1449506/1/135)と海人馳使説をとっている。
天馳使説には、記2・3歌謡に鳥の形容が頻出するからその一種であると考える向きもある。その場合、「八千矛の 神の命は …… 鳴くなる鳥か 此の鳥も 打ち止めこせね いしたふや 天馳使」(記2)、「八千矛の 神の命 …… 後は 汝鳥にあらむを 命は な殺せたまひそ いしたふや 天馳使」(記3)までを歌の詞章と捉えている。「事の語り言も 此をば」で終わる歌の中でイシタフヤアマハセヅカヒと出てくるのは、歌の中で鳥が盛んに歌われているものに限られるから正しいと主張する。しかし、後付けの講釈のように思われる。アマハセヅカヒは何鳥なのか、該当する種を指し示さずにそこだけ抽象的に言うとは考えにくい(注5)。
使者が天を行くと上代人が想念していたとは必ずしも確かめられない。
雉の頓使(記上)
天飛ぶ 鳥も使そ 鶴が音の 聞えむ時は 我が名問はさね(記84)
み空行く 雲も使と 人は言へど 家苞遣らむ たづき知らずも(万4410)
これらの類例によっても筆者は不十分と考える。第二・三例目に、「鳥も」、「雲も」と不確定、非限定、仮定的を表す助詞モが下接している。「鳥」や「雲」は「使」者とはいえないと言外に表明してしまっている。天を行くものが使者であるかのように比喩で譬えることはあっても、それ以上のことではない。第一例については、「雉、名は鳴女を遣はすべし」として天若日子のもとへ派遣されたという話のなかで語られる笑い話である。「亦、其の雉還らず。故、今に、諺に「雉の頓使」と曰ふ本は是ぞ。」と締めくくられている。キジは飛翔が得意な鳥ではない。低空をまっすぐ駆けるように飛ぶことはあっても、上空を旋回したり、鋭角に方向転換する技は持ちあわせていない。だから、行ったきりで、鳴かずば撃たれまいのにキーキー鳴いてうるさがられて撃たれてしまい、還らない役回りを演じている。使えない使者として登場させられている。役どころとして雉は配置されているのであって、使者としての利用価値は最初から誰も期待していない。鳥は使者として不確かな存在である。
死者が鳥のようにゆくと考えていたことは、景行記の倭建命が亡くなってから「白鳥」(景行紀四十年是歳)、「八尋の白ち鳥」(景行記)となって飛んで行ったという説話に知られている。また、「天鴿船」(神代紀第九段本文)という形容も見られる。ただ、それも、使者が空を飛んだという事実や譬えに直接結びつくものではない。ハトを船の形容に用いているのは、波止場に繋留されている船が潮汐や波の影響で上下する様を、木の枝にとまるハトの大きく上下する様に見立てたからであろう。ハトだから波止場である。使者が天を駆け抜けるのだという形容は伝書鳩によるのであるとすることも可能ではあるが、それをアマハセヅカヒと称したとは思われない。なぜなら、無文字時代に伝書鳩がいてもあまり役に立たないからである。魚群を見つけたら「○」、見つからなければ「×」の木札をつけて沖合の船から陸に向かってハトを飛ばすようなことはできたとしても、記2・3にあるような長い詞章を文字なしに「伝書」することは不可能である。
他方、地上を行く使者とする考え方としては折口信夫・万葉集講義がある。万4328番歌の左注「助丁丈部造人麻呂」の解説として、「……丈部ははせつかひべと言ふ名の如く、駈使の役に仕へる者で、鹵簿の前駆か、さなくば、駅伝或は貢進の事に預る家筋であらう。丈の字、又、杖の字を書くのは、駈使丁として、しるしの杖を持つて居たからであらう。」(69頁)とする。また、西郷2005.に、「歌がらから見て、アマハセヅカヒは妻問いの旅に八千矛神と行をともにしているもののいいであるはずで、その従僕が海人馳使に他ならぬと私は考える。海人部を宰領する安曇氏は、食膳のことにあずかる内膳司の長官だが、令の規定によるとその下に馳使丁二十人が配されている。(……とくに馳使丁を置くのは、……宮内省の被官諸司に限られている。それはこの省が諸国の調、雑物、官田の出納や諸方の口味事を掌ることに関連する。馳使丁は、使部や直丁が宮内の使をするのとは違い、山野に馳使するもののいいで、内膳司のそれは当然、諸国の海人部から徴されていたはずである。「令義解」職員令の条参照。)この馳使丁が宮廷の宴席にまかり出て海人馳使の名のもとに八千矛神の従者の役をつとめるというのは大いにありうることではなかろうか。」(100~101頁)とある。
筆者は、西郷氏ほかの言うようには、アマハセヅカヒは八千矛神に随伴しているとは考えない。イシタフヤアマハセヅカヒという言葉が単に言葉として冠されているに過ぎないからである。折口氏の指摘する「丈」の字を駈使丁の持つしるしとする説は成り立たないだろう。杖を携えて往来したことによるとする説もある(注6)が、馬を走らせるときには「杖」(鞭)を使ったら速かろうと想念されてそのように記されたのだろう。「丈」が「杖」の通字である意味はむちうつの意であり、しかもそれをハセと訓んでいる。しるしを持っていて馳せることを示すとは言えず、公的なしるしは駅鈴であった。
消去法的に考えて、イシタフヤアマハセヅカヒは海人馳使の意である。海人であれば海を渡ることに通暁していて速達便で遠くまで伝達する使者役にかなう。いわば海の駅制を示した物言いである(注7)。
すなわち、イシタフヤとあるのは、イシ(石)+タフ(塔)+ヤ(間投助詞)のことを言っていて、常夜灯の灯台に当たる。潮風に当たっても保たれるように石製で作られた。海人のメッセンジャーは、その灯台を頼りにしながら伝達していった。文字はないからすべて暗記してその暗記した言葉を伝えた。早く行けば行くほど忘れることが少なく、より正しく伝えられる。夜通し航海を続けるほどに迅速に進んで、確かな情報を一言半句誤らずに伝える人であると言い表すために、イシタフヤアマハセヅカヒという句がおまじないの言葉のように被さっているのである。
記2・3歌謡で「石塔や 海人馳使 事の語り言」という句が置かれているのは、第一義的には、いま言ったことが聞いたことと同じで、まさしく当該のことであると形容するためである。そのうえで「語り言」と断っている。カタルという語は、「出来事・事件・行為の一部始終を言葉にすること」(大野1968.580頁)(注8)である。事柄の要約として正しいといったレベルではない。逐一言葉にして表してしまう棒暗記の達人の言があるとするなら、それに限りなく近いと主張することになっている。もちろん、歌っているのは八千矛神やそれに応答する沼河日売である。暗記に長けた無文字時代の伝言人、海人馳使が代弁しているのではない(注9)。ふつうの人が覚えてきたとおりに一生懸命に歌う歌の文句について、ちっとも間違っていないと言い張りたいから「石塔や 海人馳使」と頭に冠し、長々と歌ってきたことが正しい伝達であると訴えようと言葉を挟んでいる。記3・4番歌の言葉に単音節のコやモが選ばれて、自己完結的、自己循環的な言いっぷりになっているのも、発言(発語、発声)の正しさを即時的に唱えて絡めとろうとしてのことである。上代歌謡の特徴を示す好例といえる。
(注)
(注1)「事の語り事も 此をば」の「此」について、いま歌われた歌の歌詞のことではないとする説もある。青木2015.に、「是[(此)]の指示内容を一首一首の歌詞に限定すべきではな」く、「〈問答〉として展開する「語り言」を指示する語としての「是をば」のあり方を認めてよいのではないか」(174頁)とする考え方も提案されている。「事の語り言」=「是[(此)]」とするという説に基づいている。しかし、指示詞コは現前性を有する。「事の語り言も 此をば」のコが、現前していない「事の語り言」という一般概念を指すことはない。もし想定するような事情を言うのであれば、「事の語り事も 如此は」のようになるだろう。
新編全集本は、「「此をば」の「此」は妻問いのことを指し、「事を伝える語り事でも、このことを歌と同じように伝えています」の意。歌ってきた内容について、古い伝承を踏まえていることをいい、その真実性を保障する言葉。」(87頁)としている。「事の語り言も 妻問ひをば(伝ふ)」という意味にとっているのであろうか。「此」は妻問い一般のことなのか、今回歌われた歌の詞なのか、それらをドッキングさせた文章なのか、「(妻問ひハ)事の語り言(ニ)も 此をば(伝フ)」の約とするのか不明である。いずれの解釈も指示詞コの意を汲んでいない。「此」はいま歌った歌の詞を指していると考える。
(注2)大野1993.に次のようにある。
み空行く雲も使ひと(万葉四四一〇)
庭も静けし(万葉三八八)
これらのモは命題の題目を提示しているが、題目は単独でも確定したわけではなく、他にも同類のものが存在することを裏に含めた題目の提示で、松下大三郎[『改撰標準日本文法』中文社、1930年。(紀元社、昭和3年。国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1225783/)]はこれを「合説」と名づけた。しかしそれは現代語のモを中心に見た見解で、古典語のモを見ると題目をそれだけと限定・特定しないだけでなく、不確定として提示するところに特質がある。たとえば次の例は、単に合説というだけでは理解できない。
其の葉も枯れず(万葉四一一一)
せむすべも無し(万葉八〇四)
雨も降らぬか(万葉五二〇)
浜の沙も吾が恋にあにまさらじか(万葉五九六)
逢ふこともあらむ(万葉三七四五)
これらは、「其の葉なども」「なにもするすべも」「もしできるなら雨でも」「たぶん浜の砂ですらも」「もしかしたら逢うことも」の意を表わすものである。つまり、モもまた題目を提示するのであるが、松下が合説というような併立肯定の例は上代にはむしろ少なく、上代ではその題目は、不確定、非限定、仮定的なものであり、他に多くのものが潜在的に存在する中からの不特定の例としての提示であることの方が多い。(63~64頁)
万4410番歌は後述するが、仮定的な言い方であって実際に「み空行く雲」が「使ひ」であることはない。譬えのための仮定である。なお、上代語のモについての正しい理解の嚆矢は工藤1963.であるらしい。
「事の語り言も」のモの意味について諸説に誤解がある。相磯1962.に、「「も」は、「この鳥も」の「も」で感動の助詞で、「よ」の意。」(15頁)とし、「海人部の馳使の者の語り伝える物語。これをばお伝えしますぐらいの意。」(16頁)とする。山路1973.は、「モは強意の助詞。」(11頁)とする。そして、「コトのカタリゴトは、言であって、語り言であるもの、(ノは、コトとカタリゴトとが同格であることを示す助詞。)すなわち、語り伝えた言葉。……「是をば」(バは、指示の助詞ハの連濁)は、反転して、「いしたふや─ことのかたりごと」を指示する句。(コは、前出の語を指示する代名詞。ヲは、対象を示す格助詞。)」(10~11頁)としている。土橋1972.は、「事の語り言として、このことを申し上げます、の意。」(27頁)とし、モについては触れられていない。西郷2005.にも、「事の 語言も是をば 歌いおさめの文句で、事はこのような次第でござるという意。カタリゴトとあるのは、聞き手を予想し、一つの事件をうたっているからで、現にこの歌はこれだけで終らず次の歌へと続き、以下三首にも同じ文句がついている。」(101頁)とある。モについての解説は省かれている。
古事記注解は、「歌に対して「かたりごとも」と並べる意にとることができる……。「事を伝える語りごとでも、このことをば(同じように伝えています)」というわけである。……話は語り伝えられてあり、それをふまえて歌っているのだという意味で、歌を保障していると見ればよい。その話のなかの人物の心を、なりかわって歌う歌は新しいものということができる。」(145頁、この項、神野志隆光)とする。「こ」の内容は妻問いのことと取っているようであるが、「事の語り言も 如此は」としていない点に思い及んでいない。
真にヤマトコトバを探求する姿勢があるのなら、「事の語り言も此をば」という言説が、「事の語り言は此をば」とはならない理由に思いを致さなければならない。コは現前性を示した。対して、「事の語り言」なるものは実際に行われてあるのだろうか。「語り言」は語られてはじめて語りごとである。その事実をひっくり返してみせているから、仮定性を示すモが使われている。さらに、コという原初的名称づけの現場とは、言語とメタ言語の操作が可能になった言語活動の原点となった局面であって、そのことを振り返らせてくれる場である。(注8)参照。
(注3)ホトトギスは、「ホト」→「トギ」と間髪を入れずに鳴き交わす声を表すと上代の人たちは戯れに聞き做していた。拙稿「万葉集のホトトギス歌について」参照。
ホトトギス以外のオシドリとカリガネの例について付言する。オシドリの様子は紀に歌として詠まれている。
山川に 鴛鴦二つ居て 偶よく 偶へる妹を 誰か率にけむ(紀113)
つがいが仲良くしている様を言っている。オシドリは二羽ずつ並んで湖畔を泳いでいる。鏡像のようである。鏡があるということは、己の姿を見ることができるということで、自意識の芽生えを促すことになる。
万葉集中に「かりがね」という言葉が使われている。カリ(雁)の鳴き声を表すのが十三首、カリ(雁)の個体を表すのが二十四首を数えるとされる。ガン類は鳴き声がよく通る。だから、カリガネ(カリ(雁)+ガ(助詞)+ネ(音))と名に負っている。自己循環的に説明した名称なのだから、カリガネという生き物は自分の姿を自ら知っている自意識に目覚めた存在であろうと理解されたようである。
(注4)ジャック・ラカンに、「〈わたし〉の機能を形成するものとしての鏡像段階」宮本忠雄・竹内迪也・高橋徹・佐々木孝次訳『エクリⅠ』(弘文堂、昭和47年)が論じられている。
鏡に映った自分の像を自分のものであると理解するのはヒトだけではないと報告されている。ボノボ、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンなどは、鏡に映った自分の姿を見て、見えない部分まで見ようと体をくねらせている。そのほか、動物園にいるアジアゾウの何頭か、そしてカササギがなぜか鏡映像を理解しているサインを発しているという。他個体が自分を見るように自己を見る能力を示しているのである。自己意識の発生を物語っている。
(注5)青木 1962.に、「八千矛神から「この鳥も、打ちやめこせね」と依頼され、一方沼河比売から「命は、な殺せたまひそ」と歎願されてゐる、問題の「いしたふや、あまはせづかひ」とは、一体何者であるか。……人の使となって天を馳せ、諸鳥を捕り殺すことの出来る鳥と言へば、鷹とか隼とかが頭に浮かぶ。……問題の「いしたふや、あまはせづかひ」も、このやうな鳥を捕る猛禽の擬人化された形と考へればよいのではないか。」(52~53頁)とする。飼っている鶏を鷹に襲わせる酔狂な行事があったのであろうか。
修正された考え方に、例えば青木2015.がある。「この〈鳥〉のイメージが「天馳使」まででとどまっているならば、歌の文脈とそうかかわってこない。〈鳥〉の重要性は、沼河比売の答えが鳥と深くかかわってなされ、後の「日子遅神」の歌が〈鳥〉の比喩として表現されてくるからである。〈鳥〉のイメージは、以下の歌の文脈に重要な影響を与えている。」(167頁)とある。文脈を深読みするという発想は、近代の、ないしは大幅に譲って中古の、文字文芸からしか生まれ得ないのではないか。口頭でのみ行き交っている無文字歌謡に、文脈という捉え方は拡張できない。覚えていられる範囲のいっぱいいっぱいのところを「此をば」と現前のことを表す助詞で示していた。鳥だから「天馳使」の意であるはずだとする捉え方が安直にすぎることはすぐ後に述べる。筆者は、記2・3歌謡の前半とにのみイシタフヤアマハセヅカヒが載らない事実については、海人馳使→天馳使の転用的洒落に基づくものと考える。音の共通性をもって、歌詞に登場する鳥から連想されるのは「天」だから、そういえば、アマハセヅカヒのことだった、そうだったということで、カタリゴトモコヲバに冠していると考える。万葉集にも、鳥が伝えることはあるのだろうか? と疑問符付きに歌われたり、鳥が伝えることがあったらいいね、と願望的に歌われるだけで、実態として「天馳使」は想定しえないのだから、洒落でしかなく特に意味はないと考える。
天若日子の殯の場面でも、「……河鴈をきさり持と為、鷺を掃持と為、翠鳥を御食人と為、雀を碓女と為、……」(記上)と、具体的な例示が行われている。記2歌謡の「鳴くなる鳥」、「此の鳥」とは、「鵼」、「雉」、「鶏」のことを言っている。具体的な鳥ばかり出てくるなか、「天馳使」を奇怪な鳥として登場させられても困るのである。
居駒2003.では、鳥とは無関係に天馳使説が唱えられている。「<あまはせづかひ>は「天馳使」の意であり、<よばひの使>という物語人物として考えられる。「天馳使」については、「天馳・使」ではなく「天・馳使」という語構成で考えるべきであろう。……「馳使」の名称は<よばひの使>の役割に由来すると考えられる。……その神話的表現が「天馳使」であった。」(193~194頁)と結論づけている。他に例の見えない人物を架空されても、了解のしようもなければ反証のしようもない。
(注6)「丈(杖)」が使いのしるしではない点は、「玉梓の」という枕詞が「使」に掛かっていることからもわかる。「玉」と形容されるほどの梓の木を杖にして使者に立つことがあった。対して、ただ「丈」とのみ述べるものは特別な装飾を施しているわけではない。いくらでも取り換えが可能な実用品であり、証拠の品にはならないだろう。
(注7)海の駅制についてはまったく明らかではない。坂本1989.に、次のようにある。
水駅の問題は、甚だ不可解である。その制度は、立派に厩牧令に、
凡水駅不レ配レ馬処、量二閑繁一駅別置二船四隻以下、二隻以上一、随レ船配レ丁、駅長准二陸路一置、
と規定せらるるけれども、実際の活動に至つては明かならぬ。第一、その名は、国史の記事や、格や、式やに、遂に一回もあらはれぬ。僅に、山郵の対句として詩に配され、似もつかぬ踏歌に関係した言葉となつてあらはれる位のものである。その性質の如何、位置の如何、悉くの問題は、簡単には明らめ難い疑問の中にある。(61~62頁)
唐制との比較検討から、水駅について河水を上下する船の継場であるのではないかと検討している。筆者は、イシタフヤという枕詞が「石塔や」の意味で、常夜灯の灯台であると捉えている。法制上や史書に明示されず、考古学上からも明証されていなくとも、語学的検証からは確かであると考える。
(注8)岩波古語辞典は「カタはカタドリ(象)のカタ、型のカタと同根。」(303頁)、白川1995.は「形を与えて構成することをいう。」(232頁)と解している。語源については定められないが、語意としては、イフ(言)が単なる発声、素朴な言語化であるのに対して、カタル(語)は順序立てが伴っているとされる。あるフレームにしたがって語り手の頭の中で再構成させていると理解できる。したがって、それ自体が循環的な物言いなのである。ここではそれをさらに「事の(語り)言」と明言していて、言語構成の袋小路事情を際立たせている。袋小路に見舞われている場は、コ(此)が最もふさわしい。さらにその表明を導く序として、「石塔や 海人馳使」とてんこ盛りに形容し、わざわざ感を醸している。歌の中に、言語表示部分とメタ言語表示部分があることを明らかにしてくれている。カテゴリー錯誤の洒落を味わうことが求められる。ライル1987.12~13頁に、「大学」についての有名な例がある。ここでは、東森2015.に紹介されている英語のジョークを引いておく。(無文字時代の言語のカテゴリー錯誤が理解できるように、クイズ的ななぞなぞ仕掛けのものは示さない。)
What two things can you not eat for breakfast?
Lunch and dinner!
具体世界で breakfast において食べるもの、食べられないものを探すとき、two things に ham や egg などを挙げるのと、言葉世界で breakfast と同類のものを探すのとの違いを楽しめるかどうかは、頓智の才があるかどうかにかかっている。メタ言語を示すのに一つの文にまとめてしまうこともあるが、複文に構成される傾向があるようである。東森2018.に載る二例を示す。
Television is a medium because well-done is rare.
Middle age is when your age starts to show around your middle.
ジョークが理解されやすくて楽しみやすい場とは、言葉が複数の人の間でやり取りされる即興時である。用例に感嘆符が付いている。うまいジョークはもっぱら話し言葉の場にある。言葉が人々の間で説明する力を得たときとは、言語が体系として組織立てられたときであり、まさに同時に言語とメタ言語の操作が可能になったときである。それはまた、言葉が、互いにやり取りされてはじめて、結果として浮かび上がってくるものであることも意味している。コミュニケーションのためのシンボルとしての機能を持つ言葉の駆け引き的な使用によって、人間は経験をやり取りすることができ、他者の経験を自己の経験として利用することが可能となっている。コミュニケーションがコミュニケーションとして最も力強さを持つのは、それが互いにやり取りされる現場であろう。今日でこそ、通信情報システムの発達によって文字的なやり取りに現場性があらわれているが、限られた短い文をやりとりすることが多く、話し言葉的なものである。
Transaction に見立てた言語への洞察は J・デューイに早く行われている。デューイの言語理論として最適な論考は、John Dewey and Arthur F. Bently, Knowing and the Known, 1945,1960/1975reprint,Greenwood Press. (Dewey1989.所収)であるらしい。本注は、松下1999.、藤井2010.による解説に負っている。デューイがコミュニケーションを相互行為(interaction)としてよりも、取引行為(transaction)と捉えたことは意義深い。コミュニケーションの動的な側面、反応が人により、また時によりさまざまに変化しながら協同的活動となる点がよく理解できるからである。話にジョークのセンスを込めておもしろがられる域に到達させることは、商売のうまい人が transaction に巧みな手練手管を使っているのと同じことである。店頭販売員の口車に乗せられて商品を購入することがあるが、商品そのもの(言語という次元)を買っているのではなく、商品を宣伝する文句や実演(メタ言語の次元)、さらには販売員と客とサクラの居合わせるその場の空気感(メタ・メタ言語という次元)にお金を支払っているのである。
「神語」、「天語歌」とは、transactional な性格を示そうとして、自らの発語を括弧で括ってメタ言語メッセージ「事の 語り言も 此をば」を付け加えて提示したものであるといえる。歌の内容ばかりか歌の歌い方までも、歌うほどにカタル様相を表そうとしている。これは、地口と呼ばれる表現手段の一つのタイプと目される。小松原2015.は、文末表現の付与によるフレーミング効果について論じている。
[以下の](7)(8)のような文末表現が言葉遊びにしばしばつけ加えられることは、言葉遊びの発話の第一義的な目的が、意味内容の伝達ではないことを示唆している。この種の文末表現は発話の真剣味を弱める機能をもっており、発話内容の情報価値が低いということを示しているといえる。
(7)缶詰をバッグに詰めたりして、缶詰になる準備をするほかない、なあんちゃって。
(8)あの子の私服姿にみとれてしまって至福の瞬間、みたいな。
ことば遊びは “遊び” の一種である。滝浦(2002, 2005)はこの点に注目して、言葉遊びの中では「『これは遊びだ』というフレーミングが可能でなければならない」(滝浦 2002:91)と述べている。(7)や(8)における「なあんちゃって」「みたいな」といった文末表現は、そのようなフレーミングの標識としての役割を担っている。……言葉遊びは、対話者の間で “遊び” として了解されているにも関わらず、文字通りの情報伝達的な意味内容を保持しているという特徴をもっている。言い換えると、言葉遊びは、遊びであるにも関わらず、情報伝達という目的も放棄していない。(36~37頁)
「なあんちゃって」や「みたいな」は、英語表現では just joking, it’s like, といった言葉を付与するのであろうか。八千矛神や沼河日売の歌でありながら、彼や彼女は「事の 語り言も 此をば」という「なあんちゃって」表現に徹している。歌の中身の鳥表現が諧謔にすぎているように感じられるのはそのせいである。これは、滝浦2002.も指摘するとおり、人間のコミュニケーションに現れるかなり高度なフレームである。さらにそのフレームに、枕詞「いしたふや」が「石塔や」の意から「海人馳使」に懸かって序となって被さっている。どこまでも“遊び”である。
なお、記の「事の 語り言も 此をば」付加表現の歌謡の応酬は、滝浦2002.同2005.が挙げている「ことば遊び」の型の、「即興型」、「技巧型」、「ゲーム型」のうち、「即興型」に属すると考える。小劇場の演劇が演出過多になっていて、役者の台詞が真に迫りすぎて滑稽なレベルに至った様相とよく似ている。俳優は決して噛むことなく、大見得を切ってドラマを演じ切る。どこまでも閉じた小劇場のなかで、現場に現在し現前するように(実際にはあり得ないことをアドリブを交えながら)真に迫ってまくし立てている。オーディエンスを巻きこんだ大芝居としての transaction なのだから、そんなメタ・メタ言語活動は、「神語」、「天語歌」としか評し得ないであろう。
(注9)新編全集本に、「何らかの鳥を使者に見立てたもの。鳥に向って、沼河比売に自分の気持を伝えてくれというのだが、戸一枚で隔てられた相手を前にして、鳥に伝言を託そうというのは、大袈裟な物言いによる諧謔的表現である。」(86~87頁)とある。あり得ない解釈である。その理由はこれが話だからである。話は、八千矛神と沼河日売との間でなされている形をとりながら、現実には、例えば稗田阿礼とその周りにいる聞き手との間で執り行われている。それを言語という。具体的に何の鳥かわからない示し方では聴衆に伝わらないし、大袈裟な諧謔表現もおよそ伝わるものではない。断りとして珍鳥がいて男女の間をとり持っているのだという説明もない。求婚において媒を立てることは確かに行われていた。神武記や景行記、その他の記事に使者が立てられており、使者の名前も記されている。この記2・3歌謡にはそのようなことに触れられることがない。
此の八千矛神、高志国の沼河日売に婚はむとして幸行しし時に、其の沼河日売の家に到りて、歌ひて曰はく、(記2歌謡の前)
爾くして、其の沼河日売、未だ戸を開かずして、内より歌ひて曰はく、(記3歌謡の前)
他の媒の項に必ず書いてあるものが書いてなく、直接法で「歌曰」と書いてあるものは媒も不在である。謎の鳥類に比定することはできない。聴衆がわからないことはわからないから次に伝わらない。伝わってきて稗田阿礼が話していて、太安万侶が書き留めている。その状況から外れる深読みは間違いである。空中を飛び交う音声言語で理解し切れないことは、無文字時代において次に伝わることはなく、記録されて現在まで残ることもない。
(引用・参考文献)
相磯1962. 相磯貞三『記紀歌謡全註解』有精堂出版、昭和37年。
青木1962. 青木紀元「「いしたふや、あまはせづかひ」異見」『香椎潟』第8号、1962年12月。(『日本神話の基礎的研究』風間書房、昭和45年。)
青木2015. 青木周平『青木周平著作集 中巻─古代の歌と散文の研究─』おうふう、平成27年。
居駒2003. 居駒永幸『古代の歌と叙事文芸史』笠間書院、平成15年。
井手1952. 井手至「万葉の指示語─「その」について─」『萬葉』第五号、昭和27年10月。萬葉学会ホームページ https://manyoug.jp/memoir/1952
伊藤1996. 伊藤博『万葉集釈注 四』集英社、1996年。
岩波古語辞典 大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波古語辞典』岩波書店、1974年。
大野1968. 大野晋「日本語の語源についての二、三の覚え書」『上代文学論叢─五味智英先生還暦記念─』桜楓社、1968年。
大野1993. 大野晋『係り結びの研究』岩波書店、1993年。
小田2015. 小田勝『実例詳解 古典文法総覧』和泉書院、2015年。
折口信夫全集 『折口信夫全集1─古代研究 国文学篇─』中央公論社、1995年。
折口信夫・万葉集講義 折口信夫『折口信夫全集7─万葉集講義・日本古代抒情詩集─ 万葉集2』中央公論社、1995年。
金沢2012. 金沢英之「『古事記』三重の采女の歌─アメ・アヅマ・ヒナの位置づけを中心に─」神野志隆光・芳賀紀雄編『萬葉集研究 第三十三集』塙書房、平成24年。
烏谷2020. 烏谷知子「神語から天語歌へ」『学苑』第951号、2020年1月。昭和女子大学学術機関リポジトリ https://swu.repo.nii.ac.jp/records/6860(『上代文学の基層表現』花鳥社、2025年。)
工藤1963. 工藤美紗子「「も」という助詞の意味」『文学』第31巻第12号、1963年12月。
古事記注解 神野志隆光・山口佳紀『古事記注解4』笠間書院、1997年。
小松原2015. 小松原哲太「言葉遊びであることへのメタ言語的言及」『語用論研究(Studies in Pragmatics)』第17号、2015年。神戸大学学術成果リポジトリ https://hdl.handle.net/20.500.14094/90008851
西郷2005. 西郷信綱『古事記注釈第三巻』筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2005年。
坂本1989. 坂本太郎『古代の駅と道─坂本太郎著作集第八巻─』岩波書店、平成元年。
白川1995. 白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
新編全集本 山口佳紀・神野志隆光校注・訳『新編日本古典文学全集1 古事記』小学館、1997年。
鈴木2025. 鈴木雅裕「「ことの かたりごとも こをば」攷─系譜と距離を持つ〈声〉─」『古代文学』64、2025年3月。
滝浦2002. 滝浦真人「ことば遊びは何を伝えるか?─ヤーコブソンの〈詩的機能〉とグライスの会話理論を媒介として─」『日本語科学』第11号、国立国語研究所、2002年。国立国語研究所学術情報リポジトリ https://doi.org/10.15084/00002078
滝浦2005. 滝浦真人「ことば遊び」中島平三編『言語の事典』朝倉書店、2005年。
武田1955. 武田祐吉『記紀歌謡集全講』明治書院、昭和31年。
土橋1972. 土橋寛『古代歌謡全注釈 古事記編』角川書店、昭和47年。
鉄野2004. 鉄野昌弘「「神語」をめぐって」伊藤博・稲岡耕二編『萬葉集研究 第二十六集』塙書房、平成16年。
橋本1986. 橋本四郎「古代語の指示体系」『橋本四郎論文集─国語学編─』角川書店、昭和61年。
東森2015. 東森勲「英語ジョークとメタ言語をめぐって」東森勲編『メタ表示と語用論』開拓社、2015年。
東森2018. 東森勲『翻訳と語用論』開拓社、2018年。
藤井2010. 藤井千春『ジョン・デューイの経験主義哲学における思考論─知性的な思考の構造的解明─』早稲田大学出版部、2010年。
松下1999. 松下晴彦『〈表象〉としての言語と知識』風間書房、平成11年。
山路1973. 山路平四郎『記紀歌謡評釈』東京堂出版、昭和48年。
ライル1987. ギルバート・ライル、坂本百大・宮下治子・服部裕幸訳『心の概念』みすず書房、1987年。
李2002. 李長波『日本語指示体系の歴史』京都大学学術出版会、2002年。
Dewey1989. John Dewey, The later works, 1925-1953, vol.16, Southern Illinois University Press. 1989.
加藤良平 2025.6.11改稿初出